東京工業大学(東工大)は3月11日、ドル円市場の「高頻度売買注文板データ」を分析し、取引価格の周囲の売買注文量の増減に特徴的な2重の層構造があることを発見したほか、アインシュタインが発見した「揺動散逸関係」が非物質系でも成立していることを実証したと発表した。

同成果は、同大大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻の高安美佐子 准教授、同 由良嘉啓 大学院生は、チューリッヒ工科大学のディディエ・ソネット教授、ソニーCSL シニアリサーチャー・明治大学客員教授の高安秀樹氏らによるもの。詳細は、3月7日付で米物理学会誌「Physical Review Letters」電子版に掲載された。

市場価格の変動には、予測できないようなランダムな上下変動をする「確率的側面」と、インフレやバブル、暴落のように方向性を持って動く「動力学的側面」があることが経験的に知られている。確率的な変動成分に関しては、20世紀中ごろから体系的に記述することができるようになり金融派生商品などの形で広く実務に応用されているが、動力学的な成分に関しては、ようやく近年、高頻度市場データの分析とともに理論的な研究が進められるようになった段階にある。

今回、研究グループは、ドル円の外国為替取引に関する高頻度売買注文板情報の分析を行った。用いられたデータは、取引レートが1000分の1円単位、時間刻みが1000分の1秒刻み、1週間分の情報量は3GBとなり、各瞬間の売買取引板情報は、価格軸上で、「スプレッド」とよばれる隙間(売り注文と買い注文の価格の差)の下方に買い注文、上方に売り注文が積み上がった形状で表わされ、スプレッドに接した買い注文の上端(最良買値)に売り注文がぶつかること、あるいは、逆に、売り注文の下端(最良売値)に買い注文がぶつかることで取引が成立し、市場価格が確定する。

最初に売り注文と買い注文のそれぞれに関して、最良価格からの深さごとに積み上がった注文板の量の変化と市場価格の変化の相関関係を分析したところ、ある深さを境にして、板の変動の特性が正反対になっていることが見出されたという。

例えば、価格が上昇するとき、価格の進行方向にある売り注文は、スプレッドに近い内側の領域では減少するのに対し、スプレッドから遠い外側の領域では増加する。ドル円市場の場合では、内側と外側を分ける特徴的な深さは、およそ、100分の2円であったという。

こうした動きは、無数の小さな分子に囲まれた粒子がある方向に動く時、粒子のごく近くの分子は粒子との衝突によって押しのけられて密度が減少するが、進行方向少し離れたところでは前方に押し返された分子が集まり、密度が上昇するといった物理的な現象と類似していることから、スプレッドを仮想的な粒子、売買注文を周囲の分子のようにみなすことができ、実際にこのアナロジーは単に直観的に正しいだけでなく、物質の分子と粒子の場合には普遍的に成立する揺動散逸関係が、市場のスプレッドと売買注文という仮想的な粒子と分子の間でも近似的に成り立っていることが確認されたとする。

通常、市場の価格変動は連続的な確率変数によってモデル化されるが、今回の研究では、連続変数による記述の限界も示すことができたとする。具体的には、分子と粒子の場合には、粒子の動きを連続変数で記述することの妥当性はクヌーセン数とよばれる量で評価されるが、ドル円市場のデータから見積もられたクヌーセン数は0.02程度で、ぎりぎり連続的な変数による記述が妥当な範囲には入るが、市場の状況によっては、連続変数では現象を記述できない可能性があることが示されたという。

今回の研究により、最もミクロなレベルから価格の変動の仕組みをデータから分析する手法が開発されたこととなり、これを活用することで、例えば、暴騰や暴落は、外側の領域の注文量が著しく減少して真空状態になることによって市場の変動に対してブレーキが利かなくなった状態において発生する現象である、と理解することができるようになるという。

また、ミクロなレベルで駆動力と制動力がほぼ釣り合ってマクロなレベルでランダムな変動を生みだす現象は、相対性理論で名高いアインシュタインが20世紀初頭に水中を漂う微粒子に対して定式化し、それ以来、さまざまな物質で確認され、「揺動散逸関係」とよばれる現代物理学の柱の1つとして認識されており、研究グループでは今回の市場変動という物質ではない現象においても、ゆらぎの増幅・抑制メカニズムが物質と同じ数理的構造になっていることが実証されたことから、今後、物理学としての研究を進めることで、板情報から市場の制動力の強さを常時観測し、もしも危険なレベルまで弱くなったときには外側の領域の注文量が増加するまでは市場の取引を一時的に停止させるなどの対策をうつことができるようになり、その結果、暴騰や暴落に伴う市場の混乱を未然に回避できるような技術の開発につながる可能性が期待されるとコメントしている。

金融市場の売買注文板情報と粒子・分子モデルの関係