科学技術振興機構(JST)、国立精神・神経医療研究センター 神経研究所(NCNP)、生理学研究所(NIPS)の3者は1月18日、運動中に手の感覚が抑制される新たな神経機構を解明したと共同で発表した。NCNP神経研究所モデル動物開発研究部の関和彦部長、ワシントン大学 生理生物物理学部のE.フェッツ氏、NIPSの共同研究グループによる発見で、成果は米科学誌「The Journal of Neuroscience」に米国東部時間1月18日に掲載された。
まったく同じ刺激が手足の皮膚などに与えられたとしても、引き起こされる感覚は状況に応じて異なることは、誰も日常生活の中で体験していることだ。例えば、熱いフライパンのフタを持ち上げる場合、もし「フタが熱い」ということを知らない場合は皮膚刺激が脊髄の神経を興奮させ、手を引っ込める反射(屈曲反射)が起こり目的は達成できない。一方、熱いことをあらかじめ知っている場合には、神経の興奮を抑制することが可能だ(画像1)。
画像1。同一の感覚入力は状況に応じて異なった結果を生む例。熱いフライパンのフタを持ち上げなくてはならない場合。もし、「フタが熱い」ということを知らない場合は皮膚刺激が脊髄の神経を興奮させ、手を引っ込める反射(屈曲反射)が起こり目的は達成できない(上)。一方、熱いことをあらかじめ知っている場合には、神経の興奮を抑制し反射を止めることができる(下) |
このような、状況に依存した感覚反応の変化は自己の運動中に顕著であることが、心理学的研究から明らかにされてきた。このことを示す別のケースは、手のひらをくすぐる際にも存在する。例えば、他人に手のひらをくすぐられる場合と自分自身でくすぐる場合とでは、自分自身でくすぐった方が「くすぐったさ」が抑制されること、また自分自身でくすぐった場合でも、より早く皮膚を刺激した方が感覚の抑制が大きいことなどが知られていた。
また、統合失調症の患者ではこの抑制が少ない(自分がやっても他人がやっても同じように感じる)ことから病態の診断への応用を検討する研究例もある。しかし、こうした研究が進められている一方で、自分の運動中に皮膚感覚が変化する現象を引き起こす脳内の仕組みはわかっていなかったのである。
研究グループでは、皮膚感覚を伝える末梢神経がまず脊髄で中継されることに注目。サルが手首を動かしている最中に、皮膚神経から脊髄と大脳への連絡がどのように変化するか、ということの記録に世界で初めて成功した(画像2)。
さらに、その変化と運動の成績を比較することによって、「なぜ」皮膚感覚が運動中に変化する必要があるのかについて解析を実施。その結果、運動中の皮膚神経からの連絡は、大脳皮質の感覚野や運動野だけでなく、第一中継地点である脊髄においてすでに抑制されていることが明らかになったのである(画像3)。
この結果は、これまで心理学的実験において認められてきた運動時の感覚閾値上昇は脊髄のレベルで引き起こされることを強く示唆する結果だ。さらに、大脳皮質の運動野への皮膚感覚入力は運動前、つまりサルが運動の準備をしている時間帯からすでに抑制されていた(画像3)。
また、その抑制が大きければ大きいほど、サルは素早い運動を行うことができることが明らかになった(画像4)。これは丁度、サッカーのプレイ中にケガをしても痛みをあまり感じずにプレイを続行できるように、運動と直接関係しない感覚が抑制される仕組みが、運動の準備中に運動と一緒にセットされて準備されることを意味している。
大脳皮質や脊髄には多くの神経回路があり、いろいろと有益な役割を果たしているが、特定の運動にあたって、足を引っ張るようなことも出てくることがある。それに対応するため、邪魔になる回路は抑制し、役に立つ回路は増強するようにあらかじめセットされるものと考えられるというわけだ。
これは、これまで報告されたことのない種類の新しい「感覚抑制」のタイプであると同時に、感覚抑制がより良い運動を行うために役立っていることを強く示唆する結果である。感覚抑制とは、皮膚などに与えられた刺激が運動や予測状態などの状況に応じて抑制され、同じ強さの刺激でも、より小さく知覚される現象のことだ。
今回の実験結果から、運動時の感覚抑制は脳や脊髄を含めた中枢神経全体で同時に認められる現象であることを明らかにし、さらにその抑制は余剰な感覚情報の軽減によって、より良い脳の働きを作り出しているという新たな仮説を導くことが出た形だ。
今回の研究によって、運動時の感覚抑制が大脳皮質だけでなく脊髄や脳幹を含めた感覚入力に関する多くの中継地点が連携することによってもたらされていることが明らかになり、今後は、その連携の仕組みを詳細に調べる研究が盛んになるものと、研究グループでは予想している。
また、新たに発見された運動成績と感覚抑制の大きさとの関連性は、これまで未知であった感覚抑制の機能的意義を、生物実験によって初めて提案することができたのが今回の成果の1つ。それにより、今後はさまざまな運動や運動疾患において同様の計測を行うことにより、運動能力をより客観的に評価する研究も進展するものと研究グループでは予想している。さらに、今回明らかになった自他の行動識別の神経基盤を用いた精神疾患などの病態理解や治療法開発などの研究も進展する可能性があるとしている。