産業技術総合研究所(産総研)は2月2日、シグナル分子(細胞制御因子)「FGF18」が、毛の成長周期の内、休止期を維持する重要な役割を果たしていることを明らかにしたと発表した。研究は産総研バイオメディカル研究部門の今村亨主幹研究員兼シグナル分子研究グループ研究グループ長らの研究グループによるもので、成果は米国研究皮膚科学会誌「Journal of Investigative Dermatology」オンライン版に日本時間2月2日に掲載された。

脱毛症は、単に毛髪による保護・保温効果などが失われるだけでなく、しばしば心理的な影響が大きいために、広く社会的関心事となっており、その診断・治療法の開発や創薬が強く継続的に求められている。逆に、近年では不要な毛成長を抑制したいという社会的ニーズも大きくなっている状況だ。

毛の成長は、「毛成長周期」と呼ばれる成長期、退行期、休止期の3相を周期的に繰り返す。毛髪を持つ動物では、複数種の細胞が構成する「毛包」という皮膚に付属する小器官が、毛の実体である「毛軸」を作り、体外に出た毛軸が外観上の毛髪となる。

毛軸を作り出す時期には、それと並行して毛包自体が皮下に深く大きく成長する(成長期)。そして、毛包は最大限まで成長した後、細胞死が起こり、全体に退縮(退行期)。そして小さな器官に戻った毛包は、次の成長期まで、その状態を維持する(休止期)。これら成長期、退行期、休止期の3相からなる一連の過程を毛成長周期と呼び、この周期が適切に制御されることで、一生にわたって動物の体毛や頭髪が維持されるというわけだ。

この毛成長周期の内、これまで成長期を促進する分子や、成長期から退行期に移行する分子機構については、かなり明らかになってきている。しかし、退行期から休止期を維持する分子機構についてはほとんどわかっていない。休止期を維持する機構を解明し、これを阻害または促進する技術を開発できれば、脱毛症の治療やむだ毛の成長抑制に有用であると期待される。

さらに最近、毛包にある幹細胞が損傷した神経機能の再生に利用できることが示され、ガン化する心配が少ない安全な再生医療用の幹細胞として期待されるようになってきた。休止期の維持の背景には毛包幹細胞の静止状態の維持がある。そこで、休止期を維持する分子機構の解明が待たれていた。

産総研が目指しているのは、細胞や個体の働きを制御する「シグナル分子」の機能を明らかにし、新たな診断・治療・創薬のターゲット分子の同定や治療法への応用だ。なお毛に関連する報告としては、産総研は過去に毛成長の退行期誘導の制御について、「FGF5」の2種の遺伝子産物を発見している。

ちなみにシグナル分子についてだが、多細胞生物において、ある細胞(シグナル産生細胞)が作り出して別の細胞(標的細胞)に特異的に働きかけ、その細胞の機能や運命を制御する働きを持つ分子群の総称だ。産生細胞と標的細胞は、別種類の場合も同一種類の場合もあり、近傍の場合も遠方の場合もある。

そしてFGF18は、ヒトやマウスの体内で合成されるシグナル分子であり、骨の形成や肺の器官形成にとって重要な因子であることが既に判明していたが、毛や皮膚における生理的機能はまったく不明だった。産総研はFGF18が休止期の毛包で高いレベルで発現していることを発見して報告してきた経緯があるが、その生理的機能の詳細は不明だったのである。

なおFGF18は、もともと培養細胞の増殖を促進する「繊維芽細胞増殖因子」(fibroblast growth factors:FGFファミリー)の一員として発見されたものだ。1970年代に細胞培養系で細胞の増殖を促進する因子として発見された分子と、それに類似する構造を持つ分子が構成する分子群(ファミリー)である。

ヒトやマウスでは22種類の遺伝子によりコードされ、細胞の増殖分化の調節、個体発生の調節、生体の高次神経機能調節、代謝調節など、その生理機能は多岐にわたるのが特徴だ。また、この遺伝子をノックアウトしたマウスの解析により、肺や骨などの器官形成に必須な細胞制御分子であることも明らかになっている。

FGFファミリーの活性は主に、標的となる細胞表面のFGF受容体(大別して7種類のチロシンキナーゼ型受容体が知られている)を介して細胞内に伝達される仕組みだ。そのため、生理的な活性は、FGF自身の発現制御と、対応する複数種のFGF受容体や補助受容体の発現制御によって決まる。

今回の研究では、まず毛の幹細胞の存在する領域に高いレベルで局在しているFGF18とそれに対応する受容体について、その機能を解析するため、皮膚の細胞で特異的にFGF18遺伝子がノックアウトされるマウスを作成し、そのマウスを長期間にわたって詳細に解析した。

この皮膚特異的FGF18遺伝子ノックアウトマウスは長寿で、健康上の問題は見つからなかった。しかし、このFGF18遺伝子ノックアウトマウスの背部の毛を、週に1度刈ると、毛成長周期の相が揃った毛包が整列しつつ速やかに毛成長が進行して、縞状のパターンが見られたのである(画像1・2)。

画像1。皮膚特異的FGF18遺伝子ノックアウトマウスの1週間における毛成長の様子

画像2。(上)皮膚特異的FGF18遺伝子ノックアウトマウスと(下)野生型マウスの背部の毛が成長する様子

この縞状のパターンができる原因は、毛成長周期が短期間で繰り返し起こり、また、マウスの背部の毛成長周期に、首に近いほど短く、尾に近いほど長いといった周期長の差があるため、マウスが加齢するほど発毛部位が波状の模様になることによる。

また毛成長周期の内、休止期が顕著に短くなっていることもわかった(画像3・上)。野生型マウスでは休止期は3週間から数カ月にわたって持続する。これに対し、皮膚特異的FGF18遺伝子ノックアウトマウスでは、休止期は1週間前後にまで短くなり、3~4週間で1回の毛成長周期を完了して、速やかに次の毛成長周期に移行することがわかった。

これらの結果から、野生型マウスに見られるような長期間に及ぶ休止期が生理的に維持されるためには、FGF18が必要であるという新たな分子機構が判明したというわけだ(画像4)。

画像3。皮膚特異的FGF18遺伝子ノックアウトマウス(上)と野生型マウス(下)の毛成長周期の比較。Mは毛包の器官形成期、*は各成長期後に来る休止期。皮膚特異的FGF18遺伝子ノックアウトマウスでは休止期が野生型マウスに比べて著しく短縮し(赤色矢印部分)、頻繁に毛成長周期を繰り返す。なお、毛包の器官形成期と第1毛成長周期の間の休止期にはほとんど差はなく、もともと極めて短いことが知られている

画像4。今回の発見を基にした毛成長周期制御モデル

近年、休止期は「毛包幹細胞」の静止状態の維持によることが明らかになってきた。FGF18とその受容体は休止期の毛包幹細胞領域に高いレベルで発現していることから、FGF18は毛包幹細胞の静止期の維持に極めて重要な因子であると考えられる。

なお、毛包幹細胞とは「表皮幹細胞」とも呼ばれる。毛包の元基は、個体発生の中で表皮が部分的に陥入するようにして形成され、表皮から連続した構造を採っているのが特徴だ。毛包の一部には、毛包を構成する多数の種類の細胞をすべて産み出すことのできる幹細胞が存在する領域があり、「バルジ領域」と呼ばれる。毛包幹細胞は通常は毛包や皮脂腺、メラノサイトなどの細胞を産み出すが、火傷などで表皮が過度に失われた際には、表皮となる細胞も産み出して、皮膚の修復に当たる機能を持つ。

研究グループでは今後、ヒトの毛髪関連疾患とFGF18との関係などをより詳細に解析し、関連疾患の診断、予防、治療などへの応用や創薬につなげることが可能かを研究していく予定だ。また、FGF18とほかのシグナル分子による毛包幹細胞の静止期制御の機構などを明らかにすることにより、再生医療への応用につなげることを目指すと、コメントしている。