九州大学(九大)、慶應義塾大学、資生堂フロンティアサイエンス事業部は12月26日、運動神経が選択的に変成してしまう神経難病「筋萎縮性側索硬化症」(Amyotrophic Lateral Sclerosis:ALS)における、「D-セリン分解酵素」(D-Amino acid Oxidase:DAO)と脊髄の「D-セリン」量の関与について明らかにしたと発表した。同成果は九大大学院薬学研究院臨床薬学部門生体分析化学分野の浜瀬健司准教授らの研究グループによるもので、成果は「米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences of USA:PNAS)」オンライン版に掲載された。
ALSは、筋肉を動かし運動を司る運動神経が障害を受け、多くは数年で全身の筋肉が痩せて力が入らなくなる神経難病だが、身体の感覚や知能などは通常障害を受けないことが特徴の1つとなっている。主に中年で発症し、1年間で10万人に約1~2人が新たにこの病気にかかり、国内では現在約8500人が患っている。
問題は原因が未だに十分に解明されていないことで、それため進行を止める根本的な治療法も開発されていない。これまでの研究で、グルタミン酸による運動神経の興奮異常が病態に関与していると考えられるようになってきており、現在のところは、神経からのグルタミン酸の放出を阻害する薬が唯一認可されているという状況だ。しかし、かんばしい効果は上がっておらず、新しい治療法の開発が期待されている。
研究グループでは、これまでの研究により運動神経の過剰興奮にはグルタミン酸のみならず、D-セリンが関与していることを発見しており、資生堂と共同開発した「2次元液体高速クロマトグラフィ(2D-HPLC)」を用いることで、脳内の微量なD-セリンの定量メカニズムの解明と、新たな治療法に向けた研究を模索してきたという。
また、近年DAOの変異体が家族性(遺伝的)ALSの原因の1つであることを英国の研究グループが報告したことにより、運動神経変成との関わりに注目が集まるようになってきたが、DAOの変異体がD-セリン量の変化や運動神経変成にどのように関するかは分かっていなかった。
なおD-セリンは、L-セリンの光学異性体で、中枢神経系に多量に存在しているD-アミノ酸の1種。中枢神経系においてL-セリンから生合成され、小脳、脳幹、脊髄では複数のD-アミノ酸を分解する酵素DAOによって量を調節されているほか、イオンチャネル型グルタミン酸受容体の1種である「N-メチル D-アスパラギン酸」受容体に結合し、グルタミン酸と協調して神経細胞の興奮性を調節する役割を担っている。
また、2D-HPLC技術は、さまざまな有機化合物の分離や定量のための代表的手法「高速液体クロマトグラフィ」(HPLC)を進展させたもので、2つの異なる分離モードを組み合わせることで、複雑な組成を持つ試料の成分を分離するシステムとなっている。今回の研究では、新たに開発したモノリス型逆相カラムとセミミクロ光学異性体分離カラムを組み合わせて生体試料中のD-アミノ酸を分離し、高感度かつ高特異度で定量解析を実施したという。
研究グループではDAOに注目してそのALSにおける役割を分析。今回の研究では、2D-HPLCに加えて、「DAOの高感度組織活性染色法」を応用することで、従来は困難だった組織中の微量なD-アミノ酸の高感度測定およびDAO活性の組織局在解析を実施した。DAOの高感度組織活性染色法は、DAOの酵素活性を保持することができる特殊な条件で凍結組織切片を作成し、D-プロリンを組織中のDAOと反応させ、反応産物を蛍光標識して可視化する手法で、DAOの活性が組織中でどこに分布するかを解析するのに有用である。
この結果、DAOは小脳、脳幹、脊髄に豊富な酵素で、脊髄では特に上位運動神経路でD-セリンを低く保働きをしていることが判明。DAO酵素活性を欠損したマウスでは、脊髄でD-セリンの顕著な蓄積が認められ、組織学的な運動神経の変成と筋肉の萎縮を引き起こすことが示された。さらに、ALSに類似した症状を引き起こす遺伝子改変マウスの上位運動神経路におけるアストログリア細胞で顕著にDAO活性が低下していることも発見し、そのことが脊髄における進行性のD-セリン蓄積の主要な原因であることを明らかにした。
なお、研究グループでは、これらの結果を受け、通常DAOはD-セリンを低く保つことで脊髄運動神経の過剰興奮を防ぐ役割を果たし、ALSではDAOの酵素活性の低下がD-セリン蓄積を促し、運動神経変成へと導くのではないかとの推察をしている。