東京大学、理化学研究所(理研)、科学技術振興機構(JST)の3者は7月19日、スイスのチューリッヒ工科大学(ETH)の協力を得て、2mm角に1万個以上の計測点を有する微小電極アレイ上に神経細胞を分散培養した試料を用いて、活動電位が神経細胞内を複雑な形状の軸索に沿って伝播する様子を可視化することに成功し、実験データから活動電位の伝播速度は一定ではなく、部位ごとに大きく異なることを明らかにしたほか、軸索の同じ部位でも日によって活動電位の伝播速度が変化することがわかったと共同で発表した。

東大 先端科学技術研究センターの高橋宏知講師、理研 生命システム研究センターのウルス・フレイ国際主幹研究員、ETHのダグラス・バックム研究員、同・アンドレアス・ヒールマン教授らの国際共同研究チームによるもの。成果は、研究の詳細な内容は、7月19日付けで英科学誌「Nature Communications」に掲載された。

ヒトの脳には、1000億個もの神経細胞があり、複雑な神経回路網が形成されている。神経細胞は細胞体と軸索から構成されており、神経回路網内の神経信号(活動電位)は、縦横無尽に張り巡らされた軸索に沿って伝播する仕組みだ。従来は、軸索は単なるケーブルで、脳の情報処理には関わっていないと考えられていた。しかし、最近の研究では、軸索が能動的に活動電位の伝播を調整しているというさまざまな状況証拠が得られており、これまでの常識は覆されつつあった。

その点を明らかにするために、活動電位が軸索に沿って伝播する様子をとらえる技術が求められていたのである。しかし、軸索は直径1μm以下と非常に細い上に、複雑に曲がりくねっており、そこを高速で伝播する活動電位の可視化は技術的に困難だった。

今回の研究では、分散培養された神経細胞の活動が調べられた。分散培養系では、神経細胞がシャーレ上にまかれると、やがて軸索を進展させて周りの細胞と情報を交換するようになり、自己組織的に神経回路網を形成する。

このような神経回路網の電気的な活動を観察するために、電極アレイが用いられる。従来の電極アレイでは2mm角に100個程度の電極が配置されていたが、今回の研究では2mm角に1万個以上の電極が配置された高密度電極アレイが用いられた(画像1)。この高密度電極アレイは、ETHの研究チームによって開発されたもので、各電極は神経信号を計測するだけでなく、電気刺激を加えることも可能だ。

画像1。電極アレイ上で神経細胞を培養した試料の電子顕微鏡像(ETHより提供された画像)。電極が約18μm間隔で理路整然と並んでいる

これまで、軸索を伝播する活動電位は信号強度が非常に微弱なため、電極を用いた細胞外からの計測対象にはなりえなかった。しかし、今回の研究では電極を用いて神経細胞に電気刺激を加えることで、再現性高く活動電位を発生させることに成功。これによって、電気刺激直後の神経活動が何度も計測され、それらを平均して信号を取り出すことができたというわけだ。その結果、活動電位が軸索に沿って伝播する様子がとらえられたのである(画像2・動画1)。

画像2。実験の概要。図左下部に電気刺激を与えて活動電位を発生させ、それが軸索に沿って伝播する様子を電極アレイで計測した
動画1。実験で得られた動画。(c) 東京大学/理化学研究所/科学技術振興機構

軸索内の活動電位の伝播速度を実測したところ、0.2~1.5m/sだった。伝播速度は、同じ軸索内でも場所ごとに大きく異なり、細胞体付近の太い部分では、軸索末端の細い部分よりも平均で3.7倍程度も速いことが判明。さらに、長期間の計測も試みられ、軸索の同じ部位でも日によって活動電位の伝播速度が変化することが確認された。また活動電位の伝播速度は、薬理刺激でも変化することも示されたのである。

これらの結果から、軸索は電気回路のような単なるケーブルではないことがわかるという。活動電位の伝播速度のばらつきや変化は、軸索が能動的な素子として脳内の情報処理に大きな影響を及ぼしていることを強く示唆しているという。

脳は膨大な数の神経細胞から構成されており、同様にコンピュータも膨大な数のトランジスタから構成されている。このような膨大な素子数からなるシステムで素子の配線は重要であり、配線のコストも非常に高くなるのはいうまでもない。例えば、脳内の配線は極めて複雑で、脳内の軸索の総延長距離は10万km以上(地球2周半)になるという試算もある。今回の研究で確立した手法を足掛かりにして、脳がどのような原理で細胞間の通信を効率的に実現しているかを解明できれば、新たなコンピュータの設計指針につながる可能性があるという。

今回の研究で確立した手法を用いて、脳内の情報処理において軸索が担っている役割とそのメカニズムを明らかにすることが、今後の重要な研究課題だ。また、活動電位の伝播速度が薬理的な影響を受けた事実に基づいて、軸索を新たな標的とする創薬の可能性が期待されるとしている。