国立精神・神経医療研究センター(NCNP)は3月6日、神経幹細胞の「時間形質」を制御することによって、多様な神経細胞を生み分ける新たな仕組みを、小脳の研究によって明らかにしたと発表した。
成果は、NCNP 神経研究所 病態生化学研究部の星野幹雄部長らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、2月18日付けで英オンライン科学誌「Nature Communications」に掲載された。
ヒトの脳には、数1000種類もの性質の異なる神経細胞が存在しているといわれており、ほとんどの神経細胞が「神経幹細胞」から生み出される。神経幹細胞も幹細胞の1種であることからわかるように、細胞分裂の際には娘細胞の1つは神経細胞になるが、もう1つは神経幹細胞に留まるので、次々と神経細胞を生み出していけるという仕組みだ。
もちろん神経細胞が数1000種類もある以上、神経幹細胞はただ闇雲に神経細胞を生み出しているわけではない。もちろん生み分けるための仕組みがあり、神経幹細胞が特定の神経細胞を生み出す性質として「形質」がある。神経幹細胞の位置する場所が異なると生み出される神経細胞の種類も異なるため、神経幹細胞は場所によって異なる「形質」を持っていると考えられているのだ。場所によって異なるこの形質のことは「空間形質」と呼ばれている。
しかし、形質にはまだ何か隠された仕組みがあるという。というのも、同じ場所に位置する神経幹細胞にも関わらず、異なる種類の神経細胞を生み出すからだ。このことは、神経幹細胞の空間形質の違いでは説明できない。そこで星野部長らは、神経幹細胞がその時間経過と共にその「形質」を変化させるという、つまり神経幹細胞が空間形質のほかに「時間形質」を持つのではないかということを推測し、それを明らかにした。この研究によって、2種類の神経幹細胞の形質を組み合わせることによって多様な神経細胞が生み分けられるという、神経細胞発生における新たな仕組みを提唱することに成功したのである。
そして小脳における神経幹細胞の空間形質に話を絞ると、ここには2つの空間形質を持つ神経幹細胞があるという。1つは「菱脳唇」という場所に存在する神経幹細胞で、それらは「顆粒細胞」や「小脳核神経細胞」などの「興奮性神経細胞」を生み出す。
もう1つは「脳室帯」という場所の神経幹細胞であり、それらは「プルキンエ細胞」や「抑制性インターニューロン」などの「抑制性神経細胞」を生み出す。なおプルキンエ細胞は小脳に存在する、複雑な樹状突起と非常に長い軸索を伸ばして小脳皮質から小脳核へと投射している、大きな神経細胞である。ヒトの高度な運動機能を可能とするのには小脳において身体内外のさまざまな情報が統合・処理されることが必要だが、その過程で小脳皮質の神経細胞ネットワークによる情報処理が必要であり、その最終的なアウトプットを担う。
またインターニューロンとは、プルキンエ細胞と比べて小型でなおかつ短い突起を持つ神経細胞だ。脳の異なる部位をつなぐというよりも、その局所における神経回路連絡を担っている。小脳の抑制性インターニューロンは、さらに「ゴルジ細胞」、「バスケット細胞」、「籠状細胞」などに細かく分類することが可能だ。
こうした抑制性神経細胞について、星野部長らは2005年に、全種類の抑制性神経細胞が転写因子「Ptf1a」を発現する脳室帯の神経幹細胞から生み出されることを報告済みだ。Ptf1aは、もともとはすい臓を作るのに必要なタンパク質として知られていたものだが、小脳を作るためにも重要な働きをしていることを星野部長らが明らかにしたのである。なお転写因子とは、DNAに結合して特定の遺伝子の活動を制御するタンパク質のことだ。1つの転写因子が複数の遺伝子の働きを活性化したり不活性化したりするほか、1つの転写因子がその細胞の性質などを決めることもある。
そして今回の研究では、脳室帯の神経幹細胞の中に「Olig2」または「Gsx1」という転写因子を発現する異なる細胞群が存在するということが確認された。Olig2は、もともとは「オリゴデンドロサイト」と呼ばれるグリア細胞の1種の産生に関わることが報告されていたが、ある種類の運動神経細胞の産生に関与することが後に報告されている。またGsx1は、脳のいくつかの領域において、特定の神経細胞の発生に関与していることが知られていた転写因子だ。
今回の研究では、特殊な遺伝子改変マウスを作製してそれぞれの群から生み出される神経細胞の調査が実施された。すると、Olig2を発現するものが「プルキンエ細胞」を生み出す神経幹細胞の「プルキンエ細胞産生型」であり、「Gsx1」を発現するものが「インターニューロン」を生み出す神経幹細胞「インターニューロン産生型」であることがわかったのである。
さらに、脳発達の初期段階には大部分の神経幹細胞が「プルキンエ細胞産生型」であるのに対し、その後、細胞分裂を繰り返す時間的経過に伴って次第に「インターニューロン産生型」に変化するということも判明(画像1)。これは別のいい方をすれば、神経幹細胞の「時間形質」が、「プルキンエ細胞産生型」から「インターニューロン産生型」へと変化したということだ。
また、さまざまな遺伝子改変マウスの解析から、この神経幹細胞の時間形質の変化が「Olig2」によって減速され、「Gsx1」によって加速されるということも明らかになった。
これらの遺伝子機能の増大・減少により、「プルキンエ細胞」および「インターニューロン」の産生比率に大きな異常をきたしたことから、2種類の遺伝子による神経幹細胞の時間形質変化の制御機構が、小脳の適切な発達に重要であることが示されたのである。
これまでにもほ乳類の脳形成について、場所によって神経幹細胞の形質が異なるという研究はいくつかなされてきたが、今回の研究によって、新たに時間の経過によって神経幹細胞の形質が変化するということと、その制御機構が新たに明らかにされた。今回の成果は、脳形成および神経幹細胞研究に大きく貢献すると考えられるという。
さらに、今回の研究は小脳の各種神経細胞の数に関するコントロール機構も明らかにしているため、小脳運動失調や小脳機能異常が原因となる一部の自閉症および認知障害などの病態の理解にもつながることが期待されているとしている。また今回の成果を取り入れれば、培養皿で増殖させた神経幹細胞をそれぞれ個別の小脳神経細胞へと分化誘導することが可能となるかも知れず、将来の小脳変成疾患、小脳梗塞などに対する細胞移植治療へも応用されることが期待できるとしている。