東京工業大学原子炉工学研究所と助川電気工業は2月20日、陽子加速器による「ホウ素中性子捕捉療法(Boron Neutron Capture Therapy:BNCT)」に利用可能な「液体リチウム型中性子発生ターゲット」の開発に成功したと共同で発表した。

BNCTは副作用の少ない悪性腫瘍(がん)治療法として期待されているが、中性子発生に原子炉が必要なため、利用が限定されていた。しかし、今回の開発により、都市部の病院への設置も可能となり、BNCTの広範な適用が期待されるようになった次第だ。

放射線がん治療法には、(1)がんに高い線量分布を物理的に与える治療、(2)放射線に対する薬剤の増感作用によって、がんを細胞レベルで選択的に治療、という2種類がある。前者の代表的なものが陽子線・重粒子線がん治療法だが、悪性脳腫瘍やメラノーマ(悪性黒色腫)など浸潤性や多発性のがんには適用が難しく、このような難治性がんには後者の1種であるBNCTが有効だ。

この治療法は、特定のホウ素薬剤を選択的にがん細胞に集積させ、ホウ素が中性子と反応して発生するアルファ粒子とリチウム原子核の両粒子の飛程が細胞サイズとほぼ同じ性質を利用して、周囲の正常細胞に影響することなく、がんを細胞レベルで破壊できる特徴を持つ(画像1)。

画像1。 BNCTの原理。あらかじめ、がん組織に集積させた10B(質量数10のホウ素)に中性子を当てると、アルファ粒子(4He=質量数4のヘリウム)と7Li(質量数7のリチウム)が発生し、細胞と同程度の範囲にエネルギーを与えることから、がん細胞を選択的に破壊する

日本におけるBNCTの臨床研究は、1968年から悪性脳腫瘍、1987年からメラノーマ、そして2001年には世界で初めて頭頚部がんにも適応が拡大され、近年はアスベストに起因する中皮腫などの治療も世界に先駆けて試みられ、その効果が確認されている。このように日本は、BNCTに関して長年にわたり世界をリードしてきているが、その中性子源に研究用原子炉を利用しているため、利便性の高い都市部での展開が困難な状況にあったのは前述した通りだ。

今回の液体リチウム型中性子発生ターゲットの開発により、原子炉に替わる中性子源として加速器を使用することが可能になる。医療機器としての安全性、安定性、経済性を兼ね備えた、都市部病院に最適な「小型BNCT照射システム」(画像2)を実用化するコア技術だ。

画像2。現在開発中の加速器BNCT照射システムの構成

今回の照射システムでは、加速器から引き出された陽子ビームを、リチウムやベリリウムなどのターゲットに照射することで中性子が発生する作用を利用する仕組みだ。得られる中性子の最大エネルギーや生成効率の条件から、BNCTにはリチウム(陽子ビームによる中性子生成反応のしきい値1.881MeV)の利用が最有力候補の1つとして考えられている。画像3の表に示したように、(1)減速利用法、(2)直接利用法、の2つの方法が可能だ。また、リチウムは融点が低いため固体と液体のどちらの状態でもターゲットに利用できるが、リチウム以外の場合は固体で使用される。

画像3。リチウムターゲットから得られる中性子のBNCT利用法

今回開発した技術は、直接利用法と放射線損傷のない液体型ターゲットを組み合わせた、世界的に見てもオリジナルなものだ。最大の特徴は、従来の固体型ターゲットに比べて、液体リチウム型ターゲットは照射損傷による時間的劣化がないため、格段の長寿命と安定した冷却性能を実現できる点である。

開発グループは、数年前から検討してきた技術をもとに、NEDO委託事業として昨年3月からプロトタイプ装置の設計製作を開始し、このたび実用的な運転条件(液体リチウム温度220℃~250℃、雰囲気圧力10-3Pa以下)において、膜厚0.6mm、流速毎秒30mのリチウム液膜流を、曲率半径10cmの湾曲板上に幅50mm×長さ50mmの領域に安定形成することに成功した(画像4)。

画像4。実証試験に成功したリチウム液膜流(220℃、流速毎秒30m、雰囲気圧力10-4Pa)。液膜流は上から下に流れ、幅45~50mm、長さ50mmの範囲に安定形成されている

このリチウム液膜流は、別途製作される陽子加速器から得られる、直径3cmの陽子ビームの照射に対応できるものであり、直接利用法(エネルギー1.9MeV、ビーム強度20mA、ビームパワー38kW)だけでなく、減速利用法(最大陽子エネルギー3MeV、最大電流20mA、最大ビームパワー60kW)のターゲットとしても利用可能だ。

加速器BNCT照射システムの実用化に向けて、今回の技術に残された課題は、今回開発に成功した液体リチウムターゲットに陽子ビームを照射し、実際にBNCTを行うことが可能な強度の中性子を発生させ、システム全体の安全性と信頼性を確認することである。その見通しは既に解析的には得られているが、今後、予算が獲得でき次第、陽子加速器を製作し、実証運転を行う予定だ。

今回の技術を取り入れた都市部病院に設置可能な加速器BNCT照射システムが実用化されると、BNCTの治療機会が広がるだけでなく、がんを細胞レベルで選択的に治療できる特徴を持つBNCTと、陽子線、重粒子線などのほかの放射線がん治療法を有機的に連携させた、患者の負担が少なくQOL(Quality of Life)の高い、統合的な放射線がん治療システムが構築可能になる。また、BNCT以外の用途として、非破壊分析など中性子の産業分野への応用も期待されるとしている。