産業技術総合研究所(産総研)は、生物としては例外的な1本鎖RNAをゲノムとして持つ「Qβウイルス」由来のRNA合成酵素「β-サブユニット」と、宿主の大腸菌に由来する2つの「翻訳因子」(タンパク質の合成に関与するタンパク質)が複合体を形成し、翻訳因子がRNAの合成伸長過程を促進する新たな機能を有することを発見したと発表した。産総研バイオメディカル研究部門RNAプロセシング研究グループ富田耕造研究グループ長らによる発見で、成果は「Nature Structural & Molecular Biology」オンライン版に掲載された。
RNAウイルスのゲノムの宿主内における複製や転写のプロセスの大部分は、宿主由来のタンパク質を必要とする。しかし、複製、転写の際のRNA合成はウイルス自身が有するRNA合成酵素がその触媒活性を担う。
また一部のRNAウイルスでは、RNAゲノムの複製、転写を担うウイルス由来のRNA合成酵素が、宿主の翻訳因子と複合体を形成し、その複合体形成がRNAウイルスのゲノムの転写や複製に必須であることが知られている。
こうしたウイルス由来のRNA合成酵素と宿主の翻訳因子との複合体形成や、RNAウイルスのゲノムの宿主内における複製、転写での宿主翻訳因子の役割を分子レベルで解明することは、新たな抗ウイルス剤の開発の基盤につながると期待されているところだ。
なお、現存するほとんどの生物では、RNAを合成するシステムとタンパク質を合成するシステムは互いに独立したプロセスである。ただし、タンパク質合成に必要な因子がRNA合成にも必要な因子として組み込まれているウイルスもいて、それらのRNA合成酵素複合体の研究は、RNA合成システムがタンパク質合成システムへと進化した分子レベルでの仕組みや、生命進化における翻訳因子の起源について、学術的に重要な知見が得られる可能性を秘めているというわけだ。
産総研ではRNA合成酵素群の研究が行われており、これまで鋳型を用いないでRNAを合成する酵素群や、ウイルス由来の鋳型を用いてRNAを合成する酵素の機能、構造、進化、制御機構の研究が進められてきた。
さらに、核酸性の鋳型を用いてRNAを合成するウイルス由来のRNA合成酵素の内、大腸菌に感染するQβウイルス由来のRNA合成酵素とQβウイルスに感染した細胞内の翻訳因子との複合体形成機構も解明している。
そして今回、研究グループが目指したのが、このRNA合成酵素と翻訳因子の複合体がRNAの合成を開始しRNA鎖を伸長、合成していく過程についてX線構造解析、また構造をもとにした機能解析を行い、翻訳因子のRNA合成過程における役割だ。なお、X線回折データはKEKのフォトンファクトリー構造生物学ビームライン「BL-17A」を利用して取得した。
翻訳伸長因子である「EF-Tu」、「EF-Ts」は全生物において普遍的に存在し、タンパク質合成における伸長サイクルに必要不可欠なタンパク質である(画像1)。1970年代の初頭に、翻訳因子EF-Tu、EF-Tsが大腸菌に感染するQβウイルスのQβ複製酵素複合体を形成する不可欠なサブユニットであることが報告された。この報告は翻訳因子の別の役割、機能を示す最初のものだったのである。
画像1。全生物に存在する翻訳伸長因子であるEF-TuとEF-Ts。EFはElongation Factorの略。EF-Tuはアミノ酸の結合したtRNAをタンパク質合成装置のリボソームへ運搬し、EF-TsはEF-Tuをリサイクルする役割を果たしている。いずれもタンパク質の合成システムに必須のタンパク質だ |
その後、いくつかの植物、動物、ほかのバクテリアに感染するRNAウイルスのゲノムにコードされているRNA合成酵素が、宿主由来の翻訳因子と相互作用しうることが報告され、その相互作用がRNAウイルスのゲノムの複製、転写に必要であることも報告されてきた。
しかし、ウイルスにコードされているRNA合成酵素が宿主由来の翻訳因子と相互作用し、複合体を形成する分子機構や、複合体中における翻訳因子のタンパク質合成での機能とは異なったRNA複製、転写における役割については長い間の謎となっており、その分子機構は明らかにされていなかったのである。
Qβウイルスは、1本鎖RNAをゲノムとして持つ、大腸菌に感染するウイルスであり、Qβ複製酵素複合体によってそのRNAゲノムの複製、転写を行う。Qβ複製酵素複合体はウイルス由来のRNA合成酵素であるβサブユニット、宿主由来の翻訳因子EF-Tu、EF-Tsとリボソームタンパク質「S1」から構成される。
特にRNAの複製、転写にはβサブユニットとEF-Tu、EF-Tsとが3者複合体を形成することが必要だ。今回の研究では、この3者複合体がRNA合成を開始し、RNA鎖が伸長していく過程の複数の構造について、X線結晶構造解析と構造に基づいた生化学機能解析が行われ、その結果、以下の5つが判明した。
1: RNA合成開始時には、鋳型となるRNAの3'末端のアデニン(A)はRNA合成の鋳型となるのではなく、RNA合成の最初のヌクレオチド(GTP)のグアニン(G)と鋳型RNAの3'末端から2番目のシトシン(C)との塩基対と相互作用して、開始時の複合体を安定化させ、RNA合成開始を効率よく行わせる役割を担っている(画像2)。
2: RNA合成伸長過程では、8ヌクレオチドの長さのRNAが合成されるまで、合成されたRNAは鋳型RNAと2重鎖を形成し、その2重鎖は複合体中のEF-Tu、EF-Tsの方向へ進行。この方向は、鋳型RNAのリン酸骨格がEF-Tuと水素結合を形成することによって決定される(画像3)。
3: 9ヌクレオチドの長さのRNAが合成されると、鋳型RNAの3'末端の突出したアデニンはβサブユニットのC末端領域(クサビ領域)と相互作用し、その結果、鋳型RNAと合成されたRNAの間の水素結合は不安定になる(画像4・左)。
4: 10ヌクレオチドの長さのRNAが合成されると、鋳型RNAと合成されたRNAからなる2重鎖はさらに複合体中のEF-Tu、EF-Tsの方向へ進行。そして鋳型RNAの3'末端の突出したアデニンはクサビ領域やEF-Tuと相互作用することによって反転し、βサブユニットとEF-Tuの間に形成されるトンネル(鋳型RNA出口)の方向へ導かれる(画像4・中央)。また、鋳型RNAと合成されたRNAからなる2重鎖RNA間の水素結合はさらに不安定に。
5: さらに、RNAが伸長すると(14ヌクレオチド)、鋳型RNAと合成されたRNAの間の水素結合はクサビ領域によってほとんど解かれ、鋳型RNAは鋳型RNA出口トンネルへ入り込み、また合成されたRNAの5'側は複合体から解離する(画像4・右)。
以上の結果から、ウイルスのRNA合成酵素と複合体を形成する宿主由来の翻訳因子は、RNA合成伸長過程において、鋳型RNAと合成されたRNAの2重鎖をほどき、効率よくRNA伸長合成が行われるのを補助することが判明。それと共に、鋳型RNAの出口トンネルをRNA合成酵素と共同で形成することによって、RNAウイルスのゲノムの転写、複製が完了するまで、鋳型RNAが複合体から解離してしまうのを防ぐ役割もあることも確認された。
RNA分子が化学反応を触媒する機能を有していることが発見され、太古生命体では、生命体を構成する分子はRNAであり、RNA分子が遺伝情報の保存分子であり、かつ化学反応を触媒する酵素であったとする「RNAワールド仮説」が提唱されている。長い年月を経て、RNAの遺伝情報の保存分子としての役割が化学的に安定なDNAへ、そして、RNAの酵素活性の役割がタンパク質へと置き換わり、現在の生命になったと考えられているというものだ。
また生命の進化において、RNA合成-複製システムはタンパク質合成システムよりも先に出現したと考えられており、これらの仮説や考えは多くの研究により支持されている現状だ。今回の研究で明らかになった翻訳因子にRNA合成、伸長を促進する役割があるという事実は、RNAゲノムからなる太古生命体では、翻訳因子は元来、RNAゲノムの複製や転写を促進する補因子としての役割を担っており、その後出現した現在のタンパク質合成システムが、このRNA合成補因子を翻訳因子として取り込んだ可能性を示していると、研究グループでは考えているとした。
ウイルスのRNA合成酵素の中には、宿主由来の翻訳因子以外のタンパク質合成に関わる因子と複合体を形成するものがあることも確認されているが、研究グループでは今後、これらの因子のRNA合成における機能の解明を行うとする。
さらに、これらの解析から生命が進化する過程でRNAの機能がタンパク質へ置き替わる遷移の分子機構、分子進化、RNA合成システム、タンパク質合成システムの進化、起源を明らかにしていくとしている。