練習を繰り返せば、サッカーや自転車乗り、ピアノ演奏など難しいスキルを上達させることができる。その仕組みは大脳皮質深部にあった。運動を練習して熟達する中期から後期にかけて、学習した運動の記憶が大脳皮質深層、特に大脳基底核へ信号を送る細胞の新たな活動パターンとして保持されることを、基礎生物学研究所(愛知県岡崎市)の正水芳人研究員、田中康裕研究員、松崎政紀教授らがマウスの実験で突き止めた。
運動の学習や制御の仕組み、運動疾患に関する理解を深め、新しい人工知能や自律的に運動するロボットなどの設計に役立つ重要な発見として注目される。東京大学大学院医学系研究科、玉川大学脳科学研究所、日本医科大学との共同研究で、6月2日に米科学誌ネイチャーニューロサイエンスのオンライン版に論文を発表した。
図2. マウス実験で訓練初期(1-4日目)から学習後期(11-14日目)にかけて大脳皮質神経細胞集団の予測精度情報量の変化。第2、3層では一定の傾向が見られなかったが、第5層では学習が進んだ。(提供:松崎政紀基礎生物学研究所教授) |
図3. 運動の練習を続けたときの大脳皮質運動野の変化の概略。第5層で、予測精度情報量を高める細胞(黒丸)が増え、より効果的に脊髄に信号を送る新しい神経回路(赤囲み)が出現し、練習した運動が熟練化する。(提供:松崎政紀基礎生物学研究所教授) |
練習で脳に蓄えられる情報は「手続き記憶」と呼ばれる。練習中に脳の中で、どのような細胞の活動変化が起こって、この「手続き記憶」が形成されるのか、はこれまで謎だった。研究グループは、2光子顕微鏡を用いたカルシウムイメージング法で、生きたままマウスの脳活動を計測できるよう工夫した。マウスが道具を使って運動課題を学習する過程で、大脳皮質運動野の延べ8千個の神経細胞の活動を2週間計測するのに世界で初めて成功した。
右前足を使ってレバーを引き続けると、水がもらえる仕掛けを作って、マウスに毎日1時間練習させた。これはマウスにとってかなり難しい課題という。この実験の間、マウスの大脳皮質で運動を調節する領域(運動野)の神経活動を計測した。大脳皮質は6層からなる。浅い第2、第3層(脳表から約200μm)までは従来も計測できていたが、今回は、大脳皮質から外に信号を出力する深部の第5層(脳表から約500μm)の細胞活動まで測った。2光子顕微鏡の性能向上や実験技術の改良で、この大脳皮質深部の長期計測を実現した。
大脳皮質の神経活動パターンで、マウスの前足を使う練習に伴う「手続き記憶」がどのように記録されていくかを「予測精度情報量」で追跡した。予測精度情報量は、レバーの動きをどの程度予測できるかを定量化したもので、スキルの上達に相当する。浅い第2、3層で、細胞集団全体の予測精度情報量はあまり変化しなかった。これに対して、第5層では、30%の細胞が、練習を始めて約1週間後から予測精度情報量を増やしていた。
このマウスの実験結果から、研究グループは「大脳皮質の運動野の第2、3層は2週間の学習期間を通して、ほかの脳部位からの情報を統合してレバー引き運動を微調整しているのに対して、第5層は運動学習がある程度進んでから、レバー引き運動を細胞活動パターンとして記憶する」と結論づけた。また、大脳皮質第5層の細胞活動変化の信号出力先を解析したところ、運動の熟練化に関係する大脳基底核と大脳皮質第5層が一緒になって、新しい記憶回路を形成して脊髄に信号を送り、特定の筋肉の制御をより効果的に行っていることもうかがえた。
研究グループを率いる松崎政紀教授は「技術的には非常に苦労した実験だった。大脳皮質の深部まで神経細胞の活動をカルシウムイオンの出入りで1個ずつ計測できるようにしたのがよかった。大脳皮質の深部にできる新しい神経回路は、運動の練習の途中から少しずつ形成されてくる。運動が最初、少しでききただけで、練習をしなければ、上達しないが、頑張り続けることは意味がある。その経験的事実は、大脳皮質に関するわれわれの発見でも裏付けられた。この研究は将来、運動障害の疾患の解明や治療、人工知能を持つロボットの設計にも貢献するだろう」と話している。
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