理化学研究所(理研)は1月31日、東京大学の協力を得て、同研究所が所有する大型放射光施設「SPring-8」が発するX線をシリコン結晶上にゲルマニウムを蒸着させた試料に照射したところ、結晶中に生じた「格子ひずみ」によってX線が2方向へ分岐し、横すべりを繰り返しながら伝播する現象を観測したと発表した。
成果は、理研 放射光科学総合研究センター 放射光イメージング利用システム開発ユニットの香村芳樹ユニットリーダー、同・XFEL研究開発部門の澤田桂特別研究員、同・石川哲也センター長と東大大学院 総合文化研究科の深津晋教授らの共同研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、米科学雑誌「Physical Review Letters」2月1日号に掲載された。
X線は、短波長であるため物質との相互作用が極端に小さく、屈折をほとんど起こさない。また、X線を集光する既存のレンズ製作技術の精度を上げることは難しく、可視光と比べてX線の軌道制御は困難だ。
しかし結晶の中では、一定の間隔で周期的に並んでいる原子の周期性がずれて格子ひずみが生じると、それによってX線の軌道が大きく曲がる。この現象は「X線の横すべり現象」と呼ばれ、澤田特別研究員ら(当時・東京大学大学院工学系研究科所属)が2006年に発表した論文で理論予言されていた。
さらに、2010年には香村ユニットリーダーらがシリコンの凹面をなす結晶面にX線を照射し、X線横すべり現象を実際に観測することに成功。これにより、同現象を利用した精度の高いX線導波管(X線を必要なところに導くデバイス)の実現の可能性が証明されたのである。
そこで共同研究グループは今回、より精密な軌道制御を行うには、高精度に格子ひずみを制御しX線の横すべり現象を起こす必要があると考えた。そこで、「ヘテロエピタキシャル結晶」という2種類の異なる元素の結晶界面を用いて格子ひずみを制御することでX線の軌道を制御しようと試みたのである。
今回の研究で用いたヘテロエピタキシャル結晶は、大きさ15mm×15mmのシリコン結晶上にゲルマニウムを約4原子層の厚さで蒸着して「量子ドット」を生成させた結晶試料だ。
画像1が、シリコン(Si)基板上のゲルマニウム(Ge)量子ドットの概念図である。シリコン結晶の上にゲルマニウムを蒸着させると、表面に量子ドットと呼ばれる島状構造が自然に形成される。そして量子ドットが形成された付近、その直下には上向き(緑色矢印)に格子ひずみが生成されるという具合だ。
量子ドットは、シリコン結晶に引っ張り応力(外部が引っ張られる時に内部に生じる力)を及ぼして直下の結晶面を凸面形状に変形させ、格子ひずみを生じさせる。
「原子間力顕微鏡」(試料と探針先端の原子の間に働く力を検出して、試料表面の形態を観察する装置で、原子レベルの分解能がある)で試料を観察したところ、量子ドットの間隔は1μm以下であることがわかった。
さらにX線が試料を透過しやすくするため、ゲルマニウム蒸着面と反対側の面に余計な力が加わってひずみが起きないように慎重に研磨し、厚さ100μmの結晶試料が作製された形だ。
実験は、SPring-8の「アンジュレータービームラインBL29XU」で、エネルギー15keVのX線(波長0.08nm)を照射し、X線画像検出器で試料透過像が撮影された。
結晶試料に対するX線の入射角が、X線を結晶に当てた時に干渉して強めあうことで大きな反射強度が得られる入射角度である「ブラッグ角」(今回の実験の場合は17.6度)から大きく外れた角度だと、X線はほとんど直進する。
しかし、ブラッグ角よりもわずか1秒角(3600分の1度)ほどずれた低角だと、X線は、2方向に分岐し、入射角度を変化させると2つのビーム間の距離を変えることもできた。
画像3は、結晶を透過するX線強度のプロファイルだ。ヘテロエピタキシャル結晶試料への入射角をブラッグ角(0と表記した黄緑色の線)から変化させて観測した7通りのX線強度プロファイルが示されている。
ブラッグ角から大きく外れる(黒色や紫色の線)と、単一のピークが中央に観察される形だ。ブラッグ角に近づくにつれ、ピーク位置は上下に分かれ、-1秒角(緑色の線)では、ピークが検出器上の上下に分かれて現れる。X線が結晶に斜めに入射している効果を考慮すると、分岐したピーク間の距離は、結晶に沿って400μm以上に達している。また1秒角とは、3600分の1度のことである。
結晶試料に入射するX線はほぼ平行だが、量子ドット付近のシリコン結晶面は凸面形状であるため、X線の一部はブラッグ角よりも低角側にずれ、一部は高角側にずれて入射する。
画像4は、2方向へのX線横すべり現象。量子ドットによってシリコン結晶面に上向きに凸面の格子ひずみが生じる。平行X線が凸面の結晶面に照射されるが、ブラッグ角よりも低角(左図Δθ)で入射するX線、高角(右図Δθ)で入射するX線は、青矢印、赤矢印のように反対方向に横すべりするというわけだ。
研究グループが2006年に発表した理論をさらに発展させたところ、2つのX線が分岐して横すべり現象を生じることが理論的に説明することに成功した。さらに、2つに分岐したX線が結晶試料を通過した時の距離を測ったところ、量子ドットの間隔(1μm以下)をはるかに超えた400μm以上であることがわかったのである。
この大きな横すべり現象を詳細に調べたところ、ブラッグ角近くに入射されたX線は、結晶試料の界面で繰り返されている凹凸の格子ひずみの影響で、ある量子ドットによる格子ひずみからとなりの量子ドットによる格子ひずみへ飛び移る、波乗りするような動きをして、結果的に400個以上の量子ドットをまたいだ大きな横すべり現象を起こすことが見出された。
画像5が、量子ドットの間隔より圧倒的に大きい横すべり量が観察される様子だ。緑とオレンジの丸はそれぞれシリコン(緑)とゲルマニウム(オレンジ)の原子を、色が濃い原子は周期性からのずれが大きい原子、つまり、大きな格子ひずみを受けている原子を表す。量子ドット位置で、シリコン結晶面は、上向きに凸面を形成している。
格子ひずみがシリコン結晶の深いところまで及んでいるため、横すべり現象が多数回起こって、大きな横すべり現象が生じたと考えられるという。ある深さより奥では、格子ひずみが無視できるくらい小さくなるため、X線は入射X線に平行に伝播する。
ヘテロエピタキシャル結晶の界面付近では、原子位置をずらす、つまり、格子ひずみの制御を行うことが可能だ。今回の研究では、格子ひずみの制御により、結晶から2つの角度発散が非常に小さく、互いにほぼ平行なビームを取り出すことに成功した。
この現象を利用すると、従来できなかったさまざまな新しい研究が可能になる。例えば、2つに分岐したビームを、再び重ね合わせることで新しい原理に基づいたX線干渉計が作れる。この干渉計では、格子ひずみの大きさをX線の波の位相変化として観測し、極めて高感度に計測できるという。
この技術について研究グループは、ヘテロエピタキシャル結晶中の格子ひずみを設計し、より高性能な次世代半導体デバイスを開発するために役立つとする。また、格子ひずみを制御する技術開発を通じて、このほかにも、新しいX線軌道制御方法、新たな光学素子が誕生する可能性が広がるともコメントしている。