科学技術振興機構(JST)は5月5日、運動学習中の大脳皮質にある「運動野」の神経活動を可視化することにマウスの実験で成功したと発表した。
成果は、米・カリフォルニア大学サンディエゴ校の小宮山尚樹 アシスタント・プロフェッサー(AP)、同・大学院生のアンディー・ピーターズ氏、同・ポストドクトラル・フェローのサイモン・チェン博士らの共同研究チームによるもの。研究はJST課題達成型基礎研究の一環として行われ、詳細な内容は現地時間5月4日付けで英科学誌「Nature」に掲載された。
脳の神経細胞群の活動と行動との関連性は、長期間における学習ならびに経験によって調節されていると考えられており、学習による脳神経回路の変化は脳神経科学において非常に重要な課題となっている。そこで研究チームは今回、最も根本的な学習の1つである運動学習と、運動行動を制御する重要な脳の部分である「大脳皮質運動野」(大脳皮質中、運動制御に特化した領域で、マウスからヒトまで大まかな構造と機能は共通していると考えられている)に注目。生きたまま長期間にわたって脳の活動を観察可能な技術を開発することで、運動学習が運動野の活動にどのような変化をもたらすのかの解明を目指したのである。
運動行動中の運動野の神経活動を記録した以前の実験では、神経活動とそれによってもたらされる運動との関係は比較的安定していることが確かめられてきた。つまり、運動野の活動のパターンによって運動のパターンが予測できるという結果が示されてきたのである。
しかし、これらの実験は主に長期間の練習(数ヶ月から数年)後の運動行動中に行われており、この神経活動と運動の関連性に対する学習の持つ役割はあまりわかっていなかった。このため、運動学習の全過程を通して運動野の活動パターンを記録する手法が求められていたのである。
そこで研究チームはまず、頭を固定された状態でマウスが運動行動を学習する実験系を開発(画像1)。マウスは、前肢でレバーを特定の方向に動かすことで報酬(水)がもらえることを、1日1時間(100回)ほどの訓練を2週間続けることで記憶する仕組みである。マウスがレバーの動かし方を覚えるまでの期間中、レバーの動きを高解像度で記録し、運動パターンの詳しい解析が行われた。
画像1。頭を固定したマウスにおける運動学習中の長期的イメージング(二光子励起顕微鏡を使用)の実験設計の模式図 |
また、この2週間に及ぶ学習期間中、同一個体、同一視野の神経活動を観察するために、開頭手術方法、より速いイメージング方法、解析用ソフトウエアなど多岐にわたる項目の改良が重ねられた形だ。その結果、2週間にわたる運動学習中の運動野における活動の変化を経時的に追うことが、世界で初めて可能になったという(画像2~4)。
行動中のマウスにおける、運動野神経細胞群の長期的イメージング。画像2(左)と画像3(中)は、2週間にわたり同じ細胞群を同定できることを示している。それぞれの画像にある右上の挿入部分は、白く囲まれた部分の拡大図だ。画像4(右)は、緑が神経活動を示すセンサ(GCaMP5G)、赤は抑制系神経をラベルしており、神経細胞のタイプを同定することが可能だとした |
この手法を用いて、運動野の神経細胞群の活動を細胞単位で、運動学習の全過程を通したイメージングが行われた。まず学習の初期では、レバーを動かす方向や速度がほとんど同じ場合であっても、神経細胞の活動パターンはまったく異なっていることが判明。
しかし、学習が進むに連れ、徐々に神経細胞の活動パターンが安定化し、最終的には、神経活動のパターンと運動のパターンが一致するようになったという。学習後期の運動パターンは、元々学習初期にも一部観察されていた。
一方、神経活動のパターンは学習初期に見られたものと後期のものとは異なっていることが判明。これらの結果から、ある1つの運動パターンはさまざまな神経活動パターンから生み出され得ること、運動学習によって初めて運動野の神経細胞の活動と運動パターンとが1対1の関係ができることを示しているとした。
つまり、学習初期は試行ごとにさまざまな神経活動のパターンと運動パターンが試されるというわけで、類似した運動パターンを示す試行に注目しても、さまざまな活動パターンが観察される具合だ。そして、学習の過程で活動と運動の関連性が改められ、学習された運動パターンに特化した活動パターンが試行ごとに再現されるようになるというわけだ(画像5)。
次に、前述したような神経活動パターンが柔軟に変化し得るメカニズムを調べるため、運動学習中の運動野内における神経細胞同士の「シナプス結合」の動性に対する観察が、高解像度イメージングを用いて経時的に行われた。その結果、学習期間中にのみ、新たなシナプス結合が、古いシナプス結合と入れ替わる形で形成されることが確認されたのである(画像6・7)。これは、運動学習が運動野内の神経回路を変更することを示す。新たな神経回路の形成が、学習後に見られる安定した神経活動パターンの再現に重要な役割を担っていると考えられるという。
今回の研究で開発された手法は、行動中のマウスにおける神経細胞群の活動ならびに構造を数週間に及んで観察することを可能にするもので、同手法は今回用いた運動学習に限らず、さまざまな学習や、行動を制御する脳神経回路の仕組みの解明に広く応用されることが期待されるという。
また、学習のメカニズムにおける神経回路レベルでの詳細な理解は、将来的にアルツハイマー病など、学習と記憶の障害の治療に役立つことが期待されるとした。さらに、運動学習のメカニズムの詳細な理解は、将来的にブレイン・マシン・インタフェース(BMI)や義肢開発に応用できる可能性があるとしている。