科学技術振興機構(JST)は3月16日、東北大学に委託した、「質量分析装置」を用いて複数のタンパク質の「絶対発現量」を同時に量ることができる定量法の技術開発に成功し、この3月には薬を運搬するタンパク質や代謝するタンパク質を定量できるキット(画像1)をベンチャー企業の「Proteomedix Frontiers(プロテオメディックス フロンティアーズ)」を通じてその提携企業から世界同時発売し、5年後に10億円の売り上げを目指すと発表した。
JSTでは、平成20年度より東北大学大学院薬学研究科の寺崎哲也教授らの研究グループに「独創的シーズ展開事業 大学発ベンチャー創出推進」の研究開発課題「オン・ディマンド(ユーザーの要求があった時にサービスを提供する方式)型の蛋白質絶対定量キットの開発」を委託していた。この度、その開発に成功し、東北大発のベンチャー企業として平成22年3月に設立されたProteomedix Frontiersから発売するという、事業化に成功した形だ。
JSTの独創的シーズ展開事業 大学発ベンチャー創出推進とは、大学・公的研究機関などの研究成果をもとにした起業および事業展開に必要な研究開発を推進することにより、イノベーションの原動力となるような強い成長力を有する大学発ベンチャーが創出され、これを通じて大学などの研究成果の社会・経済への還元を推進することを目的としている事業である。
今回、寺崎教授らが開発に挑んだタンパク質の検出および定量という技術は、生命科学においては必須の基本技術だ。これまでタンパク質の検出には、ELISA法やImmunoblot法など、特定のタンパク質などの分子(抗原)を認識して特異的結合する働きを持つタンパク質の「抗体」を用いる方法が使われてきた。
しかし、標的タンパク質のみと特異的に結合する抗体を調製するには長い期間を必要とし、また長期間をかけても必ずしも特異的抗体ができるとは限らないのが難点である。
また、抗体を用いる定量法は、定量値の信頼性に加えて、多数のタンパク質を同時に量るという網羅性においても問題だ。このような抗体に依存した検出系の限界のため、網羅的定量解析はタンパク質ではなく遺伝子レベルで行われてきたという経緯がある。
一方、新しい網羅的タンパク質検出手法として、飛躍的な性能が向上している質量分析装置を用いた「プロテオミクス」が急激に発展している。プロテオミクスとは、タンパク質の集合体「プロテオーム」を解析する技術のことをいう。一般的に、質量分析装置を用いてタンパク質を網羅的に解析する技術のことを指す。
また質量分析装置とは、化合物の分子量や分子構造情報などを得るために、物質の質量に基づいた解析を行う装置のことだ。タンパク質の解析には、質量数を精度よく検出する「飛行時間(TOF)型」が用いられている。しかし、今回の技術開発では特定の質量の物質を非常に高感度に定量することができる「三連四重極型」の質量分析装置を用いている。
質量分析装置の高性能化とプロテオミクスの発展により、検体中のタンパク質を1回の分析で数100~数1000種類も検出することが可能になり、疾患部位などで特異的に発現するタンパク質の発見に結び付く可能性があるという状況だ。しかし、従来の質量分析装置を用いたプロテオミクスには、実は感度と定量性に問題があり、定量システムとしては用いられていないのも事実である。
現在、「ポストゲノム」(ゲノム解読以降の研究の総称)解析においてタンパク質の定量の必要性は高まっており、抗体に依存せず、かつ広くどこでも使える新しいタンパク質定量システムが待望されているところだ。
今回の開発において、寺崎教授らのチームは、従来のプロテオミクスではほとんど使用されなかった三連四重極型質量分析装置に注目。それを用いることで、37種類の標的タンパク質の絶対発現量を同時定量することに成功した。なお、絶対発現量とは、標的タンパク質の存在している数(モル数)。一方で、対象と比較して何倍高い発現であるかを相対発現量という。
三連四重極型質量分析装置とは、4本の円柱状電極で構成される四重極が3つ連なった質量分析装置である。Multiple Reaction Monitoring(MRM)を用いた高感度定量が可能な点が特徴だ。
MRMでは、3つの四重極(Q1-Q3)のQ1で対象ペプチドの質量のイオンのみを通し、Q2で限定的にペプチドを分解し、Q3で特定質量の分解ペプチドのみを通し検出するという仕組みだ。2つの質量フィルターを通すため、非常にノイズが少なく、感度が高い点が優れている。
今回の寺崎教授らの技術開発が成功した最大のブレークスルーは、標的タンパク質が消化分解されて生成する「ペプチド」(少数のアミノ酸が並ぶ場合はペプチドと呼ぶ)を、タンパク質の「アミノ酸配列」(タンパク質はアミノ酸によって構成され、そのアミノ酸の並ぶ順番のこと)からコンピュータ解析によって、事前に決定することに成功した点だ。
この定量システムは、標的タンパク質試料をタンパク質分解酵素の「トリプシン」で分解し(トリプシンはリジンとアルギニンのカルボキシル末端側を切断してタンパク質を分解する)、その分解試料中に存在する、標的タンパク質に特異的なペプチドの絶対量を三連四重極型質量分析装置で計量。ペプチドの定量は質量によるため、抗体を用いる場合に比べて極めて高い特異性(定量性)を実現しているというわけだ。
質量分析装置を用いたタンパク質の定量法は比較的高度な技術が必要なために、広く普及させるためにはサンプルの前処理について良好な再現性と簡便さを備えた「定量キット」の開発がカギを握ると考えられている。事業化に至るまでには、これらの特性を備えるための技術開発が行われてきた。
また、従来の定量法で用いられていた抗体の調製には、抗原となるタンパク質を準備する必要があったが、今回開発した技術によってデータベース上のアミノ酸配列情報のみからタンパク質の定量システムを確立することがはじめて可能となった形だ。
すなわち、標的タンパク質の定量システムを必要な時に短時間で確立することが可能な「オンデマンド型のタンパク質絶対定量法」を研究者へ提供できるようになったというわけである
寺崎教授らは、これまでの研究開発にて確立したタンパク質絶対定量法を基盤技術として、従来技術では抗体を作ることが困難で検出や定量ができなかった、新薬標的候補タンパク質やバイオマーカー候補タンパク質を対象とした定量キットの構築を進め、新薬開発の支援を行うと共に新規疾患診断法などの開発を今後は目指すとしている。
また、基礎から応用まで幅広い研究者の多様なニーズに応えるために、関連企業との業務提携などを視野に入れたグローバルな事業展開を検討する予定であるともコメントした。