早稲田大学(早大)は3月13日、動植物の細胞内の局所的かつわずかな温度変化の測定を可能にする「細胞内を歩くナノ温度計」を開発したと発表した。細胞内で分子モーターによって輸送される仕組みで、粒子の蛍光強度(明るさ)が温度によって変化し、ほかの環境要因(pHとイオン強度)に影響されず、環境が時々刻々と変化する細胞内の局所的な温度を、正確に素早く測定することが可能となったという。

成果は、早稲田大学重点領域研究機構 早稲田バイオサイエンスシンガポール研究所と、早大理工学術院の石渡信一教授および武岡真司教授らの研究グループによるもの。詳細な研究内容は、国際科学雑誌「Lab on a Chip」に掲載予定で、それに先立ちオンライン版に3月11日付けで掲載された。

動植物の熱発生や温度知覚センサに関する研究は、臓器レベルで理解が進み、温度感受性タンパク質が次々に同定されている。しかし、個々の細胞がどのように外部の温度変化に応答するのか、センサ以外のタンパク質は細胞内でどのように応答するのか、細胞内での熱発生はどうなっているのか、といった細胞内で起きるミクロな現象は未だ十分に理解されていない。

そこで、研究グループは細胞内の局所的かつわずかな温度変化の測定を可能にする新たな手法を開発することにした次第だ。

動物、植物に関わらず、生き物には温度を感じる機構と、熱を生じる機構が存在する。個々の細胞レベルでは、内部で生じる化学反応速度の変化などとして温度を「感じている」と考えられるが、そもそも細胞と同程度の微小スケール(マイクロ/ナノオーダー)での温度測定技術が、十分に発達していないのが現状だ。

微小空間の温度測定法の1つに、光学顕微鏡を用いた蛍光温度測定法がある。蛍光色素の蛍光強度が温度によって変化する性質を用いて、観察対象の局所的な温度測定を行う手法がいくつか報告されている状況だ。その一方で、一般に蛍光強度は温度以外の環境因子(pHやイオン強度)によっても変化する性質をもっており、これが正確な温度測定を妨げていた。

そこで研究グループでは、蛍光色素を高分子鎖のネットワークで包むことで、環境因子の遮断を試みたのである(画像1)。

画像1。蛍光ナノ温度計のコンセプト。蛍光色素(赤)を複数のポリマーで包むことで、ほかの環境因子(pHやイオン強度など)を遮断する

研究グループは、蛍光を発する中心核の粒径が約110nmの蛍光ナノ粒子を開発。この粒子の蛍光強度は温度によって変化するが、pHやイオン強度によってはまったく変化しない性質があること(ナノ温度計)が確かめられた(画像2)。

画像2。ナノ温度計の蛍光強度と温度、pH、イオン強度の関係

さらに、かつて研究グループが開発した、顕微鏡下で局所的に熱パルスを与える手法と組み合わせることで、1粒1粒の蛍光ナノ粒子の応答を解析。そして応答速度は57.9Hz以上、1秒間の温度分解能と観察時の空間分解能はそれぞれ0.3℃、5.3nmと見積もられた(画像3・4)。

ナノ温度計の応答速度。画像3(左)は、ガラス基板上のナノ温度計に局所的な熱パルスを加えた際の模式図。ガラス針の先端のアルミニウム粉末凝集体に赤外光を集光することで、周囲に同心円状の温度勾配を発生させる仕組みだ。画像4は、熱パルスに対するナノ温度計の蛍光強度の応答。2フレーム(17.3ms)以内に応答していることがわかる

今回のナノ温度計の優れた点は、細胞にふりかけるだけで自発的に細胞内へ導入されるように設計されている点だ。ヒト由来のガン細胞(HeLa細胞)で、その機能の確認が行われた。

そして、この過程において導入された粒子が酸性の細胞内小器官である「エンドソーム」に包まれて、細胞内を一方向に輸送されることが発見されたのである。研究グループは、この輸送がエンドソームに結合している微小管分子モーターの働きによることを示すことができたとしてた。こうして、今回の蛍光ナノ粒子が、生きた細胞内で「歩くナノ温度計」として機能することが証明されたのである。

さらに、この輸送されているナノ温度計に対して細胞外部から瞬間的な熱パルスを与えると、粒子の輸送速度が熱パルスの間だけ著しく増加する現象も確認された。

また、蛍光ナノ粒子の位置と蛍光強度の時間変化を動画の画像解析から求めることによって、細胞内小器官の位置と温度を高時間・空間・温度分解能で測定できることを示すことに成功したのである(画像5・6)。

細胞内を歩くナノ温度計。画像5(左)は、ナノ温度計が細胞内でエンドソームに包まれ、微小管の上を分子モーターによって輸送されるのを示した模式図。この輸送中のナノ温度計に熱パルスを与えると、力学酵素である分子モーターの酵素機能が活性化されて粒子の移動速度が上昇する。同時に、温度上昇に伴って蛍光強度は減少していく。画像6は、実際に観察されたエンドソームの位置と温度の高分解能マッピング。矢印は移動方向を示す

今回の研究で開発した歩くナノ温度計とこれを用いた測定手法により、細胞内で働くタンパク質の動態とその局所温度依存性との関係を、細胞内ではじめて測定することに成功した。

ミクロンサイズの細胞内小器官について、その内部の温度変化を直接測定したのは世界で初めてとなる。また生きた細胞の中で、世界最高レベルの空間分解能で、温度変化や分布を高速に測定できる手法であることも示された形だ。

また、ナノ温度計の細胞毒性は低く、学術研究で用いられる一般的な蛍光顕微鏡で測定が可能な簡便さもポイントの1つだ。この手法を応用することで、例えば細胞代謝に関する研究において細胞1個のレベルから詳細に解析することが可能になるなど、基礎医学分野への波及効果が期待されると、研究グループは語っている。

またここで開発された手法は、細胞に限らず、一般に、水溶液中(特にpHやイオン強度などが激しく変わる可能性がある場合)の温度変化を非接触な方法で測定したいという工業的用途を含めた、幅広い分野からのニーズにも応用可能だ。