物質・材料研究機構(NIMS)は2月6日、河川や湖沼などに微量に溶解した有害物質である水銀イオンを、従来の分光法よりも10倍以上高い感度で検出できる赤外分光法技術を開発したと発表した。

成果は、NIMS 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点のホアン・ヴ・チュン博士研究員、同・長尾忠昭グループリーダー、同・青野正和拠点長らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、2月6日付けで英国オンライン総合学術誌「Scientific Reports」の速報版に掲載された。

2013年1月に国連の政府間交渉にて、水銀を使った製品の製造や輸出入を2020年以降、原則禁止するいわゆる「水俣条約」が合意されるなど、有害物質として水銀の規制が進んでいる。水銀の主な放出源は、石炭火力発電所や金鉱、途上国の小規模鉱山や金属精錬工場のほか、火山活動や火葬場(入歯のアマルガムの蒸発)などからの排出も問題となっている。また、一部の乾電池や蛍光灯、体温計、血圧計などにも含まれており、日常生活においても被曝する危険性が存在している。

その総排出量の3分の2はアジア地域で、そのうち石炭火力発電からの放出が半分近くに達していると言われており、中でも大気汚染が深刻な問題となっている中国は、2010年の大気排出量の内、少なくとも3割を占めるといわれている。また、東南アジア、南米、南アフリカなどでの小規模な金採掘で需要が高く、化学工業用の触媒からの水銀の排出量と合わせると、世界の総排出量の5割を超えるとされる。

水銀は、水環境中において酸素と結びついた「Hg0」やイオン化した「Hg2+」の形で溶け込み、一部はメチル水銀となってそれが食物連鎖を通じて魚類などの体内に蓄積し、それを摂取した動物(特にヒト)の脳疾患やほかの慢性疾患の原因になるとされている。

環境中の微量の水銀は生体内に時間をかけて蓄積され、自覚症状のないまま緩やかに汚染が進行するため、低濃度の水銀であっても早期に検出し対策を講じることが求められ、大気環境の観測と共に水環境中の水銀イオン(Hg2+)のモニタリングも重要となってくる。従来、微量な水銀汚染を検出する方法としては、ガスクロマトグラフィや「還元気化原子吸光法」などが用いられてきたが、これらの方法では専用の高価な装置を導入し、検出対象からメチル水銀を適切に抽出処理することなどで、ppbやpptレベルの感度で水銀を検出していたため、既存装置を用いて、簡便に計測する手法を確立できれば、より安価に水銀汚染を監視することが可能になることが期待されていた。

そうした方法としては、例えば、光を用いる簡便な検出方法として、水銀と反応する試薬の色で見分ける「比色分析法」が知られているが、検出感度はppm程度にとどまっており、より高感度化することが求められていた。そうした要求を受けて研究グループは今回、ナノスケール間隙を高密度に有する金ナノ構造の表面に、水銀イオンを選択的に吸着できる分子をコートした材料を開発。金によるナノスケール間隙に電磁場を強く集中させることで、計測の妨げとなる水からのバックグラウンドスペクトルを低減できるほか、電磁場集中効果により分子振動のスペクトルを増強させることで、通常のフーリエ変換赤外吸収分光装置を用いて水銀イオンの存在を高感度に検出することに成功した。

画像1。表面コーティング材料で覆われた金表面のナノスケール間隙の模式図

今回の技術開発では、物質の原子・分子振動を高感度に計測することが可能ながら、水自身の振動スペクトルが邪魔をするなどの影響で水中での微量物質の計測には難があった赤外線の課題を克服しつつ、赤外分光の長所である分子振動に対する高い感度を高めることで、水中の微量の水銀の検出に成功したという。

実際の実験として、水銀で汚染された環境水を模すために、霞ヶ浦の水を用いて、採取した水の汚泥を簡単にろ過した後に、微量の塩化水銀(II)溶液を注入し、計測を行った。具体的には、霞ヶ浦の水の中の塩化水銀(II)の濃度を、36.8ppbから36.8pptまで変化させ、全反射の光入射条件で赤外吸収分光測定を実施。水銀を選択吸着させる表面コーティング材料には、チオール基で終端した15個のチミンを塩基列に持つDNA分子「DNAアプタマー」を採択。このDNAアプタマーをAu表面上にコーティングし、これに水銀イオンが取り込まれる際のスペクトル強度を計測。この強度が水中の水銀濃度にほぼ比例することが確認された。

画像2。環境水を採取した霞ヶ浦

画像3。表面コーティング材料(DNAアプタマー)の模式図。水銀イオンだけが選択的に吸着し、生体分子は吸着しない

金ナノギャップの中で分子がHg2+を取り込むと、DNAアプタマーの構造が変化し、増強された赤外スペクトル中の1400cm-1の振動数にピークが生じる。スペクトル中には、霞ヶ浦の水中に存在する生体由来のアミノ酸やタンパク質によるスペクトルも同時に計測されているものの、水銀由来のスペクトルとよく分離しているため影響はほとんどないことが確認されたという。

画像4。霞ヶ浦の水の中の塩化水銀(II)の濃度を36.8ppbから36.8pptまで変化させ測定した赤外吸収スペクトル。赤色のスペクトルは水銀イオンによるスペクトルで、緑色のスペクトルは霞ヶ浦の水の中の生物に由来するアミノ酸やタンパク質などの生体分子の吸収スペクトル

画像5。水銀のスペクトル強度を縦軸に、水銀イオンの濃度を横軸に取ってプロットしたもの。黒い四角で表示されたデータ点が水銀イオンに関連したスペクトル強度。α、β、γの各スペクトルは霞ヶ浦の水に含まれるアミノ酸、タンパク質などからのスペクトル。水銀のスペクトルのピークに目をやると、その大きさが水銀イオンの濃度にほぼ対応していることがわかり、赤外吸収スペクトル強度から水銀濃度が決定可能であることがわかった

今回開発された技術は、特別な前処理なしの環境水を市販のフーリエ赤外分光装置を用いて計測することを可能にするものであり、研究グループでは、実際の使用に際してコスト面・迅速さでのメリットが大きいことが考えられるとコメント。また、光を用いて水を分析する手法である「表面プラズモンセンシング法」や「表面増強ラマン散乱法」などと比べて、1~2桁程度優れた結果を示すことが可能だとするほか、水銀イオン以外にも、DNAアプタマーの塩基配列を変えることで、アミノ酸やタンパク質の検出も同レベルの感度で計測可能であるとしており、今後の水質管理や生体材料のモニタリングにおいて活用が期待されるとしている。