分子科学研究所(IMS)は、熱膨張のない合金「インバー合金」の起源を理解する目的で、正方格子を形成するマンガン・ニッケル(MnNi)二元系ランダム合金の平均結晶構造と局所構造を解析し、この系においては、正方格子の長い辺に熱膨張が生じないインバー効果が、正方格子の短い辺に熱膨張が通常より大きい逆インバー効果が同時に生じていることを見出したと発表した。

同成果は、分子研の横山利彦教授、総合研究大学院大学物理科学研究科の江口敬太郎博士課程院生らによるもので、詳細は米国物理学会の物理専門速報誌「Physical Review Letters」オンライン版に掲載された。

インバー合金は1897年に発見された鉄ニッケル合金(原子組成:鉄65.4%、ニッケル34.6%)で、極低温から室温以上までの広い温度範囲にわたってほとんど熱膨張しないという特長を持つ。現在、インバー効果を示す物資は複数知られるようになっており、今回研究グループは、結晶が正方格子(底面が正方形の直方体)をとり、縦方向の1辺は熱膨張がなく(インバー効果)、横方向の2辺は普通より大きな熱膨張(逆インバー効果)を示すほか、温度が上がると立方格子に変わり(マルテンサイト変態)、形状記憶性を持つという特長を持つマンガン・ニッケル合金を対象に、この系でインバー/逆インバー効果が同時に生じる理由の解明を目指した研究を進めた。

インバー合金に限らず、2種類以上の元素がランダムに分布する合金の構造は、例えばマンガン・ニッケル合金では、ニッケルが多く集まっている部分と少ない部分が混在することとなり、さまざまな種類の格子が構成されることとなるが、これらの格子ひとつひとつはすべて同じ大きさとは限らないという課題ある。平均的な格子の大きさを知る手法としてX線回折があるが、格子の大きさが場所によって同じか違うかを知るには局所的な構造を知る必要があることから、今回の研究では、局所構造の解析により、シンプルな合金での複雑な構造の検討が行われた。

マンガン・ニッケル合金の結晶構造。左は1つの正方格子を取り出したもので、おおよそ頂点と各面の中心に原子が存在する。右はマンガン88%、ニッケル12%合金の構造で、マンガンとニッケルの配置は完全にランダムになり、縦方向の長さcが横方向の長さaに比べてやや長い直方体となる

具体的には、マンガン・ニッケル合金(マンガン88%、ニッケル12%)の格子定数は、分子研・機器センターの極低温粉末X線回折装置を用いて、局所的な構造・熱膨張は、高エネルギー加速器研究機構・物質構造科学研究所の放射光研究施設フォトンファクトリ・ビームライン9Cにおいて、X線吸収微細構造分光(XAFS)を用いて観測が行われた。また、マンガン、ニッケル原子の周囲に混在するマンガンやニッケルについては、それぞれの元素の周囲の平均原子間距離の温度変化を求めたほか、量子ゆらぎを含めた理論シミュレーションを経路積分有効古典ポテンシャル法で行ったという。

(a)は、マンガン88%、ニッケル12%合金の格子定数a(○)、c(●)の温度変化。格子定数の温度変化の実験結果(誤差バーつき●と○)を理論計算結果(赤の実線)と合わせて示している(縦軸の距離単位はÅ)。長い辺cは熱膨張がほとんどなく、短い辺aは熱膨張があることがわかる。一方の(b)は、X線吸収微細構造分光により決定したマンガン(●、○)およびニッケル(□)周囲の結合距離の温度変化。マンガン周囲では2種類の結合距離(誤差バーつき●と○)があるのに対し、ニッケル周囲では1種類の結合距離(誤差バーつき□)しかないことがわかる。ちなみに、同合金の構造は、立方体を少し縦長にした正方格子で、ある原子の周囲には、8つのやや長い結合と4つのやや短い結合があるものと考えられ、確かにマンガンの周囲は、2種類のマンガンの結合が存在し予想と合っているものの、ニッケル周囲は正方格子にもかかわらず12個の結合がすべて平均的には同じ距離となり、X線回折では予想できない構造を示している。これについて研究グループでは、実際のひとつひとつの格子は完全な正方格子ではなく歪んでいるほか、ニッケル周囲の結合距離は実は1種類でも2種類でもなく、もっとたくさんの種類の距離があることで説明がつくと説明している

さらに、実験的に得られた熱膨張を示すモデルをいくつか考え、シミュレーションによりどのモデルが最も適当かを考えたところ、最適の計算結果の場合、格子定数も結合距離も実験とよく一致することが確認された。同モデルでは、マンガン原子が、低温で卵型、高温で球形の2種類の状態をとり、卵型の長い軸はc軸方向に向きを揃えており、温度上昇にともない球形のマンガンの割合が増え、a軸とc軸の距離の差が小さくなるほか、球の直径(2.62Å)が、卵型の短い直径(2.57Å)よりかなり大きく、長い直径(2.64Å)よりわずかに短いという状況が実現されたという。

また、ニッケル原子は温度によらず球形の1種類しかないことから、長い辺c方向では熱膨張のないインバー効果、短い辺a方向では熱膨張が大きい逆インバー効果が生じたものと考えられたと研究グループは説明する。さらに、マンガン原子が卵型から球形に変形することについては、マンガン原子に局在する電子の数が変わることに由来しており、同合金ではマンガンは卵型をとったほうがエネルギー的に安定ながら、温度が上昇すると無秩序な球形マンガンの濃度が高まり、その結果として熱膨張に異常な現象が観測されることになったともする。

マンガン88%、ニッケル12%合金中のマンガン原子の様子。低温では縦に長い卵型だが、高温になると球形のマンガン原子の割合が増える。卵型の長い方向は結晶のc軸を向いており、a軸方向は熱膨張が大きく、c軸方向は熱膨張がないことが導かれた

なお、最近の研究から、熱膨張のないインバー効果を示す物質のほか、温度上昇とともに縮む負の熱膨張を示す材料などが開発されるようになってきている。産業界からのニーズとしても、超精密機器の実用化に向け、温度変化の影響を受けない高精度な部品材料の実現が求められていることを受けて研究グループでは、今後のさらなる新たな材料の開発を進めていくためには、奇妙な熱膨張特性を示す理由の理解に向けた研究を今後も継続していく必要があるとコメントしている。