理化学研究所(理研)は3月23日、マウスの脳の特定の神経細胞を光で刺激して、特定の記憶を呼び起こさせることに成功し、脳の物理的な機構の中に記憶が存在することを実証した。

成果は、理研脳科学総合研究センターと協力関係にある、マサチューセッツ工科大学(MIT)の「RIKEN-MIT神経回路遺伝学センター」の利根川進教授らによるもの。詳細な研究内容は、日本時間3月23日付けで英科学誌「Nature」に掲載された。

私たちの懐かしい思い出や恐ろしい記憶、例えばファーストキスや夜間の衝突事故などは、時間や場所あるいはそのような経験を含むあらゆる感覚と共に、過ぎた昔の思い出を完全に呼びもどすことのできる"記憶の痕跡"として脳に残される。神経科学者たちは、それを「エングラム」と呼ぶ。しかし、エングラムとは概念にすぎないのか、あるいは脳内の物理ネットワークなのかがわかっていなかったのである。

1900年代前半、カナダの有名な脳神経外科医であるワイルダー・ペンフィールド博士は、てんかん患者を治療する時、発作を起こす脳内の部位を摘出する方法を用いていた。

ペンフィールド博士は、問題の神経細胞だけを確実に抽出するため、局所麻酔した患者の脳に小さな電極で刺激を与え、患者に何を体験しているか報告させたのである。

驚くべきことに、ある部位の限られた数の神経細胞に刺激を与えた時、ある患者は複雑な出来事のすべてを鮮明に思い出した。この部位は、エピソード記憶の形成と読み出しに必須と考えられている、大脳皮質・側頭部にある「海馬」だったのである。

海馬とは、大脳側頭葉の内下部にあり、両側を合わせた形がギリシャ神話の海神がまたがる海馬に似ていることからこの名称が付いた。両側を破壊すると記憶障害が起きることから、記憶に関与すると考えられている。ただし、ペンフィールド博士の実験以来、科学者たちは同様な現象を探してきたが、いまだに海馬の直接の活性化が記憶の読み出しに十分であるかどうかは立証されていない状況だ。

そして2005年、「光遺伝学(オプトジェネティクス)」という実験手法が導入された。この手法は、標的とする神経細胞のオン/オフを光照射で制御可能にする技術で、光を受けて細胞を活性化させる機能を持ったタンパク質を、遺伝子組み換えにより神経細胞に強制的に発現させるというものだ。

今回の研究では、まずマウスが新しい環境について学習している時だけ活性化した海馬の中の脳神経細胞群を特定することから開始した。さらに、どの遺伝子が活性化したかを同定し、この遺伝子と、光遺伝学で使われる光活性化タンパク質「チャネルロドプシン2(ChR2)」遺伝子を結合したのである。

次に、「海馬体歯状回」の脳神経細胞にこの結合した遺伝子を導入したトランスジェニックマウスを作製。その細胞を小型の光ファイバーを通して光で刺激できるようにしたというわけだ。

そして、このトランスジェニックマウスをある環境に置き、探索的な動きを数分間続けさせた後、足に軽いショックを与え、マウスにこの環境はショックが来るぞということを学習させた。

この学習のために活性化した細胞は、ChR2で標識化される仕組みだ。これは、特定の経験に対応した特定のエングラムに関わる神経細胞の物理的なネットワークを標識化することにもなる。

その後、別の環境にマウスを移し、標識化した細胞に光パルスを与えると、「元の環境とショック」の記憶に関係する神経細胞がオンの状態となり、マウスはたちまちこの記憶の最も顕著な兆候である「すくみ(不動でうずくまった姿勢)」を示した。

光で誘発されたすくみは、マウスがこの環境でショックを受けたという記憶が実際に甦ったことを示すもので、人為的に呼び起こされたものである。今回の実験は、記憶が実際に特定の脳神経細胞のネットワーク内に存在することを実証し、その小さな部位を物理的に活性化することで記憶のすべてを甦らせることに成功したというわけである。