秋の気配が漂ってくると、私たちのような"科学の情報発信を仕事とする者"はそわそわし始めます。自然科学としては、最も知名度の高い(そして賞金金額も大きい)ノーベル賞の発表が近づいてくるからです!
今年は10月7日(月)に生理学医学賞の発表があり、8日(火)に物理学賞、9日(水)に化学賞と続きます(その後、平和賞、経済学賞、文学賞が順次、発表されます)。
日本科学未来館(東京お台場)では、9月11日(水)より、自然科学3賞の今年の受賞者を予想する15分のミニトーク「今年のノーベル賞はどうなる!」を始めました。個々の科学コミュニケーターが「今年は誰が受賞するか」を予想し、なぜそう思うかをコンパクトにまとめて紹介しています。
さらに、「科学コミュニケーターブログ」にて、自分はなぜこの研究者を推すのかを、熱く書き綴っていきます。
9月26日現在、まだすべての予想が科学コミュニケーターブログに載ってはいないのですが、一足早く、内容をごく簡単にお知らせしましょう。ノーベル賞は一度に3人までが通例ですので、同じ研究分野で3人の名前を挙げている科学コミュニケーターもいます。ですが、ここではその中でもお一人だけをピックアップしました。"ほかの2人"がいるのかいないのか、いるとしたら誰なのか、気になる方は「科学コミュニケーターブログ」をチェックしてください。
生理学医学賞
ヒトゲノムの解読──フランシス・コリンズ博士(米国)
人の遺伝情報のすべてを解読しようというヒトゲノム計画は国際プロジェクトとして1990年に始まり、2003年に終了が宣言されました。得られた遺伝情報だけでなく、遺伝情報を安く速く解読する技術が進んだことで、生物学や医学は大きく変わりました。
遺伝子の発現調節にかかわる研究──ハワード・シーダー博士(イスラエル)
人の身体を作っているすべての細胞は、原則として同じ遺伝情報をフルセットで備えています。でも、実際に使われる遺伝子は細胞によってさまざま。髪の毛の作る遺伝子は、口の中の細胞では働きません。そのコントロールのことを「遺伝子の発現調節」と呼んでいます。私たちが健康でいられるのは、この仕組みのおかげといっても過言ではありません。
睡眠物質「オレキシンの発見」──柳沢正史博士
毎日、経験している眠りですが、実は科学のメスがまだあまり届いていません。それでも着実に研究は進んでいます。未来館の科学コミュニケーターが注目したのは、脳内の睡眠物質「オレキシン」です。最近、食欲とのかかわりなどもわかってきました。
物理学賞
ヒッグス粒子の予想──ピーター・ヒッグス博士(英国)
物質に質量を与えるのがヒッグス粒子という素粒子。2012年5月にその発見を欧州原子核研究機構(CERN=セルン)が発表し、話題になりました。実はCERNはその半年前にすでに「確認はこれからだが、どうやらヒッグス粒子を見つけたようだ」と発表しています。確認前の段階から記者会見を行うほど、物理学の世界ではビッグニュースだったということです。発見は最近のことですが、その存在は半世紀も前に予想されていたのです。
トップクォークの発見──ポール・グラニス博士(米国)
こちらも素粒子の話です。最後にして6番目のクォークが発見されたのは1995年のこと。5番目のクォークの発見から20年近くもかかってしまいましたが、この発見によって、小川誠先生と益川敏英先生による「小川・益川理論」が検証されたのです。理論を出した両先生は南部陽一郎先生とともに2008年のノーベル物理学賞を受賞していますが、実験チームの受賞はまだなのです。
負の屈折率を持つ物質──ジョン・ペンドリー博士(英国)
水に棒を入れると、水面で折れ曲がるように見えます。これは、空気と水とで屈折率が異なるから。これまで見つかっている物質の屈折率はすべて「正」の値になりますが、もしも「負」の屈折率を持つ物質があったら?透明マントや原子まで見えるスーパーレンズが可能になるはずなのです。
化学
金ナノ粒子の触媒機能の発見──春田正毅博士
金が鉄や銀と違っていつまでもピカピカなのは、空気中の酸素などと反応しないから。反応性が低いと思われていたのですが、非常に小さい粒子(ナノ粒子)にすると、化学反応を進める触媒の働きをすることがわかってきました。この作用、インフルエンザの診断薬など、身近なところで使われています。
青色発光ダイオードの原理──赤崎勇博士
明るさや省エネのために照明をLED(発光ダイオード)に替えた方も多いはず。LEDは長い間、赤と緑だけだったのですが、青色LEDの出現により、白色光をはじめさまざまな色が実現可能になりました。
有益な天然化合物の構造決定──中西香爾博士
漢方や生薬での利用を見ればわかるように、自然界にはさまざまな有益な物質があります。ここから薬などにするには、葉や根などのどの成分が有効物質であるのかを突き止め、その物質の化学構造を調べ、さらには体内でどう吸収・分解されるかを調べる必要があります。この分野の研究者は非常に多いのですが、未来館の科学コミュニケーターはその中でも特に貢献度の大きいパイオニア的な方を挙げました。日本からすると、残念ながら"頭脳流出"という意味でもパイオニア的な方です。
いかがでしょうか? 今年は皆さまにもご参加いただけるように、科学コミュニケーターの予想をまとめた「ノーベル賞を予想しよう」というサイトを作りました。上にも紹介した研究者の略歴と研究内容をごく簡単に紹介しています。それを見て、皆さまに投票のような形で参加いただく企画です。もちろん、科学コミュニケーターが挙げた名前以外を記入することもできます。
ご参考までに科学コミュニケーターたちがどうやって予想をしているかをご紹介しましょう。
ノーベル賞の受賞者にはいくつかの"決まりごと"があります。生理学・医学賞、物理学賞、化学賞の自然科学3賞の場合、受賞者は個人で、団体が取ったことはありません(平和賞では、国際原子力機関や国境なき医師団といった団体の受賞例がたくさんあります)。今回の予想でも、「ヒトゲノムの解読」や「トップクォークの発見」は、大勢がかかわったプロジェクトです。団体での受賞が「あり」ならば予想は簡単なのですが、誰か個人となると、その中から選ぶことになります。リーダーや、そのプロジェクトに不可欠な技術開発をした人などの名前が挙がりました。
また、ノーベル賞は存命の方が受賞者となります。すばらしい研究をしながらも、他界していた場合は予想からは外すことになります(それでも、ブログ記事では敬意を表してお名前を書いたりします。過去の偉大な研究を振り返るのが予想活動の目的でもあるので)。
また、科学者の業績を表す指標として、書いた論文の引用件数の多さというのがあります。アメリカに本社のある情報会社トムソン・ロイターは、まさにこれを基準にして予想を立てています。ノーベル賞の発表前、9月下旬頃に、正式には「トムソン・ロイター引用栄誉賞」と呼ぶ学術賞の発表がこれです。
科学の世界では、自分の研究を論文として発表しますが、多くの人に引用される論文は、波及効果が大きく、その分野全体に貢献したと見なすことができます。そこで、同社は引用件数の多い論文を書いた研究者をノーベル賞の有力候補者として発表するのです。
未来館の科学コミュニケーターによる予想も、このトムソン・ロイターの予想は大いに参考にさせてもらっています。ほかにも、生理学・医学賞であればラスカー賞、物理学賞であればフランクリン・メダル賞など、いくつかの有名な賞も参考にしています。
そして、一番考えるのは、「今年」受賞するとしたら、誰か? 生理学・医学賞であれば、新薬が開発されたりして治療が可能になると、その基礎研究をした方が受賞することがあります。また、物理学では、実験で検証されたときに、その理論を提唱した人が受賞することがあります。つまり、最近の科学界や社会の流れも、ノーベル賞の予想では大事になるのです。
それでも、予想は絞りきれないのですが、最後には、科学コミュニケーター個々人の「この研究者はすごいから紹介したい!」という思いで決まります。
皆さんも予想をしてみてはいかがでしょうか? 今年のノーベル賞が何倍も楽しくなると思います。
著者プロフィール
詫摩雅子
日本科学未来館・科学コミュニケーター
新聞の科学部、科学雑誌の編集部にいること20数年。この世界は進みが速いから、自分は科学や技術のもはや"歴史"を見ていたのだと、ある日突然、気がつきました。未来館には2011年春より勤務。