北海道開拓記念館は8月1日、滋賀県立琵琶湖博物館、名古屋大学年代測定総合研究センターとの共同研究により、同館が所蔵する化石がナウマンゾウとマンモスゾウであることを確認し、約4万5000年前の北海道にその2種類のゾウが共存していた可能性があることを発表した。
成果は、北海道開拓記念館の添田雄二学芸員らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、3月に同館が発行している「北方地域の人と環境の関係史 2010~2012年度調査報告」に掲載済みだ。
北海道北広島市音江別川流域の「野幌丘陵」において、1975~78年にかけて発見された5つの臼歯化石は、当時の研究ではすべて約70万年前に絶滅したマンモスゾウの祖先の「古型マンモスゾウ」と考えられていた。しかし、今回の研究でその内の3点がナウマンゾウ、1点がマンモスゾウであることが判明したのである。
画像1が、野幌丘陵で発見された5つのゾウ類の臼歯化石だ。1~3がナウマンゾウのもので、4が古型マンモスゾウ、5がマンモスゾウ(aとbは同じ臼歯を別角度で撮影したもの)。
また、化石中の放射性炭素を用いて年代測定を行った結果、4万6000年から4万5000年前という年代が得られ、その結果、種の同定を間接的に裏付けたと同時に、この年代に北海道でもナウマンゾウが生息していたことが初めて確認されたというわけだ(この年代の日本にいたゾウ類はナウマンゾウとマンモスゾウのみ)。
また、12万年から5万年前までの間にもナウマンゾウが生息していた可能性が判明。ゾウ類は群れで生活することから、当時は、札幌を含む野幌丘陵周辺にはナウマンゾウとマンモスゾウの群れが暮らしていたのだろうと推測された。
なお、これまで、日本でナウマンゾウとマンモスゾウの化石が両方発見されていたのは、北海道十勝地方の幕別町忠類村だけだった。ただし、これらの年代には約8万年もの差があり、また、道内で発見されていた23点の化石の内の15点の年代測定結果も2種のゾウが共存していたことを示さなかったのである。
そのことから環境と時代によって住んでいたゾウが異なっていたと考えられており、つまり氷期(寒冷期)には北方系のマンモスゾウが、間氷期(温暖期)には南方系のナウマンゾウが生息していたと考えられていたというわけだ。しかし、野幌丘陵で発見されたナウマンゾウとマンモスゾウの臼歯は、約4万5000年前に共存していた状態を示すという、定説とは異なるものだった(画像2)。
しかし野幌丘陵で発見された両ゾウの臼歯の化石は、直接地層から採取されたものではない。1970年代当時に、両ゾウの化石が一緒に埋まっていた様子が確認されているわけではないのだ。そのため、両ゾウが共存していたのか否かを判断するには、まず噴出年代が明らかな火山灰を頼りに化石が埋まっていた地層を特定し、そこから採取した花粉や植物の化石から当時の環境(寒暖)や植生(エサの有無)を詳細に復元する必要がある。それは今後の計画となっており、化石発見地点の地質調査を行い、古環境を復元しつつ、年代測定データも増やして総合的に判断する予定とした。
なお、野幌丘陵から発見された4つの臼歯化石は、北海道庁赤れんが庁舎2階「北海道の歴史ギャラリー」内で現在開催中のトピック展「野幌にもいた! ナウマンゾウとマンモスゾウ」で展示中だ。