京都大学(京大)は9月25日、チンパンジー胎児の脳容積の成長パターンを解明した結果、ヒトの脳の成長が妊娠後期まで加速し続けるのに対して、チンパンジーの場合は妊娠中期に成長の加速が鈍ることを確認したと発表した。これは、胎児期の段階ですでにヒトとチンパンジーの脳容積の成長パターンが異なり、ヒトの脳の巨大化は胎児期からスタートしていることを示すものだという。同成果は、同大の酒井朋子 霊長類研究所研究員、平田聡 同特定准教授、竹下秀子 滋賀県立大学教授らの研究グループによるもので、林原 類人猿研究センターとの共同で実施された。研究成果の詳細は、「Cell Press」の出版誌「Current Biology」の中で報告された。

ヒトで顕著な脳の巨大化の進化的基盤を探るためには、成人における脳形態の特徴を調べるだけでなく、その発達過程を明らかにすることが必要不可欠であり、1950年ころから、ヒトの脳の巨大化の発達的メカニズムを解明することを目指して、霊長類の死後脳標本や頭蓋骨標本を用いて、ヒトとヒト以外の霊長類を比較する研究が行われてきた。その中で、さまざまな仮説が唱えられるようになり、近年では、生後だけでなく出生前の脳の発達様式もヒトの脳の巨大化に起因するという説が有力となっていた。

しかし、ヒト以外の霊長類の胎児期における脳の発達変化を、母胎内の赤ちゃんで調べた研究はこれまでほとんどなく、特に、ヒトと最も近縁な現生霊長類種であるチンパンジーの胎児期の脳容積の成長に関する情報は、これまでまったく得られていなかった。そのため、現在に至るまで、胎児期におけるヒトの脳の発達様式が、ヒト以外の霊長類とどの程度異なり、どのように脳の巨大化を促進するかについて、具体的に検証することには限界があった。

今回研究グループは、3次元の超音波画像診断法を用いて、林原 類人猿研究センターのチンパンジー胎児を対象に、妊娠14週から出生直前までの胎内での脳容積の成長変化を縦断的に調べ、ヒト胎児の場合との比較を行った。

3次元超音波画像診断法によるチンパンジー胎児の脳画像の撮像。林原 類人猿研究センターで、母親チンパンジーであるミズキが妊娠21週のころに、その子どもであるイロハの頭部の撮像をおこなったときの様子。ミズキは普段と変わらずリラックスした状態で撮像にのぞんでいたという。撮像者たちは長年にわたり母親チンパンジーと深い信頼関係を築いているため、ヒトの妊婦と同じように、母親チンパンジーにおいても、麻酔なしで超音波撮像をおこなうことに成功したとのこと

チンパンジー胎児(イロハ)における脳容積の14週、21週、30週における3次元の超音波脳画像。上段はチンパンジー胎児の前額面の脳画像、下段はチンパンジー胎児の3次元の脳再構築画像を示している

その結果、チンパンジー胎児の脳容積は、妊娠16週の時点でヒト胎児の半分の大きさであることが判明した。

チンパンジーとヒトの胎児における脳容積の拡大の様子。今回の研究で求めたてたチンパンジー胎児の脳容積の成長パターンを、先行研究で報告されているヒト胎児の成長パターンと比較した結果、チンパンジー胎児の脳容積は、妊娠16週の時点ですでにヒト胎児の半分の大きさであった(チンパンジー胎児15.8cm3、ヒト胎児33.6cm3)。マジェンダ色の実線はチンパンジー胎児の成長モデル曲線、青色の実線はヒト胎児の成長モデル曲線を示す。マジェンダ色の細い線は95%の信頼区間を示す。グラフの下にあるマジェンダ色と青色のカラーバーは、それぞれチンパンジーとヒトにおける妊娠期間(受胎日基準)を示す

また、ヒト胎児とチンパンジー胎児の大きな違いとして、ヒト胎児では、脳容積は妊娠32週ころまで急速な増加が続くものの、チンパンジー胎児では成長パターンが異なることが見出された。

チンパンジーとヒトの胎児期における脳容積の成長速度。上記のチンパンジーとヒトの胎児期における脳容積の成長モデル曲線から、それぞれの成長速度を求めた結果、チンパンジーの脳容積は、妊娠中期以降、ヒトほどには著しく成長しないことが判明した。チンパンジー胎児の脳容積は妊娠17週から妊娠22週ころまで、ヒト胎児と同じような成長速度を示すものの、それ以降高い成長速度を示さなかった。妊娠22週時点では、ヒトとチンパンジーの成長速度はそれぞれ14.9cm3/週、11.1cm3/週であった。しかし、妊娠32週の時点になると、ヒト胎児では26.1cm3/週に対し、チンパンジー胎児ではわずか4.1cm3/週となっていた。マジェンダ色の実線はチンパンジー胎児の脳容積の成長速度、青色の実線はヒト胎児の成長速度を示す。グラフの下にあるマジェンダ色と青色のカラーバーは、それぞれチンパンジーとヒトにおける妊娠期間(受胎日基準)を示す

チンパンジー胎児の脳容積は、妊娠17週から妊娠22週ころまではヒト胎児と同じような成長速度を示したものの、妊娠22週ころにおいて成長速度の増加が頭打ちになり、妊娠32週の時点で、脳容積の成長速度はヒト胎児では26.1cm3/週なのに対し、チンパンジー胎児では4.1cm3/週と、チンパンジーの脳容積が、妊娠中期以降、ヒトほどには拡大しないことが判明した。

これらの結果から、ヒトの脳の巨大化は胎児期からすでにスタートしていると言えることが示されたこととなった。これにより胎児期の後期まで脳容積の成長が加速し続けるという発達様式は、ヒトの祖先がチンパンジーとの共通祖先から分かれた後、ヒトにおいて独自に獲得したものであることが示唆されることとなったのである。つまり、我々、現生人類は、急速な脳の成長速度を在胎期間の終わりまで持続させることで、脳容積の拡大を促進していると考えられるとの結論に至ったこととなる。

なお研究グループでは、今回の結果が人類進化学に新たな見解を投げかけることになり、子どもたちの健やかな育ちの実現のために、出生後だけでなく胎児期にも目を向けることの重要性が生物学的観点からも示されたこととなるとコメントしている。