理化学研究所(理研)は、本来、磁性を持たない有機分子が磁性を帯びる仕組みを、電荷移動に基づく新モデルで示した。

同成果は、理研放射光科学総合研究センター 石川X線干渉光学研究室の山岡人志専任研究員、石田行章研究員(現 東京大学)、松波雅治研究員(現 自然科学研究機構分子科学研究所)、江口律子研究員(現岡山大学理学部)と、岡山大学理学部(森田潔学長)の神戸高志准教授、京都大学(松本紘総長)工学部の佐藤徹准教授、高輝度光科学研究センター(白川哲久理事長)の仙波泰徳研究員、大橋治彦副主席研究員らとの共同研究グループによるもので、米国の物理科学誌「Physical Review B rapid Communication」のオンライン版に掲載された。

通常、磁性は金属原子や金属を含む化合物が帯びるが、これは金属化合物の電子が持つ電子スピンの向きがそろうことで磁性が発生しているためである。しかし、金属ではない有機分子が磁性を帯びるという現象も知られており、なぜそうした現象が生じるのか、その仕組みの解明に向けた研究が各所で進められてきた。

代表的な磁性を持つ有機分子として「TDAE-C60」がある。これは、サッカーボールの形状をしたC60(フラーレン)を中心に、電子を供給しやすいテトラキスジメチルアミノエチレン(TDAE)という有機分子が付いた化合物で、C60とTDAEは、それぞれ単体では磁性を帯びていないにも関わらず、結合すると電子がTDAEからC60側に移動し、ほぼ球対象に近かったC60が変形し、室温付近では、C60が回転していて電子スピンがそろわないが、およそ-257℃以下の低温域になると回転が止まり、C60の電子スピンがそろい強磁性が発現すると考えられている。

電子の移動は、こうした有機分子が磁性を発生させる上で重要な因子であり、「なぜ有機物が磁性を帯びるのか」という問いに対する答えは、「電荷移動が起きて孤立スピンができてそれが低温でそろうから」ということとなる。これは、TDAE-C60に限らず、一般的な磁性を持つ有機分子化合物に適用できる原理であることから、電子を放出しやすい分子と電子を受け取りやすい分子が結合すれば、電荷移動が起きて磁性を帯びやすくなることが考えられる。

しかし、この考えはまだ実験的に証明されておらず、これまでにさまざまな仮説があり、具体的な電荷移動に関しては、結論が出ていなかった。

今回、研究グループは、TDAE-C60のうち、C60を中心に、TDAEが立方体頂点に配置された構造のα-TDAE-C60の良質な単結晶を用い、軟X線領域での光電子分光測定を行い、実験結果と理論計算を比較することで従来とは異なる新しい電荷移動のモデルの考案に挑んだ。

図1 TDAE-C60(左図)と低温でのTDAE-C60結晶の状態。
左図:TDAEは強い電子供給源であるため、TDAEからC60側に電子が移動する。すると、C60側で歪みを起こしてC60が少し変形する。同時に電子は、C60の赤道付近に局在する
右図:TDAE-C60結晶は、およそ-257℃以下の低温域でTDAE分子が交互にシフトして、赤丸で囲ったTDAE分子同士が弱く結合する

これまで、TDAE-C60電子の移動について調べるためには、大きな問題が2つあった。1つは、従来使われていた電子サイクロトロン共鳴(ESR)による測定法では、電荷移動して孤立電子スピンができたはずのTDAE側に、電子スピンを観測できないという問題。この原因は、隣りあうTDAEが持つ電子のスピンが結晶の特定方向に、反対向きで弱く結合し、打ち消し合うことによるものと考えられている。

2つめの問題は、TDAEからC60に移動した電子の数が特定できないことということ。電子の移動後の状態を調べるためには、光電子分光測定が適しており、電子の結合エネルギーの違いを測定することで状態を確認していた。これまでの研究では、TDAE-C60を細かく砕いたサンプルの光電子分光測定から、TDAEからC60に、1個の電子の移動と2個の電子の移動が同じ程度に起きる、というモデルが提唱されていた。

今回、研究グループは、岡山大学の神戸高志准教授らのグループが生成した、TDAE-C60(α-TDAE-C60)の良質な単結晶に対して、SPring-8の軟X線ビームラインBL17SUの光を使って光電子分光測定を行った。その結果、TDAEの窒素(N)の電子の最も内側の軌道上の電子に対するスペクトルのメインのピークは1つであり、TDAEからの電子の移動は、1個であることが判明した。また、電子が詰まっている上限のエネルギー付近での光電子スペクトルを調べると、電子の移動によるピークを観測し、確かに1個の電子がC60側へ移動していることが分かった。

さらに、京都大学の佐藤徹准教授の計算法(第一原理計算法)によって、窒素の結合エネルギーの計算結果と実験結果とを比較したところ、TDAEからの電子の移動は、やはり、1個であるということが分かった。

これらの結果から研究グループは、TDAEからC60へ電子が1個移動し、TDAE側の電子は、隣り合うTDAE同士の電子スピンが結合しているというモデルを提唱するに至ったという。

図2 光電子スペクトルと電荷移動のモデル。上の3つのグラフは、光電子分光の測定結果。TDAEの中の窒素(N)に対する結果が、以前の結果と大きく異なっている。以前の光電子測定の結果を基にした電荷移動のモデルが左下の図で、新たな結果と理論計算の結果を合わせて考えられたモデルが右下の図となる。新しいモデルでは、TDAEからC60への電子の移動は1個で、TDAE同士はスピンが反対向きで弱く結合している

磁性を持つ有機分子の中で、α-TDAE-C60は、電子を供給したTDAE側同士が結合していると考えられる。鉄などの原子からなる磁石と違って、分子が主役となる磁石では、分子を自由に設計して作り出すことが可能であり、今回得られた結果は、磁石に有利な分子を作り出し、分子磁石を作るための強い指針となると考えられ、単分子有機磁石の開発とその高密度情報記録材料への応用、光・電場・熱によってスイッチングされる有機磁石作成への応用、生体適合性の高い有機磁性体による磁性体薬剤化合物作成への応用などが期待できると研究グループでは説明している。