東京大学は5月8日、個体が低栄養状態になると遺伝子「mir-235」が活性化し、前駆細胞が増殖したり分化したりするの防ぐことで、発育を抑制することを明らかにしたと発表した。
成果は、東大大学院 薬学系研究科 薬科学専攻の福山征光助教。同・博士課程学生の春日秀文氏(当時、平成24年卒業)、同・修士課程学生の北澤文氏、同・紺谷圏二准教授、同・堅田利明教授らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、日本時間5月6日付けで英国科学誌「Nature」オンライン版に掲載された。
個体の栄養状態は、幹細胞や前駆細胞の自己増殖や分化といった活動に影響を与えることが近年明らかにされつつある。このような幹細胞や前駆細胞の栄養応答は、個体の正常な発育、組織の恒常性維持、老化の進行といった生理現象の基盤をなすと考えられるようになってきたというわけだ。
経験的には、低栄養状態であればヒトを含めてあらゆる生物の成長が滞るのはわかっていることではあるが、マウスなどの多くの実験動物では幹細胞や前駆細胞を生きたまま時間を追って観察することが非常に困難であるため、細胞や遺伝子レベルでの栄養応答の詳細やそのメカニズムに関しては、多くの部分が未解明のままなのである。
そこで研究チームは今回、体が透明で、生きたまま幹細胞や前駆細胞の観察を容易に行うことができる、線虫の1種の「C.エレガンス」をモデル実験系として用いることにした。ヒトと線虫を見比べて共通点を探すとなると、科学的な知識がなければ「地球に棲んでいる動物」ぐらいしか思いつかなさそうだが、実はこれまでの研究により、遺伝子レベルで見た場合に両者は非常に多くの共通点を持つことが知られている。また、C.エレガンスの遺伝子操作は非常に容易であるため、数千もの遺伝子に対して、それらの遺伝子を欠失させた系統(欠失変異体)がすでに作出されているという優れた点も持つ。
今回の研究では、最初に幹細胞や前駆細胞の活性化制御に関わると推測される100余りの候補遺伝子の欠失変異体を1つひとつ観察し、幹細胞や前駆細胞の栄養応答に異常を示すもの探索する作業から始められた。その結果、mir-235の欠失変異体では、神経や筋肉の前駆細胞が、本来休眠状態で維持されるべき低栄養状態においても、活性化して増殖や分化を活発に行うことが見出されたのである。
mir-235は、microRNAという小さなRNAを発現することは知られていた。そこで、次にmir-235のmicroRNAの発現が調べられ、その結果、低栄養状態では発現が亢進し、高栄養状態では発現が減少することが観察されたのである。
mir-235は個体の栄養状態を把握しているわけだが、それにはヒトとC.エレガンスの両者に共通な仕組みである「インスリン/インスリン様成長因子シグナル伝達経路」が利用されていることもわかった。インスリン/インスリン様成長因子シグナル伝達経路が、高栄養状態に応答したmir-235の発現減少に必須だったというわけだ。
またこれまでの研究から、ヒトを含む多くの生物は、数百ないしは数千のmicroRNAを発現していることがわかっている。一般的に、microRNAは特定の遺伝子を「標的」とし、それらの発現を抑制する仕組みだ。実際に、mir-235を欠損した線虫や、高栄養状態でmir-235の発現が低下した線虫では、mir-235の標的遺伝子の発現が抑制されずに亢進していること、また、その標的遺伝子が前駆細胞の活性化に関与していることが今回の研究で明らかにされている。
これらの結果から、mir-235を介して栄養状態と発育を連動させる仕組みが明らかにされたというわけだ(画像)。つまり低栄養状態になるとmir-235の発現が増加し、標的遺伝子の発現が抑制され、神経や筋肉の前駆細胞が不活性化し、その結果それらの組織の発育が抑制される。それとは逆に高栄養状態では、インスリン/インスリン様成長因子シグナル伝達経路が活性化し、mir-235の発現が減少して標的遺伝子の発現が亢進し、神経や筋肉の前駆細胞が活性化して発育が促進されるというわけだ。
ヒトなどの哺乳動物は、mir-235とまるっきり同じというわけではないが、類似した遺伝子として「miR-92」を持っている。miR-92は白血病細胞などのがん細胞で発現が亢進していることがわかっており、がんの発生に関与していることも示唆されている遺伝子だ。また幹細胞の活性化機構は、がんの発生にも関与することが近年報告されている。
今後、哺乳動物における、幹細胞や前駆細胞の栄養応答やインスリン/インスリン様成長因子シグナル伝達経路とmiR-92の関係を調べることで、栄養状態が発育に影響を与える仕組みや、がんの発生メカニズムについて、遺伝子や分子レベルでの理解が進むことが期待されると、研究チームは語っている。