平野友康×竹中直純対談の2回目となる今回の話題は、書籍『ソーシャルメディアの夜明け』を執筆するに当たって平野氏が立ち上げた本書のFacebookページについて。執筆途中の原稿を公開しながらコミュニティ上で未来の読者とコメントのやり取りをしたり、表紙の色決めに「投票」機能を使ってアンケートを採ったりと、いわゆる普通の本の作り方では見られないユニークな試みが行われた。そこから見えてきたのは「本に期待すること」への読み手と発行側の乖離がすでに始まっているということだ。

――『ソーシャルメディアの夜明け』の執筆過程ではFacebook上で本の内容そのものがアップされるという前代未聞の試みもありました。また執筆風景もUstreamを使って中継されていましたね。出版関係者からすると「発売前のものを公開するなんて」と驚いたのですが、なぜ文章を公開しようと思われたのでしょうか。

平野:紙の本を作ろうと動き出した2011年1月頃は出版社を探すところからのスタートでした。でも出版社と組むことでマスマーケティング的な話が求められるなら、自分で好き勝手な内容を書きたいと思うようになりました。こうなると(出版社との間で)お互いに好きなように進められないという根本的な問題が生じてきたんです。

中でもハッキリと分かっていた問題が電子出版とぶつかってしまうこと。僕は著作権を持っているけど出版社は出版権をもっている。この状態で電子出版はどうするんだろうと考えたら、やっぱり面倒なことになるんじゃないかと。それに売れる/売れないも好きに考えたいと思ったときに「本を作ること」そのものを楽しいお祭りにしようと思ったんです。

そこで「ソーシャルメディアを使って今までにない本のつくり方をしよう! 」と会議をしたわけですが、「執筆風景をUstreamで流そう」といったアイディアがどんどん出てきたんです。その会議は凄く面白かったんですけど、その一方で、「むしろこういう編集会議こそ中継すべきだったんじゃないか!?」という気持ちが強くなっていったんです。つまり、著者や編集者だけではなく、(未来の)読者も巻き込んで一緒に本づくりをしていったほうが面白いんじゃないかって。だからある日、意を決して、いきなりFacebookページを起ち上げてそこにまだ執筆中の原稿を<勝手に>公開していったんです。

――そのときの反応にはどんなものがあったのでしょうか。

平野:意外と心配してくれる人が多かったですね。「出版社に怒られませんか? 」という声だったり、「(原稿を)全部出したら売れなくなりませんか? 」とかね。面白かったのは表紙の色を決めるとき。黄色と青の2パターンを出して「どっちが好き?」という投票を募ったら「黄色の方が売れそう」と黄色パターンが多かったんですよ。最終的には、売れそうな黄色より、デザインが素敵って意見が多かった青パターンに決めたんですけど。売れることよりも、長く本棚に置いて欲しいと僕が思ったので、その気持ちを大切にしました。

僕の会社にもまだソーシャルメディアを有効活用してプロモーションするチームはないし、自分のやれる範囲でFacebookを使ったのがスタート地点。当然、その時点では結果は見えていなかったわけですが、僕が読者だったら裏が見えた方が面白いと思ったので。

――本作り自体がいろいろな決断の連続ですよね。たまたま今回は「表紙の色」で投票システムを使われましたが、他にもいろいろ応用できそうです。

平野:この本を執筆しているときに僕が強く感じたのは、今まで本の宣伝は書店に並んでからがスタートだったんだということでした。普通は書店に並んで初めて「この本を好きになって欲しい」とプロモーションが始まるでしょう?  

でも『ソーシャルメディアの夜明け』は本を作る過程がスタート地点になっているので、途中で応援してくれる仲間を増やすことができるんです。だから、僕自身は裏を見せないことを良しとする考え方は、とてももったいないと思いますね。

――平野さんはそのことを著書の中で"ソーシャル脳"と言われていますね。

平野:そうそう。なんでわざわざ宣伝するチャンスを隠すんだろうと思ってしまいます。

竹中:それは電子書籍にも繋がる話ですね。結局「本に何を期待するか」という受け手側のリテラシーの問題じゃないかと思うんです。たとえばレストランで料理を待っている間、作っている過程を見たいとは思わないですよね? 本もそういう過程が見えない代表的なものでしょう。

でも技術の発展や自分自身のリテラシーの向上で知ることができるようになったし、チャンスを逃す理由もないことが分かった。そのものに関わって当事者意識を増すことで消費が進むし、より深く関わることができる。

それは多分執筆態度にも微妙に影響を与えていて、さっき平野君が言っていた「話し言葉で書いたら面白くないものができた」っていうことも、将来的に衆人環視の中で執筆するようになれば今後はその熱を伝えられるかもしれない。

平野君が昔ながらのスタイルで書いた本が『ソーシャルメディアの夜明け』だとしたら、数年後ぐらいにはもっとカオスなものが生まれて、紙にさえならないのに爆発的に売れるなど、『ソーシャルメディアの夜明け』で予言していたことが起きるかもしれないですしね。

――本のスタイル、紙じゃない何かで言えば電子書籍がそうですね。紙の本が漠然とお手本になっている中で、「何か違う」という違和感を覚えているように思えます。

平野:インターネット上での体験は、最終的に色んな事象をつなげて、知識や思い出をためてくれるアプリケーションみたいなものになるんだろうと思うんです。たとえば坂本龍一さんの世界中からのライブ中継。これは時差があるから仕方ないのですが、視聴者の皆さんは目覚ましを掛けたり、Twitterで「リハは何時からですか」なんてわざわざ聞いて、時間を合わせてくれている状態です。そういうのもスマートに見せてくれるようなアプリケーションも僕らがいま電子書籍と呼んでいる未来のひとつなんじゃないかなと思います。リアルタイムなものもあれば、蓄積されるものもある。でも何かひとつの目的に向かって便利にアシストしてくれる。そういうものになるんだろうと思いますが、今はまだ本を作っている人たちが「本を出発点」にしてマルチメディアにしようとしています。新聞は新聞、テレビはテレビと出発点が自分の陣地の中から出られないんですよね。

竹中:一方で"制限がない"という状態は何でもできるから逆に難しいんです。だから目覚ましを掛けなくてよくなると逆に面白くなくなってしまう可能性もあるかもしれないですよね。

俳句は「17文字」で成り立っていて制限があるにも関わらず、未だに表現文化としてやりつくされた感じがしないわけです。Twitterも「140字」という制限がある。だからある種の制限をこれからの電子書籍やインターネットのメディアは選んでいくんだと思います。ただその選ぶ方のセンスの良さが新しいインターネット上のドメインというかリージョンというかになっていくんじゃないですかね。センスの良い人、残念な人、旧時代の人、型というか流派に分かれていくような……。

平野:「上手に制約作ったね」という言葉が褒め言葉になったりね。

竹中:そうそう。「だから面白いじゃん」、「だからみんな夜起きていてくれる」、「お金を払ってくれる」などに繋がっていくのかも。そういう意味で言うと、まだ本自体は捨てたものではないんですよ。平野君が頑張って本を作ったのは当たり前のことで、今後そんなに簡単に消えるものではないはずなんです。制限があった方が売れますよね。

――ライブ中継の例で言えば「何時何分に同じものを見よう」とするモチベーションがあるからこそ、視聴数に繋がることもあるかもしれないですね。

竹中:それは乗り越えて行かなくちゃいけないことかもしれなくて。たとえばテレビ番組は録画できるようになったことで、いつでも見られるようになりました。しかし、録画しても見ないままのことも多いですよね。結局数年たっても見ないことが分かると、必要のないものだったと気づき、人はテレビを越えていくんですよ。 インターネットやソーシャルメディアはまだ新しいものだから、そういう体験を誰もしていないけど、恐らくそういうことがこれから"淘汰"という形で起きてくるんじゃないかと思います。



「本作りという一種のイベントを公開して、そのものを好きになってもらう」と平野氏は言う。現実には上でも触れたように様々なしがらみがあってなかなか自由にできないものだが、一方でソーシャルメディアに必要なのはそうした制限。相反するようで目的はただひとつ。「今ある状況を上手くサバイブするためには洗練された制限と個人が得た自由」を上手くソーシャルメディア上で体現していくことだ。これを具体化した事例のひとつが、「書籍++」プロジェクト。次回は平野氏と竹中氏が「書籍++」に込めた思いを中心に話を聞いていこう。

撮影:石井健