東京大学(東大)は、慶應義塾大学(慶応大)との共同研究で、日本各地から得たボルボックスの培養株を用いて、有性生殖を誘導する方法論を確立することに成功し、さらにDNA配列データに基づいて構築した系統樹により種を分類したところ、それら日本のボルボックスが2つの新種であることを明らかにしたと発表した。
成果は、東大大学院理学系研究科 生物科学専攻の野崎久義准教授、同修士課程修了の井坂奈々子氏、同豊岡博子日本学術振興会特別研究員らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、5月3日付けで米藻類学会誌「Journal of Phycology」第48巻にオンライン掲載され、雑誌として2012年6月号にも掲載予定。
ボルボックスは淡水産の群体性緑藻で、池や水田で回転しながら泳ぐ小さな緑色の球体だ。分類学的にはカール・フォン・リンネ(大リンネ)が1758年に属として設立した。
通常は無性生殖を行うこの生物は、ある条件が整うと雌雄に分かれて有性生殖を行うという興味深い特徴を持つ。そのため、メスとオスの起源(性の進化)や多細胞化などの研究のモデル生物として注目されている生物だ。
ボルボックス属の基準種(タイプ種ともいい、属を設立する際にその代表として指定される種のこと)はリンネが記載した「ボルボックス・グロバトル(学名:Volvox globator)」であり、これは2本の鞭毛を持つ1000個以上の体細胞が球体の表層に配列し、それらが互いに太い細胞質連絡で連結するという特徴を持つ。
こうした太い細胞質連絡を持つボルボックスはボルボックス節または「真のボルボックス」として分類され、1896年に石川千代松(東京帝国大学教授、進化論を日本に紹介した)が日本産ボルボックスとして、ボルボックス・グロバトルを報告して以来、ボルボックス・グロバトルが日本産ボルボックスの種としてさまざまな日本の図鑑に掲載されている。
しかし、1896年当時は世界的にも分類学的研究は進んでおらず、太い細胞質連絡を持つ「真のボルボックス」はボルボックス・グロバトルしか知られていなかった。従って、日本産の"ボルボックスの種の実体"は実際には謎に包まれたままであったのである。
1944年にG.M.Smithは世界のボルボックス属の包括的な分類学的研究を行ない、太い細胞質連絡を持つ「真のボルボックス」にボルボックス・グロバトルを含む8種を認めた。
しかし、ボルボックスの種の重要な分類基準である、有性生殖時の有性群体や受精卵の形態は培養株では観察が困難であったため、新種の記載を含め、同群における種の分類研究は1944年以来滞ったままだったのである。
そこで研究グループは、現代的な基準に基づいた「真のボルボックス」の種の客観的な分類法を構築し、日本における同群の正確な種同定を目的として研究を開始。具体的には、培養株で有性生殖を誘導する方法論を確立し、得られた有性群体や受精卵の形態、並びにDNA配列データに基づく系統樹を用いた分類学的研究を実施したのである。
有性生殖を誘導する条件を検討した結果、培養液中のバクテリアを排除し、有機物(酢酸ナトリウム)を含む培地で25℃で培養することで、雌雄同体の有性群体が誘導することが見出された。
この方法を用いて、これまで25年間かけて確立された日本産の培養株数株と、米国産の2株(テキサス大学培養株保存施設UTEX由来)について、雌雄同体の有性群体と受精卵を得ることに成功したのである。
培養株から誘導した有性群体と受精卵の形態の観察結果と、DNA配列データを用いて構築した系統樹を照らし合わせた結果、Smithが設けた種分類基準の内、「有性群体の卵(受精卵)の数」と「受精卵の細胞壁の刺の形態」が有効であることが判明した。また、Smithが分類基準にしていなかった「体細胞の形態」も重要な種分類の基準であると結論された形だ。
その結果、米国産の2株については、UTEXで同定していた2種、ボルボックス・グロバトル[平たい体細胞、100個未満の卵、受精卵の細胞壁に先の丸い刺を持つ]と[ボルボックス・バルベリ(学名:Volvox barberi)」「細長い体細胞、100個以上の卵、受精卵の細胞壁に尖った刺を持つ]であることが再確認された。
一方、日本産の培養株は2つの新種であることが判明。1つ目は、「ボルボックス・フェリシイ(学名:Volvox ferrisii、クラミドモナスの性の分子遺伝学者Patrick J.Ferris博士(アリゾナ大学)に献名した学名)」[卵形~楕円体の体細胞、100個以上の卵、受精卵の細胞壁に尖った刺を持つ]だ。
2つ目は、「ボルボックス・カーキオルム(学名:Volvox kirkiorum、ボルボックスの分子遺伝学者 Marilyn M.Kirk及びDavid L.Kirk博士夫妻(共にワシントン大学名誉教授)に献名した学名)」[卵形~楕円体の体細胞、100個未満の卵、受精卵の細胞壁に尖った刺を持つ]と命名された次第だ(画像1~3)。
画像1は、ボルボックス・フェリシイの無性群体のもの。(A)は群体全体を撮影したもので、内部に次の世代の娘群体が発達しているのがわかる。(B)は群体の表層の体細胞を撮影したもので、2本の鞭毛を持つ。これで群体全体は回転しながら遊泳する。(C)群体の表層の体細胞が太い細胞質連絡で連結するので「真のボルボックス」(ボルボックス節)であることがわかる。
画像2は、ボルボックス・カーキオルム。(A)~(C)が無性群体のものだ。(A)は内部に次の世代の5個の娘群体が発達しているのが見て取れる。(B)は群体の表層の体細胞が太い細胞質連絡で連結していることから、「真のボルボックス」(ボルボックス節)に属する形だ。(C)は、体細胞を横から見ると卵形をしている。
(D)は、ボルボックス・カーキオルムの雌雄同体の有性群体のもの。(e)は卵で、(S)は精子束。ヒトなら当然男女がそれぞれ別に持つが、雌雄同体なので両方を持っている。(E)約50個の受精卵を持つ成熟した有性群体。(F)成熟した受精卵のアップ。細胞壁は先が尖った真っ直ぐな刺である。ボルボックス・グロバトルに対し、体細胞(C)が卵形であること、受精卵の細胞壁の先が尖った刺(F)を持つ点で異なることから、新種と判定された。
画像3は、こちらも日本産の新種であるボルボックス・フェリシイの有性生殖のもの。(A)~(B)は、雌雄同体の有性群体を撮影した。100個以上の卵(e)と精子束(S)を同時に持っている。(C)は成熟した有性群体。(D)は成熟した受精卵だ。細胞壁は先が尖った真直ぐな刺を持つ。ボルボックス・グロバトルとは、100個以上の卵を持つ有性群体(A)と受精卵の細胞壁の先が尖った刺(D)を持つ点で異なっており、新種と判定された。
これら2新種は体細胞と受精卵の細胞壁の刺の形態、並びに系統樹上の位置で明らかにボルボックス・グロバトルとは異なっていた。画像4が、真のボルボックスのDNA情報による系統関係と雌雄同体の4種の形態上の差異をまとめたものである。Volvox capensisはDNA情報が遺伝子データバンクに登録されているが、培養株が死滅しているため形態観察はできない。受精卵の図はSmithにより、ほかは今回の研究成果に基づいている。
なお、ボルボックス・フェリシイは関東3県(埼玉、茨城、神奈川)、ボルボックス・カーキオルムは岐阜県から得られている。
日本に生育するボルボックスの正確な種名が明らかになり、今後ボルボックス・フェリシイとボルボックス・カーキオルムが藻類や動物などの図鑑を通じて一般に普及してゆくと期待されると、研究グループはいう。
また、日本産の種は外国産の種と異なるという認識が確立され、日本産の種の多様性を保全する点からも重要だとした。さらに、「真のボルボックス」における現代的な種分類の方法論が確立され、この方法を用いることで世界各地の正確な種組成が明らかになると予想されるとコメントしている。
なお、Smithは「真のボルボックス」の種として雌雄異体の3種を認めているが、今回はこれらの種については有性生殖の誘導法が確立できなかったことから、種の同定は今後の課題として残された。今後は、世界的に見てどの様な種が存在するか明らかにするために、日本と米国以外の産地のボルボックスを用いた同様の分類学的な研究が必要であると、研究グループは語っている。