京都府立医科大学は、抗うつ薬として臨床で使われているトラニルシプロミンをヒストン脱メチル化酵素(LSD1)だけに特異的に輸送して結合させるたんぱく質を標的としたドラッグデリバリ型分子(DDM)「NCD33」を作製し、実際にがん細胞の増殖を抑える効果があることを明らかにし、トラニルシプロミンよりも活性が300倍高い新しい抗がん剤候補分子であることを確認したと発表した。
同成果は同大大学院医学研究科 統合医化学専攻 医薬品化学の鈴木孝禎 教授らによるもの。詳細はドイツ科学誌「Angewandte Chemie International Edition」に掲載された。
子宮頚がんは、子宮頸部と呼ばれる子宮の出口より発生するがんで、ヒト乳頭腫ウイルスの感染によって発症することが知られている。日本における罹患者数は2005年のデータで約8500人、死亡数は2008年のデータで約2500人と報告されており、その予防のために2009年10月にワクチンが認可されたものの、ワクチン接種後の慢性的な痛みなどの副作用が報告されて、その利用に注意が必要となっている。
また、小児がんの1つで、副腎や交感神経節などの神経細胞の集まる場所に腫瘍ができるある神経芽腫は、小児がん患者全体の約1割を占め、およそ10万人に8人~9人の割合で症状が出るといわれており、日本でも正確な発生数は明らかになっていないが、年間150~200例が発症すると考えられている。
子宮頚がん細胞や神経芽腫細胞増殖のメカニズムは、近年の研究から徐々に明らかにされつつあり、LSD1が子宮頚がん細胞や神経芽腫細胞の増殖に関わることが報告されている。LSD1は、細胞の核内でDNAが巻き付いているヒストンたんぱく質からメチル基を取り除くことで、遺伝子の発現制御に関わっており(エピジェネティックな遺伝子発現制御)、子宮頚がん細胞や神経芽腫細胞に過剰に発現し、がん抑制遺伝子の働きを抑えることで、がん細胞の増殖を促すため、LSD1を阻害する薬剤が新たな抗がん剤になると期待されている。
LSD1によるヒストン脱メチル化。DNAは、細胞内ではヒストンたんぱく質に巻き付いた状態で存在し、ヒストンにメチルが付くかどうかで、周辺遺伝子の発現量を制御している。LSD1がヒストンを脱メチル化することにより、がん抑制遺伝子の働きが抑えられ、がん細胞が増殖することとなる |
しかし、LSD1の構造に似た酵素「モノアミン酸化酵素(MAO)」を阻害しないで、LSD1のみを阻害する分子を開発することは難しく、例えば、抗うつ薬であるMAO阻害剤「トラニルシプロミン」はLSD1も阻害するため、培養細胞実験および動物実験では抗がん効果を示すことが報告されているが、実際にLSD1阻害剤として臨床で用いられてはいない。
もし抗がん剤をがん細胞だけに送り込むことができれば、患者への身体の負担などを減らせることから、そうしたドラッグデリバリシステムの実用化に向けた研究が各所で進められてきたが、いずれもコストが高くなったり、投与方法が注射に制限されるなどの課題があった。
今回、研究グループは「患部」ではなく「たんぱく質」を標的とした新しいコンセプトのドラッグデリバリを提唱し、たんぱく質であるLSD1だけを阻害する小分子薬剤の開発に挑んだ。
具体的には、LSD1だけを阻害する抗がん剤候補化合物を見いだすために、トラニルシプロミンをLSD1に導くためのドラッグデリバリ型分子の設計を実施。同分子は、LSD1のみに強く結合する構造(輸送体)を持っており、トラニルシプロミンをつなげた輸送体は、トラニルシプロミンをLSD1に運び込み、LSD1に結合すると同時にトラニルシプロミンと離れ、そのトラニルシプロミンがLSD1内のFADと結合するという仕組みを採用している。
実際に分子を合成し、試験管内実験を行ったところ、合成化合物の1つであるNCD33が、MAOをまったく阻害することなく、トラニルシプロミンより80倍強くLSD1を阻害することが確認された。
トラニルシプロミンとNCD33のLSD1阻害活性およびMAO阻害活性の実験結果。IC50値は酵素の活性を50%阻害する濃度で、化合物の酵素阻害作用の有効度を示す値。値が小さいほど活性が高い化合物であると判断できる |
また、作用メカニズム解析から、NCD33が当初の設計通りの仕組みであり、LSD1だけを阻害できることが示されたほか、これらの分子の1つは、培養細胞系で子宮頚がん細胞の増殖をトラニルシプロミンより135倍以上強く抑えること、ならびに神経芽腫細胞の増殖をトラニルシプロミンよりも300倍強く抑えることも確認したとする。
トラニルシプロミンとNCD33のがん細胞増殖阻害活性の実験結果。GI50値は、細胞の増殖を50%阻害する濃度で、化合物の細胞増殖阻害作用の有効度を示している。値が小さいほど活性が高い化合物であると判断できる |
なお研究グループでは、今回開発された分子が、子宮頚がんや神経芽種などの新たな抗がん剤候補になるとするが、まだ培養細胞で効果を確かめた段階であるため、ヒトで効くかどうかはさらなる研究が必要だとしている。そのため今後、動物実験で効果や安全性を確かめ、臨床への応用を進めていく予定とするほか、今回提唱したコンセプトをもとにすることで、LSD1阻害剤以外にも、副作用の少ない新たな抗がん剤の開発につながることが期待されるとコメントしている。