記憶や学習の仕組みは深い霧の中にある。その霧をはらすきっかけになるかもしれない成果が出た。インスリン受容体が細胞内で神経細胞間接合部のシナプスまで運ばれて学習が成立することを、東京大学大学院理学系研究科の富岡征大(まさひろ)助教と大野速雄(はやお)研究員、飯野雄一教授らが線虫の実験で示した。認知症の治療や記憶・学習能力の向上にもつながる基礎的な発見である。米科学誌サイエンスの7月18日号に発表した。
研究グループは、細胞内のインスリン受容体とカルシンテニンという2種類のタンパク質に着目した。いずれも、アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経疾患や記憶能力に関係することが指摘され始めている。体長1㎜ほどの小さな動物にもかかわらず、簡単な記憶、学習の能力を備えている線虫で実験した。 血糖値を下げる働きがあるインスリンを受け取る受容体には、アミノ酸の数が異なる2つのタイプがある。線虫でも両タイプがあることをまず見つけた。このうち、アミノ酸が82個多くて大きいタイプのインスリン受容体がカルシンテニンに橋渡しされて、細胞内の輸送系のキネシンに結合し、レールのような微小管の上を神経細胞のシナプスまで運ばれていることがわかった。
このインスリン受容体の輸送は、線虫が飢餓状態になると、塩の濃度で記憶しているえさがある場所を探索する記憶学習行動の際に働いており、飢餓経験と環境情報(場所の塩濃度)を結びつける学習に必要であることを見いだした。この細胞内輸送は、えさの有無を知らせるシグナル伝達経路を通じて調節されて、シナプス領域に運ばれて学習の成立に関わるインスリン受容体の量を変化させていることも明らかにした。
研究グループの富岡征大助教は「血糖値を下げるインスリンの受容体が神経細胞の活動の調節に働いている可能性を示した意義は大きいと思う。それが、記憶学習の際にシナプス領域に運ばれるのも興味深い。線虫と類似の学習の素過程がマウスなどほ乳類でも起きているか、検証していく。同時に、インスリン受容体とカルシンテニンが人の認知症などにどう絡んでいるかも探りたい」と話している。