ベル研究所 (Bell Labs) は10月13日、同社公式Webページでデニス・リッチー (Dennis Ritchie) 氏が亡くなったと発表した。享年70。

訃報は意外なところから飛び込んできた。同氏の元同僚で、現在Googleに勤務するロブ・パイク (Rob Pike) 氏が、Google+ に「Dennis Ritchie 博士が長い闘病の末、自宅で亡くなった」と書き込んだことだ。

その後、Bell Labsの所長 ジェオン・キム氏 (Jeong Kim) からのメッセージが、同社Webページに掲載された。

「デニス・リッチーが70歳で死去したとお知らせするのは深い悲嘆です」

リッチー氏は1941年9月9日に生まれ、その後ハーバード大学にて物理学を学び、大学院では応用数学を専攻した。1967年に、同氏の父が勤務するベル研究所コンピュータシステムリサーチ部門に入所。その後、1968年にハーバード大学で博士号を取得している。

リッチー氏はベル研究所に入所後、マサチューセッツ工科大学 (MIT)、ゼネラル・エレクトリック (GE)、同社の3者の共同開発におけるMultics (Multiplexed Information and Computing System) プロジェクトを担当。同プロジェクトは、「新しいコンピュータ環境を創る」というプロジェクトだった。

リッチー氏は、Multics上で動くBCPL言語用のコンパイラを担当。また、同僚だったケン・トンプソン (Ken Thompson) 氏と一緒にBCPLを発展させてB言語を作る作業もしていた。B言語は主にトンプソン氏によって開発されたが、その後開発されたC言語はリッチー氏が主体となって作成されたものだ。

その後、リッチー氏はUNIXシステムをC言語で書き換えを行った。C言語で書かれたUNIXシステムはその後、移植性に優れたOSとして、多くのユーザーを獲得した。このことからリッチー氏はC言語及びUNIXシステムの父とも呼ばれている。

また、リッチー氏の開発したC言語は、UNIX、パソコンのみならず、汎用機その他ほとんどすべてのコンピュータの主要用語として使われており、さらに後にベル研究所のビャーネ・ストロヴストルップ (Bjarne Stroustrup) 氏によって、オブジェクト指向に対応したC++が作られ、そのC++からはジェームズ・ゴスリン (James Arthur Gosling) 氏によるJavaが派生した。このことからもリッチー氏の果たした役割は数知れない。

今年5月に日本国際賞を受賞した際のデニス・リッチー氏 (右)