産業技術総合研究所(産総研)と東北大学 電気通信研究所(東北大通研)は4月11日、東北学院大学、東北福祉大学、国立障害者リハビリテーションセンター(国リハ)の協力を得て、視覚障害者のための「聴覚空間認知訓練システム」を開発し、同日より視覚障害関係者に同訓練システムのソフトウェアの無償提供を開始したと発表した(画像1)。

成果は、産総研 ヒューマンライフテクノロジー研究部門 アクセシブルデザイン研究グループの関喜一主任研究員、東北大通研の鈴木陽一教授、東北学院大の岩谷幸雄教授(元・東北大通研)、東北福祉大の大内誠准教授らの共同研究チームによるもの。今回の技術の詳細は、2013年6月22~23日に新潟県新潟市で開催される「第22回視覚障害リハビリテーション研究発表大会」にて発表される予定だ。

画像1。視覚障害者のための聴覚空間認知訓練システムのイメージ

「聴覚空間認知」とは、視覚障害者が聴覚を用いて、音を手がかりに周囲の空間の様子を把握する技能のことである。聴覚空間認知は、自動車のように音を発する物体の存在とその位置を把握する「音源定位」と、壁や柱のように音を発しない物体の存在とその位置をその物体による音の反射や遮音などを手がかりに把握する「障害物知覚」を含む。そのほかに、屋内の歩行では、残響を手がかりとして空間の広がりを知る技能が使われることもある。

これまでの視覚障害者の聴覚空間認知訓練では、視覚障害者が実際の生活環境の中で指導員の指導を受けながら、さまざまな周りの音を聞いて周囲の様子を知る経験を積み重ねていた。しかし、訓練初心者の視覚障害者にとっては恐怖心を覚えたり、危険を伴ったりする場合があり、また限られた生活環境を教材にした訓練しか行えないなど、安全性・効率性の面で改善する余地があったのである。

このような問題を解決するために、音響訓練技術に取り組んだ研究は、これまでに国内外に数例あった。しかし、それらは聴覚空間認知のごく一部の音源定位を再現しているだけで、また聴覚訓練システムとしては高価格で実際の訓練現場への導入が困難であるといった問題があり、実用できるレベルに達していなかったのである。そのため、視覚障害者の社会参加を促進できるよう、安全で効率的なリハビリテーションなどのための実用的な聴覚空間認知訓練システムが望まれていたというわけだ。

産総研と国リハは、2003年より、音源定位だけではなく障害物知覚を合わせた訓練方法の開発に着手し、2005年に聴覚空間認知訓練システムを完成させ、同時に、歩行訓練時のストレス軽減効果や、訓練生が本来の歩行経路から外れて歩いてしまう現象の軽減効果を実証している。しかし、このシステムも購入価格が約500万円と高価であること、また装置自体が大型で持ち運びができず、さらに頭部の位置・方向を計測できる距離範囲が1m以内であったため、訓練生が実際に歩行することができないといった問題があったのである。

そこで2008年より、東北大通研と共同で、東北学院大学、東北福祉大学などの協力を得ながら、聴覚空間認知訓練システムの小型化、広範囲化、低コスト化を実現する研究が進められてきた次第だ。

今回実用化された訓練システムは、専用ソフトウェア「WR-AOTSTM(Wide-Range Auditory Orientation Training System:広範囲聴覚空間認知訓練システム)」と、それを動作させるPC、ステレオヘッドホン、市販のゲームコントローラー(広範囲測位用)で構成される。これにより、視覚障害者が歩行の際に用いる周囲の音の移動や反射などの聴覚空間認知の手がかりを、3次元音響技術を用いて人工的に再現するものだ。この3次元音響処理は、高価な専用DSPを用いずに、東北大通研の技術「SifASoTM(Simulation environment for 3-D Acoustic Software)」を用いて一般に普及しているPCの汎用CPUの演算によって実現された。

なお今回開発された3次元音響技術は、ヒトの聴覚が音を発している物体の左右・上下・前後の3次元の位置を把握するメカニズムに着目し、ステレオヘッドホンやステレオスピーカーなどを通して聴取者に音を3次元の自由な位置に再現して聞かせるというものだ。通常のステレオ再生技術では、2つのスピーカーの間(ヘッドホンの場合は2つの耳の中間の頭の内側)にしか音を再現することができないのに対して、この技術は、左右上下前後の自由な位置から音が届いているように聞かせることが可能である。

また頭部位置計測については、数10万円~数100万円の高価格・高精度の狭範囲測位技術の代わりに、市販の数1000円のゲームコントローラーに内蔵されているジャイロセンサや加速度センサを用いた、低価格・低精度の広範囲測位技術を、ソフトウェア処理によって測位精度を安定化させて導入された(画像2)。これらの改良により、聴覚訓練の経済的負担が大幅に軽減された形だ。

また、ノートPCを用いてシステムの小型化に成功したことから、訓練生はこのシステムを使いながら、実際に歩くことができるようにもなった(画像3)。例えば盲学校のグラウンドなどのように広くて障害物のない敷地を用いて、訓練生が実際に歩きながら安全な訓練が実施できるようになったというわけである。

画像2。聴覚空間認知訓練システムの仕組みと働き。指導員が設計した訓練環境を、3次元音響を用いてわかりやすく安全に再現して訓練を実施する

画像3。訓練システムソフトウエアWR-AOTSTMのパソコン表示画面。指導員は、仮想訓練環境の様子を画面で確認可能だ

視覚障害者の訓練の現場では、実際の生活環境の中での歩行訓練を行う前に、訓練初心者を対象としたシミュレーション訓練に使用されるという。今後は、継続的に訓練現場からの改善要求などに基づいてシステムの改良を行っていくと研究チームは語る。また、聴覚空間認知訓練システムを活用して訓練を実施できる指導員の養成を行うとしている。