物質・材料研究機構(NIMS)は8月2日、動物細胞に特定の遺伝子を高効率かつ安全に導入できるナノ構造のシートを開発し、その成果を実証したと発表した。
成果は、NIMS国際ナノアーキテクトニクス研究拠点 超分子ユニットの吉 慶敏(じ・ちんみん)MANA研究者、同バイオマテリアルユニット 生命機能制御グループの山崎智彦MANA研究者らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、英国時間7月30日付けで科学雑誌「Chemical Communications」オンライン版に掲載された。
遺伝子を動物細胞に導入する技術は、疾患関連遺伝子・タンパク質の機能解析から、医薬品などの開発、また遺伝子治療や細胞治療に貢献する。しかし、既存の技術は操作が煩雑であり、遺伝子の導入効率や安全性などの改良の余地は大きく、画期的な遺伝子導入・発現制御技術の開発が望まれているところだ。
遺伝子導入の方法としては、ウイルス性ベクターを用いる方法と、ウイルスを用いない方法である非ウイルス性ベクター(キャリア)を用いる方法の2つに大きく分類される。
ウイルスを用いる方法は遺伝子導入効率は高くなるが、ウイルスを用いる安全性の問題から、医療応用へのハードルが高いのが問題だ。非ウイルス性ベクターを用いる方法としては、「陽性荷電脂質」などからなる「脂質二重膜小胞(リポソーム)」と導入するDNAの電気的な相互作用により複合体を形成させ、貪食や膜融合により細胞に取り込ませる方法である「リポフェクション法」が多く用いられている。
しかし、既存の方法では細胞種によっては導入効率が異なり、特に初代細胞やES細胞、iPS細胞においては「トランスフェクション」(核酸やタンパク質などを動物細胞内へ導入すること)が困難だったほか、トランスフェクション試薬によっては、細胞毒性が高いという問題点もあったのである。
2001年、MITのSabatiniらが基盤表面に固着したDNAを細胞に導入する「固相トランスフェクション法(別名:リバーストランスフェクション法)」を報告。固相トランスフェクションはDNAと陽性荷電脂質などの非ウイルス性キャリアの複合体を培養基材表面にコーティングすることにより、細胞の接着面から細胞へ遺伝子を暴露することによって遺伝子を動物細胞に導入する方法だ。
「液相トランスフェクション法」と比較した場合、1/10~1/100量の遺伝子量で十分に細胞に遺伝子が導入される点が特徴の1つ。また低容量であるため、非ウイルス性キャリアが与える細胞毒性が低いという利点もある。さらには、固相トランスフェクション法は、アレイ技術を用いて遺伝子を基板の任意の場所に非常に小さなスポットで固着させることができ、少量の細胞に多数の遺伝子を同時に導入することが可能なことから、網羅的解析に非常に有効な手段となっている。
しかし、従来の固相トランスフェクション法では、まだヒトまたは動物由来成分を用いて生産される生物由来のタンパク質を遺伝子導入促進材として使用しており、遺伝子治療や細胞治療と行った臨床応用においては安全性に問題があった。これを解決するため、タンパク質を遺伝子導入促進剤として用いない固相トランスフェクション基材の開発が望まれていたのである。
今回の研究では、遺伝子導入促進剤を必要としない無機物のみから構成される固相トランスフェクション基材が開発された。この基材はシート状のシリカの表面から垂直にシリカの壁を自己成長させることで作成する仕組みだ。
このシリカの壁「シリカ立て板」は、シリカシート上で直立しており、シリカの壁の厚さは5nmと薄く、「NaBH4」で処理する時間を変えることで、立て板の密度を変えることが可能である。このようにして、高密度化された「シリカの立て板」を作成することに成功した(画像1)。
シリカ立て板へはDNAを固定することが可能だ。異なる密度を持つシリカ立て板上に「プラスミドDNA」を塗布し、その固定量を調べたところ、立て板の密度に応じて、固定化するプラスミドDNA量を増やせたのである。
今回作成した高密度シリカ立て板には、シリカシートと比較して、約5.5倍の高密度でプラスミドDNAを固着。遺伝子の固定化量は遺伝子発現量に関係しており、多くの遺伝子を固定化することで細胞あたりの遺伝子発現量を高くすることが可能だ。このことからも、高密度シリカ立て板は遺伝子導入に適した材料であるといえる。
また、このシリカ立て板を持つシリカフィルム上へは、DNAだけでなく細胞を接着させることができる。緑色蛍光タンパク質をヒト細胞で発現できるプラスミドDNAを遺伝子導入用カチオン性脂質と混合し、シリカ立て板に固着した。
次に、ヒト胎児腎臓細胞由来の接着細胞株である「HEK293」細胞を添加。遺伝子の導入は細胞内での緑色蛍光タンパク質の発現を蛍光顕微鏡を用いて観察することでわかる仕組みだ。
細胞をシリカフィルム上に添加してから48時間の写真が画像2だ。細胞で緑色蛍光タンパク質が生産されていることから、シリカ立て板を持つシリカフィルムから遺伝子導入促進剤なしに、プラスミドDNAが細胞に導入されたことが示された。また、通常の液相トランスフェクションと比較して高い遺伝子導入効率をえられた。
固相トランスフェクションは液相トランスフェクションと比較して、少量多種の遺伝子を効果的に動物細胞に導入できるために、遺伝子の系統的解析、プロファイリングに有効であるとして注目されている。
また、細胞の「走化性」(細胞が週に存在する化学物質の濃度購買に対して方向性を持った移動をすること)を用いることにより、遺伝子を順番に細胞に導入していくことが可能だ。これを応用して、疾患を持つ患者から体細胞を取り出し、DNAが固着された固相トランスフェクション基板上に加えることで、iPS細胞を作成し、またiPS細胞から患者の治療に用いる細胞に分化させることができるようになるという。
今回開発されたナノシートでは、動物由来成分(タンパク質)から構成される遺伝子導入促進剤を添加することなく、シリカシート上のシリカ立て板を介してDNAを固着でき、また細胞を接着させることが可能だ。
原材料としてDNAと無機物のシリカのみからなる同ナノシートは、安全かつ簡便な固相トランスフェクション基材であり、先天性代謝異常症、血友病などの遺伝性疾患、また糖尿病などの難治性疾患の遺伝子治療や細胞治療に貢献すると研究グループでは説明している。