北海道大学(北大)、国立環境研究所(NIES)、スイス連邦工科大学チューリッヒ校、ベルン大学の4者は1月9日、従来と同じ二酸化炭素の排出を行うとする多元化社会シナリオを想定して、炭素循環を含む気候モデルによって出力された海水温と「アラゴナイト飽和度」のデータを用いて予測した結果、地球温暖化に伴う海水温上昇と海洋酸性化により、日本近海でサンゴが生息できる領域(「サンゴ分布可能域」)が将来大幅に縮小する結果となったことを発表した。

成果は、北大大学院 地球環境科学研究院の藤井賢彦 准教授、同・山中康裕 教授、NIES 生物・生態系環境研究センターの屋良由美子高度技能専門員(当時北大所属)、同・山野博哉主任研究員、スイス連邦工科大学チューリッヒ校のMeike Vogt氏、同・Nicolas Gruber氏、ベルン大学のMarco Steinacher氏、アラスカ大学フェアバンクス校のClaudine Hauri氏らの国際共同研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、2012年12月4日付けで独国の科学誌「Biogeosciences」に掲載された。

大気中の二酸化炭素の増加は、地球温暖化に伴う海水温上昇と共に、二酸化炭素が海水に溶け込んで海水が酸性化する「海洋酸性化」を引き起こす。生物多様性条約 第10回締約国会議で採択された愛知目標で、サンゴ礁生態系は海水温上昇や海洋酸性化に対して脆弱な生態系であるとされ、その健全性を維持することが必要とされている。

近年、海水温上昇によるサンゴ分布の高緯度への急速な拡大が報告されており、将来的にもサンゴの分布域は海水温上昇により高緯度側へ拡大し続けることが予測されている状況だ。

一方、低緯度の熱帯・亜熱帯域では高水温によってサンゴの白化がより頻繁に起こることが予測され、1998年の夏にはこれまで報告されたことのない世界規模での白化現象が観察された。

しかし、海水温上昇の影響に比べると、海洋酸性化の影響予測は今までほとんど行われていない。海洋酸性化に伴うアラゴナイト飽和度の低下は水温の低い高緯度域から現れ始めるため、地球温暖化によってサンゴの生息地が高緯度側へ拡大したとしても、アラゴナイト飽和度が低い海域ではサンゴの骨格形成が阻害される恐れがあるのだ。

もう少しアラゴナイト飽和度について触れると、サンゴ骨格の多くは炭酸カルシウムの内で比較的溶けやすい結晶形である「アラゴナイト(アラレ石)」で形成されていることが関係している。

サンゴは現在、アラゴナイト飽和度の大きい海域(およそ3以上)に分布しているが、二酸化炭素が海に溶け込むことによって生じるアラゴナイト飽和度の低下は、骨格を形成する石灰化能力の低下・阻害を引き起こすと知られている。化学平衡論ではアラゴナイト飽和度が1を下回るとアラゴナイトは溶解してしまうのだ。

低緯度から高緯度まで南北に長い日本では、亜熱帯から温帯までサンゴが生息しており、海水温上昇と海洋酸性化の両方の影響を顕著に受けると考えられ、二酸化炭素の増加がサンゴ礁生態系に与える影響を評価するモデルケースとなり得る。

今回の研究では、炭素循環を含む気候モデルによって出力された海水温およびアラゴナイト飽和度のデータとサンゴ分布の北限に関する簡易指標を用いて、多元化社会シナリオ「SRES A2」の下で、海水温上昇(サンゴ分布の北上とサンゴの白化現象をもたらす)と海洋酸性化に伴うアラゴナイト飽和度の低下(サンゴの石灰化能力の低下・阻害をもたらす)による将来の日本近海の潜在的なサンゴ分布可能域の予測が行われた。

なお、多元化社会シナリオ「SRES(Special Report on Emission Scenarios:排出シナリオに関する特別報告書) A2」は、従来の社会や経済の枠組みを急激に変えることなく、従来の延長線上での経済成長を想定したもので、比較的高水準の二酸化炭素の排出を想定している。

予測ではまず、熱帯・亜熱帯性のサンゴと温帯性のサンゴについて、それぞれの分布可能域に関する指標を、現在の分布や過去の研究例に基づいて設定。熱帯・亜熱帯性サンゴの分布域の指標は、現在の琉球列島のサンゴ礁の分布北限である鹿児島県種子島付近の最寒月水温18℃とアラゴナイト飽和度3と、サンゴが白化する水温である最暖月水温30℃が用いられた。また、温帯性サンゴの分布域の指標は、現在のサンゴ分布北限である新潟県佐渡島での最寒月水温10℃とアラゴナイト飽和度2.3が用いられている。

これらの指標と、炭素循環を含む4つの気候モデル(IPSL(IPSL-CM4-LOOP model)、MPIM(Max Planck Institute for Mathematics)、NCAR CSM1.4(NCAR CSM1.4-carbon climate model)、NCAR CCSM3(NCAR CCSM3Biogeochemical Elemental Cycling Model))によって行われた、20世紀再現実験と多元化社会シナリオに基づく将来予測実験で出力された海水温とアラゴナイト飽和度の年平均値のデータを用いて将来的なサンゴ分布可能域が予測されたのである。

地球温暖化による海水温上昇によってサンゴ分布可能域が高緯度側へ拡大する速度(画像1)より、海洋酸性化によって低緯度側へ縮小する速度(画像2)の方がはるかに大きく、海水温上昇によるサンゴ分布可能域の北上は海洋酸性化に伴うアラゴナイト飽和度の低下によって抑制されると予測された。さらに、今世紀後半には海水温上昇によって白化現象が起こる海域が高緯度側へ拡大するという予測だ。

サンゴ分布可能域に関する指標に基づく現在から将来にかけてのサンゴ分布北限の変化予測結果。画像1(左)は地球温暖化によるサンゴ分布北限の指標(水温)の位置の北上を示したものだ。画像2は海洋酸性化によるサンゴ分布北限の指標(アラゴナイト飽和度)の位置の南下を示したもの。緑色の等値線は熱帯・亜熱帯性サンゴ分布北限、橙色の等値線は温帯性サンゴ分布北限を示す

すなわち、日本近海のサンゴの分布可能域は、海洋酸性化に伴う低アラゴナイト飽和度域の低緯度側への拡大と高水温による白化域の高緯度側への拡大に挟まれるため大幅に縮小することになる。このように、多元化社会シナリオの下では将来の日本近海はサンゴにとって極めて厳しい生息環境になると予測された形だ(画像3)。

画像3は、サンゴ分布可能域に関する指標の現在から将来にかけての10年毎の予測結果。緑・橙色の等値線はそれぞれ熱帯・亜熱帯性サンゴおよび温帯性サンゴの海水温上昇による分布北限の位置、黒色の等値線は海水温上昇によるサンゴ白化現象が起こる北限の位置を示す。海域の色はアラゴナイト飽和度の値を示す。

画像3。サンゴ分布可能域に関する指標の現在から将来にかけての10年ごとの予測結果

今回の研究は、温暖化シナリオの1つである多元化社会シナリオの下では、海水温上昇よりも海洋酸性化による影響がサンゴ分布に対して大きいことを予測した世界初の例である。健全なサンゴ礁生態系の維持のためには二酸化炭素排出を減らす対策が必要であることを示すものだ。

また今回の研究では、サンゴ分布可能域の指標を現在の分布から推定された。しかし気候変動、特に海洋酸性化の生物への影響はまだ不明の点が多く、順応や適応のメカニズムを解明する研究が必要だという。

今後は、二酸化炭素排出シナリオによる予測結果の違いやサンゴの順応・適応を考慮した研究を推進し、地球温暖化・海洋酸性化の両者を考慮した二酸化炭素排出量の上限を提示する必要があると、研究グループは述べている。