京都大学、日本原子力研究開発機構(JAEA)、茨城大学の3者は2月27日、伊・トリエステ放射光研究所、高輝度光科学研究センター(JASRI)との共同研究により、電子を測定できる「放射光メスバウアー吸収分光法」の測定システムを開発し、その測定効率を大きく高めることに成功したと共同で発表した。
成果は、京大 原子炉実験所の増田亮 研究員、同・瀬戸誠教授、同・北尾真司准教授、同・小林康浩 助教、同・大学院理学研究科大学院生の黒葛真行氏、伊・トリエステ放射光研究所の齋藤真器名 博士研究員、JAEAの三井隆也 主任研究員、茨城大の伊賀文俊 教授、JASRIの依田芳卓 主幹研究員らの国際共同研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、米国東部時間2月27日付けで米物理学会誌「Applied Physics Letters」にオンライン掲載された。
メスバウアー効果は、放射性物質(γ線源)中の原子核から放射された特定の振動数のγ線がエネルギーを失う事なく同種の原子核を含んだ吸収体(試料)に「共鳴吸収」される現象で、現在までに約45種類の元素で確認されており、この現象を発見したR.L.Mössbauerから名付けられた(Mössbauerは1961年にその功績でノーベル賞を受賞している)。なお共鳴吸収とは、ある物質系が振動する外場のエネルギーを吸収して励起される現象のことをいう。振動の周波数を変化させると、ある値の近傍で強いエネルギー吸収が起こる。
一方、γ線源と試料が異なる物質である場合、原子核が共鳴吸収を起こすエネルギーは、周辺の電子状態の違いから互いにわずかに変化する。この時、γ線源を光軸上で振動させ、光のドップラー効果でエネルギーを変調させたγ線を試料に照射し、透過強度の速度(エネルギー)依存性を測定すれば、共鳴吸収スペクトルを得ることが可能だ。
そのパターン変化から、物質中で共鳴に寄与した元素の状態(電子状態や磁気構造など)を調べることができ、この手法をメスバウアー分光法という。メスバウアー分光法は、物性物理、原子核物理、無機化学、錯体化学、金属学、生命科学、地球宇宙科学、考古学など、実に多種多様な分野で応用されている。ただしメスバウアー分光法は、γ線源となる放射性同位体が入手し易い鉄(Fe)や錫(Sn)を含んだ材料研究では広く利用されているが、適当な放射性同位体を用意できない場合は、測定が困難または不可能になってしまう。
なお、同位体とは同じ元素の内、陽子の数は同じだが中性子の数が異なるために質量が異なる原子のことをいう。また同位体の中には安定して存在する安定同位体と、寿命があってほかの物質に変わってしまう不安定で、放射線を出す放射性同位体の2種類がある。
そこでそれを解決する方法として、γ線源として放射性物質よりも高機能かつ利便性に優れた「放射光」を用いる放射光メスバウアー吸収分光法が2009年に開発された。なお放射光とは、光速近くまで加速された電子線の軌道を磁場で曲げた際に生じる指向性の高い光であり、赤外線からX線までの広い波長範囲に渡る白色光で、その白色(連続波長)の放射光を試料に照射するのである。
放射光の照射により、その一部は試料中の共鳴元素に吸収されるので、透過した放射光のエネルギー分布に共鳴吸収パターンが記録される仕組みだ。そのパターンを調べるため、同種の元素を含み狭いエネルギー幅で共鳴を起こす物質(散乱体)を試料の下流側に配置し、それに放射光を照射し、散乱体中の元素が共鳴吸収を起こした後に放出されるX線や電子を検出器で測定。この時、散乱体を光軸上で振動させ、ドップラー効果で元素の共鳴エネルギーを変化(走査)させながら信号強度の速度依存性を測定すると、試料の共鳴吸収スペクトルが得られるのである。
放射光メスバウアー吸収分光法では、白色の放射光を多様な原子核に共鳴させることができるため、従来はγ線源の準備が難しく測定できなかった元素のメスバウアー分光にも適用させることが可能だ。特に、ゲルマニウム(Ge)やユーロピウム(Eu)などの多様な元素を利用した測定に応用されている。なお、下の画像は、メスバウアー効果、メスバウアー分光法、放射光メスバウアー吸収分光法の概念図だ。
これまで放射光メスバウアー吸収分光法の測定システムでは、スペクトル測定のため核共鳴吸収後に発生するX線と電子の内、X線だけが検出されていた。しかし、これでは測定が数日におよび、超伝導材料や磁石材料の開発に関わる元素も含めて応用実験が困難な元素が残されていたのである。そのため、研究チームはX線に加えて電子も検出できる計測システムを開発することで、放射光メスバウアー吸収分光法の測定効率を大幅に向上させることを試みたというわけだ。
放射光メスバウアー吸収分光法の仕組みをもう一度おさらいすると、画像2に示されているように、測定したい元素を含む試料であらかじめ共鳴吸収させた放射光を、下流で光軸方向に振動する散乱体(同種の元素を含み、狭いエネルギー幅で共鳴する物質)に照射し、その共鳴吸収後に放出されるX線や電子の強度の速度依存性を測定することで試料の吸収スペクトルを得る。
重要な点は、放射光が散乱体と共鳴した後にX線のみならず電子が発生することだ。ある種の同位体では、X線に比べてかなりの割合で電子が放出されるが、従来利用していた検出器にはノイズ信号の原因となる可視光を遮るために金属(ベリリウム(Be))薄板を窓として取り付けていた。X線はBeを透過できるが、電子はBeを透過できない。しかし、電子を検出できればメスバウアー吸収分光法の測定効率を格段に改善することが可能だ。
そこで、X線窓をなくした検出器を散乱体と同じ真空チャンバー内に封入することにより、可視光を遮りつつ、散乱体からのX線と電子の信号を同時に検出できる測定システムを構築した。新しく開発された放射光メスバウアー分光装置の外観が画像3で、右上の小さな画像は真空チャンバー内に配置した検出器の外観写真だ。
開発された測定システムの性能評価のために「イッテルビウム12ホウ化物(YbB12)」に含まれる原子番号70のYbの安定同位体「174Yb」(中性子数74、質量174)の放射光メスバウアースペクトルが測定された。なおYbB12とは、室温では金属のように振る舞うが、低温になると何らかの原因で電子の振る舞いが変化するために電気抵抗が増加し、半導体のように変化する物質群(「近藤半導体」)の1つである(低温で半導体へ変化する原因は未だ解明されていないため、レアアースの物性研究でも特に注目されている)。今回は近藤半導体としての性質ではなく、低温でメスバウアー効果が起きる確率が高いという性質のために利用された。
従来のX線だけを検出する方法では信号強度が毎秒1.2カウントしか得られず、解析に耐え得るカウント数のスペクトルを得るには数日かかったが、電子を検出する測定システムでは5倍もの測定効率の向上が達成され、10時間の測定で明瞭なスペクトルを観測することに成功した(画像4)。メスバウアー分光法の測定精度を左右する吸収ピークの半値幅(画像4の矢印部)も1.3mm/sとYb原子の価数決定など電子状態を調べる研究にも十分に利用できることが確認されたのである。
また、メスバウアー分光法で利用する元素の中で放射光と共鳴現象を起こす同位体(この場合は174Yb)の天然存在比が低い場合には、同位体を富化した試料がしばしば用いられるが、これは一般に非常に高価で、入手が困難という問題があった。しかし、今回の測定では同位体の富化はされいない。測定効率が向上したことで、同位体富化試料に頼らない測定が可能になったからである。
今回の研究により、電子を検出することで放射光メスバウアー吸収分光法の測定効率を格段に改善することができた形だ。今回開発された測定システムは、Ybのみならず、信号強度不足のため機能材料の研究に重要な元素でありながら放射光メスバウアー分光を適用できなかったレアアースやアクチノイド元素などの測定も可能にするという(画像5の青色部分の元素が期待できるとしている)。それは物質科学における放射光メスバウアー分光の新しい応用分野(例えば磁石材料や超伝導材料を初めとした新しい物質の合成と機能解明など)を飛躍的に広げることを意味するとした。