いま、クリエイターのあり方は多様化している。クリエイティブ業界で職を得て働くことを目指す人がいる一方で、これまで築いてきたキャリアにデザインの力を生かすべく、教育機関の門戸を叩く人もいる。後者の人たちは、デザインの分野では初心者であることが多いが、そんな人たちが未経験からデザインの方法論を学び、クリエイターとなるために必要なものは一体何だろうか。
今回は、現役の大学生や、会社に勤めながら授業を受講する人も多い「デジタルハリウッド グラフィックデザイナー専攻」にスポットを当て、担任講師、そして現役の受講生といった双方の立場から、「未経験からグラフィックデザインを行う上で必要なこと」に迫っていく。
紙のデザインとWebのデザインの「違い」は?
――米倉さんが講師を担当しているグラフィックデザイナー専攻では、グラフィックデザイン(DTP)だけではなく、Webデザインも同時に学ぶとのことですが、ふたつのデザイン分野を同時に学ぶ理由やメリットについてお聞かせください。
米倉氏: グラフィックデザインといえば"紙"のデザインを指しますが、授業ではタイポグラフィー、レイアウト、配色といったデザインの基礎をひと通り学び、そのアウトプットのひとつに紙があるという捉え方をしています。デザインという大きな枠の中で、ひとつのアウトプットに縛らず、紙やWeb、スマホアプリのUIなど、どんなアウトプットにも対応できるデザイナーを育てたいと考えています。
グラフィックデザイナー専攻 担任講師の米倉明男氏。印刷会社/Web制作会社のデザイナー/ディレクターを経て、AOLジャパンのアートディレクターとしてUI設計などを手がけ、現在はフリーランス。主に企業やメディアのWebサイト構築とプランニングなどに携わっている |
――印刷物とWebのデザインで、注意すべき点に違いはありますか?
米倉氏: 印刷物もWebもデザインの基本は変わらないですが、違っているのは見ている人の状況だと思います。例えば、ポスターであれば離れた位置から見ますし、WebサイトであればPCとユーザーの距離で見ますので、それぞれの距離に対して適切な大きさや配色、文字の使い方などは変わってきます。
また、私自身商業デザインに携わっているため、クライアントの意向を重視するという前提はあるのですが、そればかりでは良い物はできません。成果物を見ているユーザーがどのように感じるのか、見たことで幸せになったり、あるいは何かの行動を起こすきっかけになるのか、ということを考えています。
――グラフィックデザイナー専攻の一年の流れを教えてください。
米倉氏: この専攻の授業は、社会人や大学生の方でも通えるように、週末の1日を使って、1年間じっくりと学べるようになっています。前半では、タイポグラフィーや配色、レイアウトといったデザインの基礎を学びながら、一番簡単なアウトプットとして名刺のデザインからスタートします。それから段階を踏んで、徐々に大きなもの、チラシやポスターといった大きなアウトプットに取りかかります。その都度、受講生のデザインスキルを確認しながら進んでいきます。
こんな方法を取っているのは、デザインする対象が大きくなるほど色々な要素が入ってきますので、小さい対象から始めた方が文字や空間の使い方などをひとつずつ学んでいくことができるためです。初期の段階では、文字だけのモノクロ限定といった課題も出していますが、それでも生徒一人ひとりの個性が出ますね。
こうして紙のデザインをひと通り学んだら、中間課題としてインフォグラフィックスの制作に取り組んでもらいます。インフォグラフィックスは、名刺やチラシなどのように決まったパターンが無いため、情報をいかにしてビジュアル化させるのかが問われる難しい課題です。これをどう乗り越えるのかで、その後の成長具合も変わってきますね。
後半からはWebデザインを学び始めますが、この時点でデザインの基礎はできていますので、テーマに沿ったWebサイトを半年で3~4本制作していきます。また、数人で役割を分担してひとつのWebサイトを制作するグループワークも行います。HTMLの基礎はインタフェースのデザインと同時進行で学び、静止画レベルでのデザインができるようになったところで、javascriptも1カ月ほど教えています。そして、最後に卒業課題の制作を行い、1年間のカリキュラムが修了します。
グラフィックデザインを学ぶ「動機」を現役受講生に聞く
――まず松田さんにお聞きしたいのですが、東京大学の教養学部に在籍しながら、グラフィックデザインの勉強をしようと考えたきっかけなどあればお教えください。
松田氏: きっかけは高校時代にさかのぼるのですが、全校生徒の前で映像作品を発表する機会があったんです。今思うとつたない作品ですが、好評を得ることができました。しかし、大学に入ってからのゼミで同じような機会を得たときはうまく表現できず、まったく成長していないことを実感したんです。そこで、「デザインのスキルを学びたい」と思うようになりました。
その流れから、最初は映像編集に興味を持っていたのですが、同時にデザインを広く学びたいという思いもあり、グラフィックやWeb、映像などのさまざまなデザインが学べるグラフィックデザイナー専攻を選択しました。
――小林さんは仕事柄、JQueryやPHPなど複数のプログラミング言語の知識をお持ちとのことですが、この専攻を選んだ理由を教えてください。
小林氏: 仕事では、サーバー一体型のソフトウェア開発を行っています。手がけているのはWebブラウザで操作するソフトなので、HTMLやCSSも使うことはできます。しかし、現在の進歩したWebデザインを見ると、自分の知識が古くて幅が狭くなっていると感じてしまって。そこで、自分の知識を一新するために、グラフィックデザイナー専攻に通い始めました。
――現在、グラフィックデザイナー専攻を受講されているおふたりにお聞きしたいのですが、現在受けている授業は、おふたりが目指す学問や職業に生かされそうだという手応えはありますか?
松田氏: 大学では都市経済を学んでいて、将来的には都市づくりに関わっていきたいと思っています。そのために、大学で学んでいる経済と、デジタルハリウッドで学んでいるデザインの知識、その両方が必要だと考えているんです。
この専攻の授業は週1回ですが、校内のパソコンは24時間いつでも使えます。また、Facebookでクラス専用のグループを活用していて、メンバーと積極的にコミュニケーションがとれたり、先生に質問したりすることもできます。また、作品の途中経過をアップして意見交換することもあり、とても勉強になりました。
小林氏: この専攻で学んだ知識は、今の仕事で生かしていきたいと思っています。すでに、ソフトのインタフェースを制作する作業の速度が向上するなど効果を感じています。また、新商品の開発があればこの専攻で得た知識を役立てていきたいです。
グラフィックデザインを学ぶ心構えと、必要な資質は?
――今回同席いただいている現役生の小林さんや松田さんのように、Webデザインの初心者から実務に必要なスキルを身につけるまでは、どういった心構えや学習が重要になるのでしょうか?
米倉氏: 初心者がWebデザインを行う際に陥ってしまいがちなのは、自分にしか分からない世界観で、ひとりよがりなWebを作ってしまうことです。Webはポスターやチラシなどよりも実用性が高いので、授業では実際に使用できるテーマを選んでいます。例えば、「この企業のWebサイトをリニューアルするイメージで制作してください」といった課題などですね。
また、生徒には「既存のWebサイトの分析や研究をしてください」と常に言っています。新しいインタフェースも必要ですが、100%が新しいインタフェースで構成されたWebサイトは、ユーザーが戸惑ってしまうと思います。そこで、既存のインタフェースの主流をよく理解したうえで、自分のオリジナリティーを乗せていくように指導しています。
その練習方法のひとつとして、海外のポスターやWebサイトなどのトレースを取り入れています。何かをデザインするにしても、最初はどうやったら良いのかまったく分からない状態なので、トレースすることで「形」を自分の中に取り入れてもらいます。特に、Webデザインの勉強では重要な作業で、私自身もトレースの練習を重ねることで上達しましたし、生徒たちを見ていても、トレース練習以降の作品はきちんとしたWebサイトのレイアウトに変わりましたね。
――初心者の方の中にはいわゆる「絵心」がない方もいるかと思います。その場合、Webデザインやグラフィックデザインを手がけるにはどういった努力や工夫が必要になるでしょうか?
米倉氏: 絵が描けることはメリットであり、それを伸ばすのもひとつの方法です。しかし、絵が描けなくても美しい書体を選ぶなど、他の方面を武器にすれば良いと思うのです。
美術作品の制作は個人の感性に依存する部分が大きいと思いますが、デザインの場合は、テーマに合った書体や配色、レイアウトを選択する理論がしっかりと身に付いていれば、美術的なセンスに頼らなくても、デザインを行うことができると思います。
――デザインの現場で活躍しながら、教育にも携わっている米倉さんが考える「今後のクリエイターに必要なこと」について、これからデザインを学ぶ人へのアドバイスとしてお聞かせいただけますか。
米倉氏: デザインを志した最初の頃は、誰しも自分の伝えたいことや好きなことを表現しようとするものです。ですが、その視点をユーザーの目線に切り替えて、「見た人がどう思うのか」、「何を求めているのか」を考えられるようになれば、大抵の案件は乗り越えられるようになると思います。
今後のデザイナーに必要なことは、広い視点で、さまざまなジャンルの「良い物」をリサーチしインプットすることだと思います。自分自身も良い物をたくさん収集して、その中から案件にマッチする物をピックアップして作品へとアウトプットするタイプなので、私自身もリサーチは常に心がけています。
数年後にはどんなメディアやデバイスが主流になるのか分かりませんが、デザインの基礎さえ分かっていれば、どんなメディアにも対応できると思いますし、対応できるデザイナーになってほしいですね。
撮影:佐藤徹三