理化学研究所(理研)は、マウスを使い、脳の記憶形成の中枢である海馬の部位で最も解明が遅れていた領域である「CA2」を多角的な手法を使って正確に同定したほか、CA2を介した新しいトライシナプス性の記憶神経回路を発見し、逆にこれまで存在すると主張されてきた回路が実は存在していないということも証明したと発表した。

これらは、理研脳科学総合研究センターのRIKEN-MIT神経回路遺伝学研究センター(CNCG)利根川研究室の小原圭吾リサーチサイエンティスト、ミケレ・ピグナテーリ博士研究員、アレックス・リヴェスト博士研究員、利根川進センター長(米国マサチューセッツ工科大学、CNCGディレクター)などが、理研バイオリソースセンターの小幡裕一センター長らと行った共同研究の成果。

海馬の神経回路は、1911年に神経解剖学者のラモニ・カハールらによって「トライシナプス性の記憶神経回路」が初めて発見された。その後、1934年に神経生理学者のロレンテ・デ・ノによって海馬が3つの領域(CA1、CA2、CA3)からなることが発見され、定義された。しかし、CA2は他の領域に比べて狭いため、当時の実験技術や装置ではCA2の正確な領域と記憶神経回路を決定することは困難で、その後も生物学的に正しいかどうかは検証されず、現在の教科書でもこの古典的な定義に基づいて解説されている。

ラモニ・カハール氏(左)とロレンテ・デ・ノ氏(右)

研究グループはCA2領域を正確に同定するために「免疫組織染色法によるCA2のマーカータンパク質の同時染色(分子生物学的手法)」「ディオリスティック染色法(細胞生物学的手法)」「BDAトレーサー軸索標識法(解剖学的手法)」「パッチクランプ法(電気生理学的手法)」の4種類のアプローチによる実験を行った結果、CA2の目印となる3種類のマーカータンパクが共通の領域で発現したことがわかったという。

樹状突起標識法で神経細胞の主要な樹状突起に見られる複雑なスパイン(シナプスからの入力を受けるトゲ状の隆起)の有無、軸索標識法で視床下部の乳頭体上核からの入力の有無、電気生理学的手法で細胞特性などを多角的、かつ、詳細に調べ、CA2領域を正確に同定することに成功したという。

CA2領域のマーカータンパク質の同時染色。CA2領域の目印となるマーカータンパク質を免疫組織染色法により同時染色した。赤色はRGS14タンパク質、緑色は PCP4タンパク質、青色はSTEPタンパク質を示す。右端は3つの画像を重ね合わせたものでCA2領域を示す

次に「免疫組織染色法」「ウイルス標識法」「新規DG特異的遺伝子組換えCreマウス」「新規CA2特異的Creノックインマウス」「光遺伝学(色素タンパク質・チャネルロドプシン2を使った実験)」「海馬急性スライス標本を複合的に用いて、歯状回のCA2への入力」を調査。その結果これまで何十年間も信じられていた「歯状回はCA2に入力しない」という定説を覆し、「歯状回が直接シナプスを介してCA2に入力している」ことを発見したという。

CA2は、CA1の深い細胞層の興奮性細胞群に優先的に入力していることが明らかになり、以上のことから海馬において従来型のトライシナプス性の記憶神経回路「嗅内皮質→DG→CA3→CA1」に加え、新しいトライシナプス性の記憶神経回路「嗅内皮質→DG→CA2→CA1deep」を発見した。従来型のトライシナプス性の記憶神経回路は海馬内で主にラメラ断面に沿って情報伝達しているのに対して、新しいトライシナプス性の記憶神経回路は複数のラメラ断面を縦断して情報伝達していることも明らかになった。

海馬における歯状回(DG)からCA2への新しい記憶神経回路。青は核染色、緑色はDG、赤色はDGの軸索(DGからのシナプス入力)、オレンジ色はCA2を示す。実験の結果、DGが直接シナプスを介してCA2に入力していることが分かったという

また、嗅内皮質の3層細胞特異的な遺伝子組換えCreマウスと光遺伝学を用いた実験から、嗅内皮質3層細胞がCA1に入力し、CA2には入力しないことも明らかになったという。これも従来の知見を覆した発見だという。

脳の正確な地図は部分的にしかできていないが、脳の地図の完成を目指して大型の国家プロジェクトが欧州、米国、日本で動き始めているという。今回の研究成果は、新技術や既存技術を複合的に用いたアプローチによるもので、これを用いることで脳の地図の作成への貢献および記憶の謎や神経系変性疾患・精神神経疾患のメカニズムの謎の解明を目指すとしている。