東北大学(東北大)大学院工学研究科 新田淳作 教授、同研究科 好田誠 准教授、同研究科博士課程3年 国橋要司 日本学術振興会特別研究員、および同研究科修士課程1年 長澤郁弥 氏らの研究グループは、電子スピン(電子の磁気的性質)の干渉効果を利用することで、スピンの幾何学的位相を明瞭に観測することに成功したことを発表した。

スピンはその向きに情報を担わせることが可能であり、スピンを情報処理に利用することは次世代の超高速・超低消費電力デバイスの開発に重要であると考えられている。このような研究分野はスピントロニクスと呼ばれ、固体中でのスピンの制御が最重要課題とされている。これまでのところ、磁場を用いたスピンの制御手法が確立されているが、高速かつ局所的にスピンを制御するには電場による制御方法の確立が不可欠となっている。

同研究グループはこれまで、電場によりスピンの回転制御が可能であることを実証してきた。一方、擾乱に対して安定な性質をもつスピン幾何学的位相への効果は実験的に明らかにされていなかった。今回、同研究グループはスピンの幾何学的位相を定量的に評価することで、幾何学的位相がスピン制御に際し大きな役割を果たしていることを実証した。

同研究成果は、ノイズ耐性の高いスピンの制御法につながり得ると考えられ、超低消費電力スピンデバイスや、量子コンピュータの情報単位である量子ビットへの応用が期待される。

なお、同研究成果は、米国物理学会誌「Physical Review Letters」2012年2月21日発行の電子版に掲載され、同誌のハイライト論文として取り上げられた(オンラインジャーナル「Physics」に独レーゲンスブルク大学 Klaus Richter教授による同研究成果の解説記事)。

固体中でのスピンの制御については、これまでのところ、物質中での相対論的効果であるスピン軌道相互作用を介し、電場によりスピンを制御する方法が有望であると考えられている。スピン軌道相互作用により、電場は磁場に変換され、スピンはこの有効な磁場によって回転する(図1(a))。

同研究グループでは、半導体中のスピン軌道相互作用を用いることにより、電場によってスピンの回転が制御できることを実証してきた。一方、スピンがたどる軌跡の幾何学的特徴のみに依存して生じる位相(スピンの幾何学的位相:図1(b))の存在が理論的に示されており、その実験的な検証が期待されていた。

図1 (a)スピンはスピン軌道相互作用の作る有効磁場のまわりを回転する。この回転に伴う動的位相は従来観測されていた。(b)有効磁場の描く軌跡に特徴づけられる位相がスピン幾何学的位相である。幾何学的性質のみに依存することから、時間に対し揺らぐノイズに耐性がある。

幾何学的位相自体は様々な系であらわれる普遍的概念であり、これまでに中性子や光ファイバを用いてその存在が実証されている。しかし、固体中の電子スピンについての幾何学的位相はその直接観測が困難であるとされてきた。

同研究では、同研究グループがこれまで検証を重ねてきた電子スピンの干渉デバイス(表面に電極を取り付けた、髪の毛の太さの100分の1ほどの半径を持つ半導体リング配列構造:図2)を用いることで、スピンの幾何学的位相の観測に成功した。

図2 作製したInGaAsリング配列構造の電子顕微鏡写真。スピン軌道相互作用の強さを変調する必要があるため、後の工程でリング配列全体を電極で覆っている

同研究グループは、強いスピン軌道相互作用を有する半導体(InGaAs)を用いて、リング配列構造を様々なリング径について作製した。リングを配列状にすることで、スピンの干渉効果の観測に適したシグナルのみが生き残る。さらに、スピン軌道相互作用を介してスピンの干渉効果をより詳しく調べるために、リング配列をゲート電極で覆った。

それぞれのリング径の試料で観測されたスピン干渉効果を調べたところ、電子スピンの幾何学的位相の定量評価が可能であることが明らかとなり、その値は理論式から求められる結果とよく一致した(図3)。

リング径を変えることで変化した幾何学的位相の値は最大で1.5ラジアンほどであり、これはスピンの回転に伴う動的位相と比べ、決して無視できない大きな値であることが分かった。

図3 スピン幾何学的位相のリング半径依存性。幾何学的位相はスピン軌道相互作用の影響も受けるため、様々なスピン軌道相互作用の強さにおいて半径依存性を求めた。点線は理論式から求めた値を示す

電子スピンの幾何学的位相の存在が実証されたことで、従来考慮されてきたスピンの回転運動に伴う動的位相だけでなく、幾何学的位相も併せて考える必要のあることが明らかとなった。同研究成果は電子スピンの制御技術確立に向けて重要な知見を与えるものであり、かつ、新たなスピンの制御法につながる可能性を秘めている。特に、時間に依存するノイズに対し耐性を持つという幾何学的位相の特徴を生かせば、より信頼性の高いスピンの操作が実現できると期待される。