京都大学と幹細胞創薬研究所は5月9日、ES(ヒト胚性幹)細胞に「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」の原因遺伝子を過剰発現させた疾患モデル細胞を作成し、ALSの疾患症状の再現に成功したと発表した。
成果は、京大物質-細胞統合システム拠点(iCeMS)の中辻憲夫拠点長、同饗庭一博講師らと、同iPS細胞研究所(CiRA)、同医学研究科及び同幹細胞創薬研究所の研究者による共同研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、米国東部時間5月8日付けで米科学誌「ステム・セルズ・トランスレーショナル・メディシン」オンライン速報版に掲載された。
ALSは運動神経細胞が選択的に影響を受け、機能を喪失していく神経変性疾患の1つだが、根本的な治療法、予防薬がないのが現状だ。ALS患者の約10%が遺伝する家族性ALSで、その内の約20%が「スーパーオキシドディスムターゼ1(SOD1)」の変異が原因とされている。
これまでのモデル動物や動物神経細胞を用いたALS研究は、多くの知見を生み出してきた。しかし、これらの研究材料では動物とヒトという生物種による違いにより、ヒト神経細胞での反応を正確に反映できていない場合があり、モデル動物で効果が見られたとされるALS候補薬の多くが、臨床試験でヒトへの効果が見られないために開発中止になってきている。
このようなことから、正常な機能を有した各種の神経系細胞へ分化誘導可能であるヒト多能性幹細胞(ES/iPS細胞など)で作る疾患モデル細胞を用いた新薬開発方法が有望視されている状況だ。
さまざまな難病患者の体細胞から樹立するヒトiPS細胞株は疾患モデル細胞として有望であり、注目される研究成果が発表されている。
しかしながらALSに関しては、SOD1遺伝子に変異があっても成人になってから発症する典型的なALS患者から樹立されたiPS細胞を運動神経細胞へ分化誘導させても、これまでのところはALS疾患症状を観察することが困難だった。
さらに、SOD1変異ALSの病態を再現できるモデル細胞で、同じヒト多能性幹細胞株だけからモデルに必要な細胞を分化させて作製したモデル細胞はこれまで作成されていなかったのである。
そこで今回、研究グループは、ALSの原因遺伝子の1つであるSOD1の野生型(健常人型)遺伝子と変異型(家族性疾患型)遺伝子「G93A SOD1」を恒常的に発現するプロモータで過剰に発現しているヒトES細胞株を作製。既に研究グループが確立した運動神経細胞への分化誘導法によって、ALSで影響の出る運動神経細胞へ分化誘導させ、ALSで見られるような運動神経細胞特異的な細胞死を「TUNELアッセイ」で調査が行われた形だ。
また、神経細胞内に異常な凝集体の形成が起きているのかどうかも、免疫染色にて調査された。さらに、運動神経細胞への分化誘導に用いたのと同じヒトES細胞株をグリア細胞であるアストロサイトへも分化誘導。運動神経細胞の細胞死を誘導する毒性因子の分泌存在を、運動神経細胞を培養上清で処理し、細胞死の検定も実施された。
最初に、健常人型SOD1または変異疾患型SDO1を過剰に発現しているヒトES細胞株の未分化細胞とそれらから分化させた神経細胞で、同程度のSOD酵素活性及び遺伝子発現レベルを示す株が選ばれた。
選ばれた細胞株に神経分化誘導を行ったところ、健常人型、変異疾患型に関わらず、SOD1過剰発現株で親株同様に強く神経前駆細胞のマーカー分子の発現が確認され、SOD1の過剰発現が神経前駆細胞形成に影響しないことが判明したのである。
さらに、健常人型SOD1発現神経前駆細胞と変異疾患型SOD1発現神経前駆細胞の細胞生存率にも違いは見られなかった。このことはSOD1の過剰発現が神経前駆細胞の生存率にも影響しないことを示している。
その後、神経前駆細胞を運動神経細胞「HB9陽性細胞」にまで分化させたところ、変異疾患型SOD1発現している神経細胞に、形態的に健康的でない神経細胞が現れてきた(画像1・2)。
そこで細胞死の割合が調べられたところ、細胞死の割合が親株からの神経細胞や健常人型SOD1発現神経細胞に比べ、2倍ほどに増加しており、運動神経細胞での細胞死を調べてみたところ、変異疾患型SOD1を発現している運動神経細胞特異的な細胞死が20倍くらいに促進されていた。
一方、グリア細胞であるアストロサイトの細胞死は、特に変異疾患型SOD1発現によって、増加する現象は見られなかった。このことは、ALS患者で起きる運動神経細胞の選択的な細胞死が、変異疾患型SOD1の発現によって再現できていることを示している。
また、SOD1変異による家族性ALSの特徴の1つとして、「ユビキチン陽性」の凝集体形成がある。変異疾患型SOD1発現運動神経細胞内にも、そのような凝集体が検出できるのかが調べられた。
健常人型SOD1でも変異疾患型SOD1でも、どちらの発現運動神経細胞もユビキチン抗体によって染色されている。しかし、変異疾患型SOD1発現の運動神経細胞の半数に異常なユビキチン染色パターンが見られた。この異常なユビキチン染色パターンは、変異疾患型SDO1発現運動神経細胞のユニークな表現形であり、ALS患者に見られるユビキチン凝集体に相当する可能性がある。
最近、アストロサイトから分泌される因子の運動神経細胞死への関与が報告された。以前の報告で用いられたアストロサイトは、ALSモデルマウス脳からのアストロサイト、もしくは変異疾患型SDO1を遺伝子導入した「ヒトアストロサイト」の初代培養を用いており、ヒトES細胞から分化誘導したアストロサイトにも同じような運動神経細胞死に関与する因子を分泌しているのかは明らかにされていなかったのである。
そこで、SOD1過剰発現ヒトES細胞をアストロサイトへ分化誘導し、その培養上清でヒトES細胞から分化させた運動神経細胞を数日間処理し、その細胞死率を測定した。
その結果、健常人型SOD1発現運動神経細胞において、健常人型SOD1発現アストロサイトの培養上清より、変異疾患型SOD1発現アストロサイトの培養上清で処理された方が、明らかに細胞死が増加していたのである。このことは、ヒトES細胞から分化させたアストロサイトが運動神経細胞に細胞死を引き起こす因子を分泌していたことを示すものだ。
また、アストロサイトで発現している健常人型や変異疾患型に関わらず、変異疾患型SOD1発現運動神経細胞で、健常人型SOD1発現運動神経細胞より多くの細胞死が検出された。これらのことは、運動神経細胞死において、今回のALSモデル細胞では細胞自律的効果も、非細胞自律的効果も検出できていることを示している。
今回の研究では、これまで報告されているALS症状に関わる現象を培養細胞によって再現できることが確認された。また、運動神経細胞とアストロサイトともに同じヒト多能性幹細胞株(万能細胞株)から分化誘導させ、ALSモデル細胞の作製に成功したのは、今回の研究が世界で初めてとなる。この研究成果は、今後ALS患者由来のiPS細胞株をさらに詳細に研究するための基礎として貢献することが期待されるという。
さらに今回作製されたALSモデル細胞は、モデル細胞に必要な運動神経細胞とアストロサイトともに同じ細胞株から分化させている。このことは、動物とヒトという生物種による違いから疾患モデル動物では充分に理解できなかったALS患者での疾患発症・進行メカニズム、運動神経細胞死のおこるメカニズム、細胞自律的効果や非細胞自律的効果をより正確に解明し、ALSの根本的な治療法開発に繋がる可能性がある。
また、ALSモデル細胞で検出された運動神経細胞特異的な細胞死や異常な凝集体形成の抑制などを指標とした新薬候補化合物のスクリーニング、またヒトES細胞から分化誘導させたアストロサイトから分泌される毒性因子の同定、解析などを通して、より効果的な治療薬の探索・開発にも貢献することが期待されるとも、研究グループはコメントしている。