東京大学医科学研究所(東大医科研)は、新たに開発した手法を用いてがん細胞の浸潤に必要なタンパク質「MT1-MMP」の糖鎖解析を行った結果、がん細胞内でMT1-MMPに付加する「糖鎖」の数が一定ではなく、不均一性があることが示され、同時に予想外の部位に糖鎖付加が起こりうることも判明したと発表した。
成果は、東大医科研 腫瘍細胞社会学分野の周尾卓也特任研究員、同・清木元治教授、同・田中耕一客員教授(兼島津製作所シニアフェロー/同・田中耕一記念質量分析研究所所長)らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、日本時間8月23日付けで米オンライン科学誌「PLoS ONE(Public Library of Science One)」に掲載された。
タンパク質の翻訳後修飾の中で最も多いのが糖鎖による修飾反応で、タンパク質の50%以上には糖鎖が付加されており、タンパク質に付加する糖鎖には、タンパク質の機能を制御する役割がある。
よって、糖鎖の異常はがん、自己免疫疾患などさまざまな病気の発症や病態の変化の原因となる場合があるため、糖鎖の構造やタンパク質との結合部位の解析は重要だ。しかし、それぞれのタンパク質に対して加えられた固有で複雑な糖鎖の実体を明らかにするには専門技術や大量の試料が必要で、生体材料から得られる微量の試料を調べることは現在でも技術的な困難を伴う。
近年、タンパク質を修飾する糖鎖の構造と結合部位を同定する手段として、「MALDI(Matrix-Assisted Laser Desorption Ionization:マトリックス支援レーザー脱離イオン化)質量分析」が必要不可欠となっている。
MALDIは、2002年にノーベル化学賞を受賞した田中シニアフェローが発明した「レーザーイオン化法」を最も有効に応用して、タンパク質をイオン化することで解析を開始する手法だ。MALDI質量分析でタンパク質に付加された糖鎖を解析するためには、あらかじめ糖鎖を含むタンパク質断片(糖ペプチド)のみを単離しなければならないが、専門的な技術を要し、困難な場合が多いのが現状だった。
今回の研究に用いられた「液体マトリックス」を用いる新規手法は、島津製作所で開発されたものだ。同法では、マトリックス上に直接、糖ペプチドを含む混合物を、あらかじめ分離することなく載せる。混合物から糖ペプチドが、その場で分離・濃縮されるために、解析が容易になるだけでなく、高感度の解析も可能になったというわけだ。
画像1のとおりに同法では、試料となるタンパク質の消化物(糖鎖が付加された、あるいは未修飾のペプチドを含む)を液体マトリックスの上に載せる。その表面で試料中の水分が徐々に蒸発すると、水に溶けやすい糖ペプチドは中心部に濃縮され、その周辺部には非修飾ペプチドが残るという具合だ。
同法を、実際の生体試料の解析に適用できるよう最適化するため、これまでに精査することが困難であった、がん細胞の膜タンパク質であるMT1-MMPの糖鎖解析を実施し、「MT1-MMP(Membrane Type1Matrix Metalloproteinase)」に付加された糖鎖の構造と結合部位に多様性があることを明らかにした。
MT1-MMPは、東大医科研の清木元治教授らが発見した細胞膜貫通型のタンパク質分解酵素で、がん細胞がほかの組織に浸潤し転移する際に必要とされる。MT1-MMPを修飾する糖鎖が酵素の活性や安定性、代謝回転に関与すると考えられているが、その糖鎖構造や付加部位の詳細は不明のままだった。
画像2のとおりに、「ヒト線維肉腫」の株化細胞(がん細胞の1種)から回収したMT1-MMPタンパク質の質量分析では、液体マトリックスの中心部から、付加した糖鎖ユニットの数の相違(質量にして162あるいは203の違いを持つ7つのピーク)に相当するシグナルを明確に検出することに成功した。
これらのシグナルは同一のペプチドに由来するシグナルであり、4糖から10糖までの糖鎖付加状態の相違を反映している。すなわち、このがん細胞内ではMT1-MMPに付加する糖鎖数が一定ではなく、不均一性があることが初めて示されたというわけだ。同じ試料を従来のMALDI法で解析すると糖ペプチドのシグナルは検出できなかった。
今回、同法が開発されたことで、従来よりも簡便に個々のタンパク質の糖鎖修飾の状態を知ることができるようになった。糖鎖修飾の異常はさまざまな疾患の発症や病態の変化の原因となる場合があることから、同法の活用により、これまで困難であった種々のタンパク質の糖鎖解析が促進されるという。また、さまざまな疾患の発症機序の解明や新たな疾患マーカーの発見などが期待されると、研究グループは述べている。