東京大学 大気海洋研究所(AORI)は9月10日、海洋大循環モデルによる数値シミュレーションにより、太平洋における「海洋深層循環」の強さを制御する仕組みとして、海底から離れた場所で起こる「潮汐混合」が重要な役割を持つことを明らかにし、これまでの海洋大循環モデルではうまく再現することができていなかった太平洋深層における「水塊年齢」の分布を、この潮汐混合の効果を組み込むことによって再現に成功したと発表した。
成果は、AORIの岡顕 講師、東大大学院理学系研究科 地球惑星科学専攻の 丹羽淑博 特任准教授らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、9月日9付けで英オンライン科学誌「Nature Communications」に掲載された。
海のコンベアベルトとも呼ばれる海洋深層循環は、海洋の表層と深層をつなぐ大規模な循環であり、1000年程度の時間をかけて世界中の海を巡っており(画像1)、数100~数1000年の時間スケールで引き起こされる気候変動の鍵となる。太平洋は海洋深層循環の上昇域に当たり、その深層には地球の気候を決める上で重要となる熱や炭素が多く蓄えられており、その分布は海水の水塊年齢分布と密接に関係している。なお水塊年齢とは、水温や塩分などが比較的一様な海水のかたまりのことを水塊と呼び、それが海面から沈み込んだ後、海中でどの程度の時間が経過したかを表すもののことをいう。
これまでの研究により、大気により高緯度域で冷却、低緯度域で加熱されることが海洋深層循環の駆動力となっていることに加えて、その循環の強さを制御しているものは、海面からの熱を海洋内部に伝える仕組みとして働く「鉛直混合」(上下の海水がかき混ぜられること)であることが知られていた。
さらに、この鉛直混合の強さを決めているものは、月や太陽が起こす潮の満ち引き(潮汐)によって生じる海水のかき混ぜ(潮汐混合)であるとの考えが注目されている。つまり、月や太陽による潮汐力が海水を動かすことにより、まずは「順圧潮汐流」が生じ、次にその流れが海山や海嶺(海底にある山や山脈)などにぶつかることによって「傾圧潮汐流」に転嫁され、さらにその傾圧潮汐流が不安定となって細かく崩れる「カスケードダウン」で乱流が生じ、鉛直混合が引き起こされることがわかってきたからだ(画像2左)。
ちなみに順圧とは鉛直方向に一様であることを意味し、順圧潮汐流は流れの向きや強さがどの深さにおいても同じになる点が特徴である。もう一方の傾圧とは鉛直方向に一様でないことを意味し、傾圧潮汐流は深さによって流れの向きや強さが変わる点が特徴だ。
実際に、近年の乱流観測により、海山や海嶺などが多く存在して地形が平坦でない海底(以下「粗い海底」と表記)の近くでは、ほかの場所に比べて非常に強い鉛直混合が生じていることが明らかになっている。
一方で、海洋深層循環を再現するために用いられる海洋大循環モデルにおいては、「鉛直拡散係数」と呼ばれるモデルパラメータ値の大きさを与えることで鉛直混合の効果が取り入れられているが、潮汐混合の複雑な空間分布は考慮されておらず、通常は水平的に一様な分布が仮定されていた。
近年の研究では、前述した粗い海底の近くで見られる非常に大きな鉛直拡散係数が着目されており、潮汐モデル計算に基づいてその分布を見積もった上で、海洋大循環モデルに与えて海洋深層循環を再現する試みもなされてきている。しかし、太平洋における海洋深層循環の強さが過小評価されているなど、水平的に一様な鉛直拡散係数分布を用いた場合に比べて必ずしも深層における再現性がよくならないという問題があった。
そこで今回の研究では、まずは先行研究と同様な方法で鉛直拡散係数が見積もられ、その分布を海洋大循環モデルに与える数値実験の実施からスタート。ここでは、単位時間・単位面積当たりに順圧潮汐流から傾圧潮汐流へと転嫁されるエネルギー量を表す「傾圧潮汐エネルギー転嫁率」の分布を潮汐モデルにより評価した上で(画像3)、その一部がすぐさま海底付近でカスケードダウンし鉛直混合を引き起こす(以下「near-field mixing」と表記)と仮定して、鉛直拡散係数の全球分布が見積もられた。
その際、海底付近でカスケードダウンを起こさなかった残りの傾圧潮汐流は、海底から離れた場所に伝播し、いずれは海洋内部波との相互作用などを通じてカスケードダウンし鉛直混合を引き起こす(以下「far-field mixing」と表記)と考えられるというが、その空間分布については考慮せずに空間的に一様な鉛直拡散係数の背景値を維持するとみなしている。
次に、先行研究の方法に変更を加え、far-field mixingの空間分布を考慮した新しい方法により鉛直拡散係数が見積もられ、その分布を海洋大循環モデルに与えた数値実験が行われた。ここでは、far-field mixingの空間分布を評価するために、単位時間・単位面積当たりに傾圧潮汐流がカスケードダウンし消散するエネルギー量を表した「傾圧潮汐エネルギー消散率」の分布(画像4)が利用されている。
この分布は、先行研究で用いられた「2次元順圧潮汐モデル」では得られなかったものであり、傾圧潮汐流を陽に表現できる「高解像度3次元潮汐モデル」の結果を用いることで、今回初めてfar-field mixingの空間分布の評価に利用することに成功した。さらに、水平的に一様な鉛直拡散係数を用いた海洋大循環モデルによる数値実験も行った上で、それらの結果の比較が行われたのである。
Near-field mixingに着目した従来の方法で見積もった鉛直拡散係数の下では、先行研究と同様、太平洋における海洋深層循環の強さは過小評価となった一方、水平的に一様な鉛直拡散係数、およびfar-field mixingの空間分布を考慮した新しい方法で見積もった鉛直拡散係数の下では、観測からの見積もりと同程度の強さで再現された(画像5~7)。
この結果は、太平洋における海洋深層循環の強さを制御する上で、潮汐によるfar-field mixingが重要な役割を持つことを示しているという。つまり、near-field mixingによって粗い海底付近では非常に大きな鉛直拡散係数が実現するが、海洋深層循環の強さを制御する上ではその影響は限定的であり、海面からの熱を海洋内部へ効率的に伝えるためには、海底から離れた場所での鉛直拡散係数の値がより重要な役割を持っていると示唆されるとした。
さらに、海洋中の放射性炭素同位体比(Δ14C)についてのシミュレーションを実施した結果、far-field mixingの空間分布を考慮した場合にのみ、太平洋深層の北東部においてΔ14Cが最小になるという観測データの特徴をうまく再現できることがわかった(画像8~10)。なおΔ14Cとは、地球上に存在する全炭素の量に対し、大気上層部で宇宙線により少量生成され、放射壊変により時間と共にその量が減少していく炭素の放射性同位体14Cの割合を表したものだ。
Δ14Cの値は時間と共に海中で減少するため、ある海水の持つΔ14Cの値は、その海水が海面から沈み込んだ後、海中でどの程度の時間が経過したかを表す水塊年齢の指標として利用される。つまり、Δ14Cの値が最小となる北東太平洋深層には、世界中の海の中でも最も古い水塊年齢を持つ海水が存在していることを意味しているというわけだ。この分布は、水平的に一様な鉛直拡散係数を用いたこれまでの海洋大循環モデルではうまく再現することができなかったが、今回の研究においてfar-field mixingの効果を組み込むことによって、初めてその特徴の再現に成功したのである(画像10)。
海洋表層に溶存している炭素や栄養塩は、植物プランクトンにより取り込まれた後、粒子状の有機物として沈降し海洋深層で溶解する仕組みがあり、このように生物活動を介して、海洋表層から海洋深層へと炭素や栄養塩が輸送される仕組みを「海洋生物ポンプ」と呼ぶ。水塊年齢が古い海水ほど、その海洋生物ポンプにより表層から供給される栄養塩や炭素をより多く蓄えることができる。よって、水塊年齢の分布は、海洋中の炭素などのさまざまな溶存物質の分布を明らかにする上でも重要というわけだ。
今回の研究成果は、潮汐混合が太平洋深層における水塊年齢の分布に大きく影響することを示したものであり、このことは炭素やほかのさまざまな海洋中の物質の循環を明らかにする上でも潮汐混合が重要な役割を持つことを示唆するものだという。
また、今回の研究で示された潮汐混合の効果を組み込むことにより、気候モデルにおいて海洋深層をより正確に再現できることが期待されるとする。このことは、気候モデルにおいて、とくに数100~数1000年の時間スケールで引き起こされる気候変動を精度よく再現するための重要なステップとなるという。今後は、潮汐と気候変動との関わりにも着目し、さまざまな時間スケールで引き起こされる過去や未来の気候変動の理解につながる研究を進めていく予定とした。