科学技術振興機構(JST)、東京大学(東大)、東京農工大学(農工大)の3者は8月12日、光を用いて物質を分子・原子レベルで操作するために重要となる、光の持つ電場の向きと大きさの時間変化を自在に制御できる手法をテラヘルツ光で実現したと共同で発表した。
成果は、東大大学院 理学系研究科 物理学専攻および大学院工学系研究科 光量子科学研究センターの五神真 教授、五神教授の研究室の樋口卓也氏、同・神田夏輝氏(兼理化学研究所)、同・小西邦昭特任助教、同・吉岡孝高助教、農工大大学院 工学研究院および農工大 光ナノ科学融合研究リングの三沢和彦教授、三沢教授の研究室の佐藤正明氏、同・鈴木隆行助教らの共同研究チームによるもの。農工大で開発された「光波形制御技術」を佐藤氏が東大に持ち込み、神田氏が開発した「テラヘルツ波偏光解析装置」と組み合わせ、2人が中心となって実験が進められた。東大の樋口氏は、この研究の重要な要素である波形制御法の理論の構築と、波形制御アルゴリズムの開発を担当している。研究はJST課題達成型基礎研究の一環として行われたもので、詳細な内容は現地時間8月11日付けで英科学誌「Nature Photonics」オンライン速報版に掲載された。
テレビや携帯電話で使用されている電波も、目で見ることのできる可視光も、どちらも電場と磁場の振動が空中を伝わる電磁波の1種である(赤外線、紫外線、X線、ガンマ線もみな電磁波だ)。これらの波はその周波数によって区別され、可視光は電波よりも何桁も高い周波数を持つ。
電波は多くの物質を透過する性質があり、特定の化学物質のみを検知することなどが可能であるため、空港における安全検査などで利用可能だ。一方で可視光はレンズで結像することができ、レーザー光線のように直進させることもできるため、望遠鏡のように遠く離れたものを観察したり、顕微鏡のように小さなものを拡大したりするのに適しているといった特徴である。
周波数が可視光よりも100分の1ほど低く、携帯電話の電波よりも1000倍高いという両周波数帯域の中間にあり、周波数帯域が1012=テラであることから名付けられた電磁波がテラヘルツ光だ(画像1)。テラヘルツ光は、電波と同様に多くの物質を透過する性質を有しているのと同時に、可視光と同様に直進する性質も併せ持っており、近年、注目を集めている。テラヘルツ光は可視光では見ることのできないものを観察することができ、例えば封筒の中にある爆薬の写真を撮ったり、生体内の水の分布を調べたり、天体のガスの分布を観察したりすることができるというわけだ。
この特長に加えて、テラヘルツ光によって物質の性質を制御するという新たな応用が期待されている。一般に光が物質に当たると、物質中のイオンや電子は光の持つ電場によって、その方向に強制的に動かされる特性を持つ。光によって動かせる対象は、光の周波数によって決まっており、目に見える光は主に電子を強制的に動かすのに対して、テラヘルツ光は物質の構造の骨格となるイオンや分子を動かすことを得意としている。そのため、テラヘルツ光の電場の向きや大きさの時間変化を自由に設計できるようになれば、物質構造の制御に大きく近づくことが可能だ。そのため、現在、期待されているのである。
しかしこれまでのところ、光が持つ振動する電場の向きや大きさを制御することは非常に困難であり、うまくいっていない。技術の進歩の目覚ましい可視光の周波数領域であっても、完全に自在な制御は行われたことがないのが現状である。さらに、テラヘルツ光は近年になってようやく利用され始めたこともあり、電場の振動する方向を変化させることすら難しかったというわけだ
非常に短い時間幅の可視光のパルスレーザーを「非線形光学結晶(GaP)」と呼ばれる透明物質に照射すると、その時間幅と同程度の周期で振動するパルス状のテラヘルツ光が発生する。非線形光学結晶とは、周波数ω1とω2の2つのレーザー光を入射した時、主に入射光周波数の和ω1+ω2あるいは差ω1-ω2となる周波数を持つ光を発生させることのできる結晶のことをいう(この性質を持つ結晶は「2次の非線形光学結晶」と呼ばれる)。
非線形光学結晶に可視光のパルスレーザーを照射する方法によって作られたテラヘルツ光パルスは、その電場の振動が始まるタイミングを振動の周期よりはるかに細かい精度で定めることが可能だ。この開始のタイミングは光パルスの重要なパラメーターである。これを決められないと電場の振動の方向は決まっても向きを決めることができず、電場に沿って動く電子やイオンの運動が動き始める向きもわからなくなってしまう。このタイミングの制御の難しさが、可視光において電場の自在な制御の大きな障害となっていたというわけだ。しかし研究チームは、テラヘルツ光であればこの困難を容易に乗り越えられることから着目したのである。
しかしその一方で、テラヘルツ光の制御には大きな課題が残されていた。肝心のテラヘルツ光の電場の振動の方向を変化させることが困難だったのだ。そこで研究チームが考えたのが、テラヘルツ光パルスの発生に用いる可視光レーザーパルスの電場の振動方向を時間変化させ、そのレーザーを「3回回転対称性」(ある図形を120度回転させた時に元の図形に重なる性質をいい、360度1回転する内に元の図形に3回重なることから3回回転対称性と呼ぶ)という性質を持つ結晶に入射することで、発生したテラヘルツ光の電場の振動方向を操作するという方式である。
この方法なら、最初から目的の振動方向を持つようなテラヘルツ光を発生させることができるので、一度発生したテラヘルツ光の振動方向を後から変化させる必要もなく、困難な課題を乗り越えることに成功したというわけだ。そして可視光レーザーの電場振動方向の時間変化は、今回新たに開発された「ベクトル波形整形器」によって実現されたのである(画像2~4)。
さらに、目的のテラヘルツ光パルスを作るためには、どのような可視光レーザーパルスを用意すればよいのかという逆問題を解くアルゴリズムも新たに開発された。これまで技術的に制御が困難であったテラヘルツ光の特長を活かすという逆転の発想で、より技術の進んでいる可視光領域でも困難だった光の電場の向きと大きさの時間変化の自在な制御を可能にしたというわけだ。
画像2は、テラヘルツ帯電磁波の振動方向とその時間波形を任意制御する装置の概略図。可視光のレーザーパルスはまずベクトル波形整形器を通り、ここではレーザーパルスは回折格子によって色ごとに分けられた後、液晶素子によって変調を受け、再度回折格子によって1つのパルスに集められる。それにより瞬間的な偏光状態と光強度が制御されたレーザーパルスとなるというわけだ。このパルスを非線形光学結晶の3回転対称軸に沿って入射することで、レーザーパルスの瞬間的な電場振動の向きに追従するテラヘルツ光が得られるのである。
なおベクトルとは大きさと向きを持つ量のことで、光の波は振動の大きさ(振幅)、波の山と谷の位置(位相)という性質に加えて、光の進行方向に対して縦と横の2つの振動方向(偏光)を持っており、光の電場の向きと大きさで表されるベクトルを設計通りに時間変化させることをベクトル波形整形と呼ぶ。
画像2(左):テラヘルツ帯電磁波の振動方向とその時間波形を任意制御する装置の概略図。画像3(中):目的とした波形。画像4(右):実際に実験で得られたテラヘルツ光のx方向とy方向の電場波形。目的としたテラヘルツ光と同じ電場の向き・大きさを持ったテラヘルツ波を忠実に発生させることに成功した |
今回の成果は、光を自在に制御する新手法を実証したという基礎的意義にとどまらず、テラヘルツ光の応用の可能性を大きく広げる成果だという。電場の向きや時間波形が自由自在に設計されたテラヘルツ電磁波を使うことで、材料科学・生体分子計測・電波天文学などの基礎学術分野から情報通信・環境計測・医療診断などの実用分野に至る幅広い分野で活用の自由度が飛躍的に広がるものと期待されるとした。現在、光パルスの極短化に関する研究の進展が加速しており、今回の手法はテラヘルツにとどまらず、可視光までの広い周波数帯域に、今後活用されると期待されるとしている。