東京大学は、「昆虫嗅覚受容体複合体」の両方のサブユニットがイオン透過させる「ポア構造(イオン透過路)」を作るのに貢献していることを示し、昆虫嗅覚受容体のチャネル機構を巡る数年間の論争に決着をつけたと発表した。成果は、東大大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻の東原和成教授や米ロックフェラー大学のLeslie B.Vosshall教授らの国際共同研究グループによるもの。詳細な内容は3月5日付けで「PLoS ONE」に掲載された。

昆虫は、食物の匂いや同種の他個体から分泌されるフェロモンを、触角に存在する「嗅覚受容体」で感知している。嗅覚受容体は、匂い物質やフェロモン物質と結合し、そのシグナルを受けて細胞膜を脱分極させて電気シグナルへ変換させる7回膜貫通型タンパク質だ。脊椎動物や線虫の嗅覚受容体はGタンパク質共役型受容体であるが、昆虫では匂い活性化型イオンチャネルである点が特徴となっている。

近年、研究グループは昆虫嗅覚受容体は、匂いやフェロモンによって開く「イオンチャネル」(イオンを受動的かつ選択的に膜透過させる機能を持つ細胞膜タンパク質の総称)であることを明らかにした。しかし、昆虫嗅覚受容体がイオンを透過させる分子メカニズムに関しては2つの異なるモデルが提唱されており、これを解決することが重要課題の1つとなっていたのである。

昆虫の嗅神経細胞には、数10種類の通常の嗅覚受容体(Olfactory receptor:OR)の内の1種類と、Orcoファミリ受容体(Olfactory receptor co-receptor)を共発現しており、これらはヘテロ複合体を形成して匂い・フェロモン受容体として機能する仕組みを持つ(画像)。

画像は、カイコガ性フェロモン受容体複合体の構造モデルだ。赤、オレンジ、緑のボールが、点変異によってチャネル活性に影響が出たアミノ酸。これらが、複合体のイオン透過のためのポア構造の形成に寄与していると予想されている。

画像1。カイコガ性フェロモン受容体複合体の構造モデル

前述したように、研究グループは昆虫嗅覚受容体が匂いやフェロモンによって直接活性化される陽イオンチャネルとして機能することを明らかにしたわけだが、同時期に別のグループが発表した論文では、結論こそ同じだったものの、昆虫嗅覚受容体複合体がイオンを透過させる分子メカニズムに関しては、モデルが異なっていたのである。

研究グループが、昆虫嗅覚受容体複合体のポア構造は通常のORとOrcoの両方のサブユニットにより形成されると主張する一方で、もう1つのグループでは、ポア構造がOrco側のサブユニットのみにより形成されると主張していたというわけだ。

今回、研究グループはこの議論に決着をつけることを目指し、昆虫嗅覚受容体複合体のイオン透過機構について詳細に解析を行った。実際に解析する分子として、カイコガ性フェロモン受容体(BmOr-1)とカイコガOrco(BmOrco)の受容体複合体が用いられた形だ。

一般に陽イオンチャネルのポアには、「Glu」、「Asp」または「Tyr」のアミノ酸が存在する。昆虫嗅覚受容体複合体も陽イオンチャネルであることから、複合体のポアにはGlu、AspまたはTyrが存在すると予想した。

そこで、BmOr-1とBmOrcoに存在するGlu、Asp、Tyr計83カ所の点変異体を作製して、アフリカツメガエル卵母細胞に発現させ、複合体のイオン透過能への影響を電気生理学的に解析したのである。

なお、アフリカツメガエル卵母細胞を利用した理由は、まず、一般的に卵母細胞はtRNAやrRNAを豊富に含み、細胞内に注入されたmRNAからタンパク質を合成する能力に優れている点が1つ。そしてアフリカツメガエルの卵母細胞は直径が1mm以上あり、取り扱いに優れているからだ。遺伝子の機能を調べる際に頻繁に用いられており、特にGタンパク質共役型受容体やイオンチャネルなどの膜タンパク質を発現させて機能解析するのによく使われる。

その結果、BmOr-1の2つのアミノ酸およびBmOrcoの1つのアミノ酸への点変異により、複合体のイオン透過能に影響が生じることを見出した(画像)。また、これらの変異を導入したトランスジェニックハエを作製したところ、in vivoの嗅神経細胞でもチャネル活性に影響が起きていることが確認されたのである。

昆虫嗅覚受容体複合体のポアは、通常のORとOrcoの両方のサブユニットで形成されているということが実証され、研究グループが提唱していたモデルが正しいことがわかったという次第だ。

昆虫はゲノム上に60~340個程度の嗅覚受容体遺伝子を有していることから、今回の研究の結論は、それと同じ数の種類のイオンチャネルが存在することを示している。すなわち、昆虫嗅覚受容体が最大のイオンチャネルファミリを形成していることを意味しているというわけだ。

今後、受容体複合体の結晶化によって、詳細な立体構造が解明されるのが待たれると、研究グループは述べている。また、今回明らかになった機構を利用して、昆虫嗅覚受容体活性を制御する薬剤を開発すれば、マラリアやデング熱を媒介する蚊や、農作物を食いあらす害虫などを撹乱し、その被害を軽減することができるという。今回の研究はそうした応用面へつながる重要な知見を提供するものと、研究グループはコメントしている。