産業技術総合研究所(産総研)は11月1日、同研究所が開発した「イッテルビウム」原子を用いた「光格子時計」(画像1)が、2012年10月18日・19日にフランスの国際度量衡局で開催されたメートル条約関連会議において新しい秒の定義の候補である「秒の二次表現」として採択されたと発表した。

イッテルビウム原子を用いた光格子時計を開発したのは、産総研 計測標準研究部門 時間周波数科の洪鋒雷研究科長、同・安田正美主任研究員らの研究グループだ。

画像1。光格子中に捕捉されるイッテルビウム原子のイメージ図

時間・周波数は、あらゆる計測量の中で最も正確に計測可能で、長さや電圧など、ほかの基本単位の精度を支えている。現在、時間の単位である1秒は、セシウム原子のマイクロ波領域の周波数によって定義されているが、これよりも約10万倍高い光領域の周波数を利用することができれば、より細かく時間を刻むことができるようになるため、より高精度な原子時計を実現することが可能となる。

2006年のメートル条約関連会議では、秒の再定義を視野に入れた検討が開始されると共に、各国政府や研究機関に対して次世代原子時計関連研究の支援に関する要請が出されていた。光格子時計は次世代原子時計の有力候補として期待され、現在、世界各地の計量標準研究機関で研究開発が行われている。

光格子時計は、2001年に東京大学大学院 工学系研究科の香取秀俊教授(当時 助教授)によって提案された手法で、およそ100万個の原子をレーザー光によって空間にたくみに捕捉することで、1秒の精度を現在の定義であるセシウム原子時計の精度の15桁から18桁台にまで向上させることが可能とされている。

そうした中、香取教授の研究グループと、産総研計量標準総合センターの研究グループからなるJST/CREST(科学技術振興機構/チーム型研究)共同研究チームによって開発された「ストロンチウム光格子時計」は、2006年にメートル条約関連会議で「秒の二次表現」として採択されていた。

秒の二次表現とは、現在の秒の定義であるセシウム原子時計に対して、今後、その性能を上回る可能性を持つ原子時計の候補のリストのことだ。このリストの作成は、将来の秒の再定義を視野に入れた活動となっており、現在、光による原子時計としては、中性原子を用いたストロンチウムとイッテルビウム光格子時計、イオンを用いた原子時計5種類の計7種類がリストに載っている。

この7種類の中で、イッテルビウム原子を用いた光格子時計は、光源の開発が困難であるが、「黒体輻射」の影響が小さいことや、核スピンが小さいことにより、ストロンチウム光格子時計の性能をしのぐ可能性が理論的に示されており、その開発が強く求められていた。

なお黒体輻射とは、すべての物体はそれぞれの温度に対応した強度と波長分布を伴う電磁波(熱輻射)を放出しているが、黒体はすべての波長の電磁波を吸収して温度のみで決定される最大の熱輻射を放出し、その熱輻射のことをそのように呼んでいる。

産総研は、次世代原子時計の研究開発を通じた秒の再定義への貢献を目指して、独自の光源開発やシステム設計を行い、イッテルビウム光格子時計の開発に取り組んできた。

2009年に開発された光格子時計は、60万年に1秒の誤差で動作したという。この結果を同年に開かれたメートル条約関連会議で報告したものの、その精度が秒の二次表現の基準(誤差が300万年に1秒以下)に達していなかったため、より基準の緩い周波数標準として採択されたという経緯もある。

光格子時計は、前述したように、約100万個の原子をレーザー光によって空間にたくみに捕捉することで、従来の原子時計と比べて信号が大幅に増加し、それによって精度も大きく向上するというものだ。

光格子は複数のレーザー光を重ね合わせて作る原子を入れる容器で、そこに閉じ込められる多数の原子が時計の信号を発生する。そして画像2が、イッテルビウム光格子時計の超高真空装置だ。この真空装置の中で原子を閉じ込める光格子が作られているのである。

画像2。イッテルビウム光格子時計の超高真空装置

今回の研究では、レーザー光源について周波数制御を行うなどの改良を施し、イッテルビウム原子による時計信号の雑音を減少させた。その結果、時計の周波数の測定精度を大幅に改良することに成功。今回改良を加えた光格子時計で測定されたイッテルビウムの周波数の値は、518兆2958億3659万863.1Hz(518.2958365908631THz=518,295,836,590,863.1Hz)で、誤差が2.0Hzであった。これは、900万年に1秒の誤差に相当する。

この測定誤差は、2009年開発当初の誤差の10分の1以下であり、これによって秒の二次表現の採択基準を満たすことに成功した。また、米国国立標準技術研究所からも、この研究成果と整合性のある測定データが示されている。

このように、複数の国際計量標準機関が整合性のあるデータが測定されたことが高く評価され、イッテルビウム光格子時計は今回のメートル条約関連会議において秒の二次表現として採択されたというわけだ。

これにより、今後イッテルビウム光格子時計が新しい秒の定義として採択される道が開かれると共に、秒の再定義に向けた世界的な検討が加速されることが期待されるという。

イッテルビウム光格子時計は、原理的には現在の宇宙の年齢に相当する137億年間動かし続けても1秒も誤差のない時計が実現できると見られており、研究グループでは、今後精度と信頼性をさらに向上させ、標準器としての完成度を高めていくとした。

また、時計を高精度で評価するためには、高精度時間周波数比較技術を用いて、光格子時計の比較実験を進める必要があるとも述べている。

時間・周波数は、あらゆる計測量の中で最も正確に計測可能であることから、時計の精度の向上により、これまで知ることができなかったごく小さな環境外乱(電磁場、重力場)による時計周波数への影響を観察することが可能となるという。

さらに、逆に超高精度の時計は、環境外乱の超高感度センサとしても働くので、この技術を高精度重力場測定センサや物理定数の恒常性の検証などに応用することにより、基礎科学のさらなる発展に貢献することも期待されると、研究グループは述べている。