物質・材料研究機構(NIMS)は4月29日、ローレンツ電子顕微鏡法を用いて結晶に空間反転対称性が存在する強磁性マンガン酸化物のナノ磁気クラスターが自発的にスキルミオン(磁気渦構造体)を形成していることを明らかにしたと発表した。
同成果は、同所 表界面構造・物性ユニット 長尾全寛博士研究員(早稲田大学)、英紀博士研究員(現 東京大学)、原徹主幹研究員、木本浩司ユニット長、超伝導物性ユニット 磯部雅朗グループリーダーらによるもの。詳細は、英国科学雑誌「Nature Nanotechnology」のオンライン速報版に掲載された。
磁性体中にはナノスケールの磁気的トポロジカル欠陥というものが存在している。代表例としては強磁性ナノワイヤの磁壁があり、スピンが揃っている領域が左右で反転している際に反対方向へスピンが変化していく境界領域のことを指す。この磁性体中に存在するナノスケールの磁気的トポロジカル欠陥は非一様な磁気構造を持つことから、それを情報技術に応用して新しい磁気素子を作り出そうというスピントロニクスの研究が各所にて進められている。
磁気スキルミオンは2009年に磁性合金MnSiで発見された新たなトポロジカル欠陥で、その特徴的な磁気渦構造から、巨大な異常ホール効果発現の可能性が示唆されているほか、超低密度電流でスキルミオンを動かすことができるなど従来にない物性から、磁気素子への応用が期待されている。また、磁気スキルミオンの形成には、磁性体に空間反転対称性がないことが必須だと考えられており、これまで観測されたスキルミオンも、すべて空間反転対称性がない螺旋磁性体(MnSi, Fe0.5Co0.5Si, FeGe, Cu2OSeO3:これらは立方晶P213に属する)であり、その螺旋磁気秩序相に磁場をかけることでスキルミオンが形成される。
一方、MnSiで磁気スキルミオンが発見される10年前から強磁性マンガン酸化物および関連する強磁性酸化物の強磁性転移温度(TC)以上の常磁性相中に、巨大な異常ホール効果と思われる現象が観測されるようになっており、これらの物質にもスキルミオン的な磁気状態が存在する可能性が指摘されるようになっていた。しかし、MnSiなどの螺旋磁性体とは違ってペロブスカイト型結晶構造を持つ強磁性マンガン酸化物は空間反転対称性が存在しており、これらの強磁性酸化物でスキルミオンが存在する証拠を示したこれまで報告されていない。
一方、強磁性マンガン酸化物は、磁気スキルミオンに関する研究とは別に2007年のノーベル物理学賞の対象となった巨大磁気抵抗効果を凌ぐ超巨大磁気抵抗効果を示すため、その起源の解明に向けた研究が行われてきており、現在では常磁性相中にナノサイズの磁気クラスターが存在することが中性子散乱実験から明らかになっている。そこで今回、研究グループはこの磁気クラスターがスキルミオンに類似する磁気構造を形成していると考え、試料中にランダムに分布するナノ磁気クラスターを実空間で直接観察し、磁気構造解析が可能なローレンツ電子顕微鏡法を用いて、マンガン酸化物中のスキルミオンの探索を行った。
ローレンツ電子顕微鏡によるマンガン酸化物の強磁性相の研究はこれまでも行われてきたが、TC以上に存在するナノ磁気クラスターを捉えた例はなかった。これは、通常のナノ磁気クラスターが約2nmとローレンツ電子顕微鏡の分解能以下であることに起因しているためで、それに対応するため今回は、ナノ磁気クラスターの大きさを与える理論を基に比較的大きなナノ磁気クラスターが現れる可能性が高いLa0.5Ba0.5MnO3試料(TCは約300K(約27℃))の合成を行った。
TC直上の温度で同試料をローレンツ電子顕微鏡像で撮影したところ、比較的大きな磁気クラスターの観察に成功したほか、試料の温度を上げていくと同磁気クラスターのサイズが小さくなって行くことも判明した。
図2 La0.5Ba0.5MnO3の低倍率のローレンツ電子顕微鏡像(約300K付近で撮影)。矢印で示された場所で見られるコントラストが磁気クラスター(磁化状態のコントラストは正焦点から少し外すことで得られるため、図はマイナス側に僅かに焦点を外した条件で撮影された) |
そこで研究グループは、ナノ磁気クラスターの磁気構造の詳細な解析を実施。解析されたものが図3だで、(a)と(b)はそれぞれ焦点をマイナス側とプラス側に外して撮影されたナノ磁気クラスターの像。(a)では中心の白いコントラストの周りを黒いコントラストが囲んでおり、(b)では白黒のコントラストが反転しているのが分かる。この反転は磁化状態に由来するコントラストであることを示している。(a)と(b)像を使ってこのナノ磁気クラスターの面内の磁化分布を求めたものが(c)で、色の分布が磁化の向きを表し、濃度が磁化の強さを表している(挿入図)。また、矢印も方向と大きさがそれぞれ磁化の向きと強さを表している。
(c)の磁化分布マップはナノ磁気クラスターが渦状の磁気構造を持っていることを示すものであるほか、図では時計回り(Clockwise:CW)だが、試料中には反時計回り(Anticlockwise:ACW)も同様に存在していることが確認されたという。詳細な観察の結果、ナノ磁気クラスターの中心では面内磁化が存在せず(黒色領域)、中心から外側に向かって一度磁化強度が強くなってからまた弱くなるという面内磁化分布を示すことが確認され、この面内磁化分布は、磁気スキルミオンを上から見た時の面内磁化分布と同じであることが確認されたとする。
さらに面直方向から弱い外部磁場(B)をかけてその応答を調べたところ、(d)のナノ磁気クラスターでは無磁場(B=0T)から磁場をかけると(紙面手前から裏面へ磁場を印加、B=0.1T)サイズはそれほど変わらないが、中心の黒色領域が広がったほか、別のナノ磁気クラスター(e)では外部磁場をかけると(B=0.15T)中心の黒色領域にほとんど変化しなかったが、サイズが小さくなることが観測された。これは外部磁場と同じ方向の面直磁化成分が大きくなった結果、黒い領域が広がったと考えられるとのことで、(d)では中心付近が、(e)では外側付近が外部磁場と同じ方向の面直磁化成分を持っていることを示すものであると研究グループでは説明する。
この結果を受けて、研究グループは渦方向のCW・ACWと同様に、ナノ磁気クラスターの中心/外側では磁化の向きが上/下・下/上の2つの組み合わせがあると考えるのが自然であり、ナノ磁気クラスターはスキルミオン構造を形成していることを示し、空間反転対称性を有する強磁性体のナノ磁気クラスターやナノ粒子において、自発的にスキルミオン構造が形成される可能性を示唆するものだとしている。
さらなる研究として、スキルミオンの動的性質についても調査を実施したところ、半径が80nm程度以下になると、一定温度で磁気渦の方向がCW→ACW→CW→ACW→CW→…と繰り返し反転する現象が顕著になることが分かった。これは熱揺らぎの影響によるものだという。図4の(b)は2つのスキルミオンの中心距離が約200nmと近接している領域での動的な振る舞いを観察したもので、この観察から、2つのスキルミオンが近接する場合には同じ渦方向に同期して反転することが判明した。研究グループは、スキルミオンを含む磁気渦間にどのような動的相互作用が働くか理解することは磁気情報技術への応用(例えば、磁気論理回路への応用)を考える上で重要になるため、この結果はスキルミオン間の相互作用を利用した磁気素子の開発に新たな知見を与えると思われると説明している。
図4 スキルミオンの動的振る舞い。(a)はある温度におけるスキルミオン1個の動的振る舞い。磁気渦が時計回り(CW)・反時計回り(ACW)と交互に反転する様子が観察されている。(b)は2つのスキルミオンが近接する場合の動的振る舞い。黄色い点が各スキルミオンの中心部分を示す。磁気渦が同期して反転する様子が観察されている。(a)と(b)は共に正焦点からマイナス側に外した像 |
磁化を反転させて情報を書き込む・制御する磁化反転は、安定なナノ磁性体やナノデバイスの実現に向けて重要な要素となる。そこで、研究グループでは観察されたスキルミオンを例に磁化反転現象の観察を進めることでナノ磁性体1個の磁化反転の障壁エネルギーを求める方法も構築したという。
図5の(a)はある1個のスキルミオンの各温度(T)での磁気渦反転の時間変化を示したもので、わずかに温度が変化しただけで急激に反転の時間間隔が変化することが判明したが、この温度範囲内ではサイズは半径80nmからほとんど変化しなかったという。また、図5(b)は各温度Tに対する反転間隔の平均時間(tN)をプロットしたもので、指数関数的に変化していることが分かる。そして、tNをln(tN)にして1000/Tに対してプロットしたものが図5(c)であり、アレニウス式(tN=t0exp(Es/kBT),t0は頻度因子, kBはボルツマン定数)と呼ばれる式で得られる図中の直線と良い一致を示したことから、ナノサイズのスキルミオン1個の障壁エネルギーが決定されたとする(このスキルミオンではEs=1.4×10-17Jと見積もられる)。同手法はナノ磁性体やナノ磁気デバイスに広く適用が可能であるという。
図5 スキルミオン1個の障壁エネルギーの解析。(a)は温度変化させたときのあるスキルミオンの磁気渦反転(時計回り(CW)・反時計回り(ACW))の時間変化。(b)は(a)の反転間隔の平均時間tNを温度Tに対してプロットしたもの。(c)は1000/Tに対するln(tN)をプロットしたもの |
今回の研究成果は、スキルミオンを含む磁気渦構造体の磁気情報技術への応用において重要な知見を与えると考えられることから、今後、その起因の解明が求められると研究グループはコメント。また、これまで実験的に困難だったナノ磁性体の障壁エネルギーを求めることができるようにもなったことから、今後、磁化反転現象に対する研究が加速していくことが期待されるともコメントしている。