理化学研究所(理研)は、左右の大脳半球間で抑制し合う「半球間抑制」という現象を最新の研究手法を用いて多角的に検証し、その神経回路メカニズムを解明したと発表した。成果は、理研脳科学総合研究センター行動神経生理学研究チームの村山正宜チームリーダーと、ベルン大学生理学部のマシュー・ラーカム教授らによる国際共同研究グループによるもので、詳細な研究内容は米科学誌「Science」に日本時間2月25日に掲載された。
ヒトの体は、手足などの末梢神経と脳神経とが交差していて、主として体の右半身情報は左大脳半球の「新皮質」に、左半身情報は右大脳半球の新皮質によって知覚されている。このように身体情報の流れが一見複雑なようだが、左右の大脳新皮質は「脳梁」と呼ばれる「交連繊維」の太い束で繋がっていて、それを介して情報のやり取りを行うことで、混線を防いでいる仕組みだ。
なお、新皮質とは大脳皮質の内で表面にある神経細胞の層で、進化的に最も新しい部分だ。ヒトをヒトたらしめている部分、などともいわれている。ラットの場合は厚さがおよそ1.5mmで、ヒトの場合は約2mmあり、6層構造を持つ。随意運動、思考など脳の高次機能を司る部位以外にも、視覚情報を処理する「視覚野」や皮膚感覚などを処理する「体性感覚野」など、機能の異なる多数の部位で構成されている部分だ。
そして、そうした体性感覚野、視覚野、聴覚野、運動野などの感覚を司る脳の各部位は、それぞれの大脳半球の対称的な位置に存在していて、各感覚野にある神経細胞群は脳梁を通じて連絡し合っている。
片方の大脳からもう一方の大脳へ出力される情報は、解剖学的には神経細胞の活動を活性化させる興奮性の情報であることはこれまでにも知られていた。しかし、なぜか片方の大脳が活性化すると、反対の大脳では神経細胞の活動が抑制される「半球間抑制」と呼ばれる現象も観察されていたのである。この半球間抑制は、1962年に日本人生理学者である浅沼廣元米国ロックフェラー大学教授(故人)らが世界に先駆けて発見した神経現象だ。
これまでの臨床医学やリハビリテーション医学での研究により、半球間抑制は、動物がスムーズに動くことや触覚の情報処理など、「普通に」行動し、考え、生きていくために必要不可欠な神経活動であるといわれている。
半球間抑制には、神経活動を抑制する神経細胞が関与していることが示唆されてきたが、どの抑制性の神経細胞がどの脳領域で活動し、そしてどの興奮性の神経細胞がその抑制を受けるのか、という神経回路レベルでのメカニズムは不明のままだった。
そこで研究グループは、より自然な神経活動を記録するため、ラットを生きたままの状態でさまざまな研究手法を用いて観察、実験を実施。まず、電気生理学的手法の一種の「ホールセル・パッチクランプ法」(ガラス電極を用いて細胞膜上に存在する単一のイオンチャネルや細胞全体の電気応答を記録する)を用いて、足刺激に対してラットの脳神経がどのような応答を示すのかが調べられた。
左足の刺激に対して右脳の大脳新皮質の体性感覚野にある「5層錐体細胞」が活発に活動したが、右足の刺激だけでは、ほとんど活動が観察されなかった。次に、右足→左足の順で連続刺激を行うと、左足だけを刺激した時と比べ、神経活動が約25%減少することが見出された。つまり、右脳の5層錐体細胞は、右足の刺激によって何らかの抑制作用を受けていることが示唆されたのである。
なお5層錐体細胞とは、新皮質の5層に細胞体を位置する錐体型の神経細胞のことで、神経細胞の主要な構成要素である「樹状突起」(ほかの神経細胞からのシナプスによる情報入力を受け、それらを統合する場所)を1層(表層)まで伸ばしているのが特徴。新皮質の2~6の各層にはそれぞれ興奮性の細胞が存在し、情報が入力されるたび連携して情報を伝達する。5層に存在する興奮性の錐体細胞は、新皮質に入力された情報の取りまとめ役であり、新皮質から情報を出力する主な細胞だ。
次にどこの脳部位がこの神経抑制を引き起こしているのか調べるため、左脳の体性感覚野を微小な電極で電気刺激を行った。すると、過去の研究から報告されている通り、興奮性情報が脳梁を介して右脳の大脳新皮質の体性感覚野に伝わることが確認されたのである。
次に、神経回路の機能を調べるために近年開発された新手法「オプトジェネティクス法」を用いて、左脳の体性感覚野に存在する5層錐体細胞だけを局所的に光で活性化させると、右脳の5層錐体細胞の活動が抑制されることがわかった。これらの結果から、右脳の神経抑制の原因部分は、左脳の体性感覚野に存在する5層錐体細胞興奮性の神経細胞であることが突き止められたというわけである。
ちなみにオプトジェネティクス法は、遺伝子工学的手法を用いて神経細胞に特別な光活性型タンパク質を発現させて、光を照射することで、その神経細胞を活性化させたり抑制させたりすることができる手法だ。この手法は簡便な点が特徴で、なおかつ神経細胞を傷つけることなく神経活動を操作することができるため、近年注目されている技術である。
興奮性の情報が左脳から右脳へ伝わるのに、なぜ右脳で神経活動が抑制されるのか、その疑問を解決するために、光の非線形現象を利用した光学測定法である「2光子イメージング法」を用いて右足を刺激した時に、右脳内で活性化する神経細胞を単一神経細胞レベルで調べた。
すると、右脳の体性感覚野の表層にある抑制性の神経細胞が活性化することが見出された。つまり、表層にある抑制性の神経細胞が5層錐体細胞の神経活動を制御している可能性を示したのである。
なお、2光子イメージング法は赤外域レーザーを使用するため、可視光レーザーに比べてより深部標本からの光学測定を行える点が特徴だ。空間解像度が1光子イメージング法に比べて高いため、単一神経細胞レベルで活動を記録できる点も優れた点である。
表層にある抑制性の神経細胞が5層錐体細胞の神経活動を制御している可能性を検証するため、独自に開発した「光ファイバーイメージング法」を用いて右脳の体性感覚野にある5層錐体細胞の樹状突起の神経活動を観察した。その結果、右足→左足の順で連続刺激を行うと、左足だけを刺激した時と比べ、樹状突起の神経活動が約30%も抑制されていることが発見されたのである。
光ファイバイメージング法は、光ファイバを脳の中に入れ、行動中の動物の神経活動を跳ね返ってくる光の強弱で記録することができる光学測定法だ。光ファイバは細く柔軟な材質であるため、これを利用することで脳深部のイメージングが可能となる。研究グループは光ファイバの先端に特殊レンズを装着することで、5層錐体細胞の樹状突起活動を記録した次第だ。
さらに、5層錐体細胞の樹状突起がどのようにして抑制を受けるのかについて、脳内に特殊な薬剤を投与することで調査が行われた。抑制性の神経細胞が、抑制性の神経伝達物質として放出するアミノ酸「GABA」のターゲットは、シナプス後部の膜上に存在する「GABA受容体(A型、B型、C型)」だ。GABAはGABA受容体と結合することで作用する仕組みを持つ。
このGABA受容体の阻害剤を5層錐体細胞の樹状突起部位に局所注入すると、半球間抑制は観察されなかった。逆に、GABAB受容体を活性化させる促進剤を脳内に注入すると、半球間抑制が亢進したのである。またラットの脳スライスを用いた電気生理学的実験でも同様な結果が確認された。
以上の実験結果から、右足の刺激によって左脳の5層錐体細胞から右脳へ伝わる興奮性の情報は、右脳の抑制性の神経細胞を活性化させ、抑制性神経伝達物質であるGABAを脳内に放出して、5層錐体細胞の樹状突起のGABAB受容体に作用し神経活動を抑制させるという、一連の流れが明らかになったのである。50年間手がつけられなかった現象を最新の技術を駆使して多角的に検証することで、そのメカニズムを神経細胞レベルで解明することができたというわけだ(画像)。
画像中の丸数字は、以下の流れを示す。(1)ラットの右足を刺激する。(2)刺激の情報は、まず左脳の体性感覚野の新皮質に到達し5層錐体細胞が活性化。(3)興奮した5層錐体細胞は脳梁を介して反対の右脳に投射し、表層に存在する抑制性の神経細胞を活性化させる。(4)抑制性神経伝達物質であるGABAを脳内に放出し、右脳の体性感覚野にある5層錐体細胞の樹状突起の活動を抑制。(5)次にラットの左足を刺激する。(6)刺激の情報は(2)同様に右脳の体性感覚野にある5層錐体細胞に到達。(7)既に(4)で樹状突起の活動が抑制されているため5層錐体細胞は十分に活性化されない、という流れとなる。
左右脳におけるコミュニケーションのメカニズムの解明に道筋をつける今回の成果は、脳卒中や脳障害による運動・感覚麻痺、言語障害などのリハビリテーション医学分野に基礎的知見を提示できるものと期待できると、研究グループではコメント。
また、今回利用した最新の研究手法は、今まで観察できなかった神経細胞の複雑な活動を詳細に調べることが可能だ。この独自の技術を活かして単一神経細胞レベル、局所回路レベル、ネットワークレベルで神経活動を観察し、行動のための神経細胞のコミュニケーション、メカニズムの解明を目指すとしている。