突然、質問されたらどう答えてよいかわからず、まごついてしまうという人に朗報だ。こんな時、「ポーカーフェースでうまく切り抜けられれば」と思っているとしたら、無理して変える必要はない。咄嗟の対応に戸惑う人の素振りをみて、周囲は信頼できると評価しているという調査結果が出ているのだ。
当惑と信頼の関係を調査したのは、カリフォルニア大学バークレー校で社会学教授を務めるRobb Willer氏ら3人の研究者。Willer教授らは、アメリカ心理学会(American Psychological Association: APA)の発行する学術雑誌『Journal of Personality and Social Psychology』の9月号でその調査結果を発表した。
調査にあたり、Willer氏らはさまざまな実験を行っている。ある実験では、学生約60人を対象に、公衆の前で大げさな言葉や間違った憶測をした時の反応を見た。具体的には、大柄な女性を誤って妊娠していると勘違いした時、ボサボサの身なりの人を路上生活者と間違えた時などの反応をビデオに撮影し、当惑の度合いを評価した。
次に、この実験を受けた学生らは「独裁者ゲーム(Dictator Game)」と呼ばれる利他主義の度合いを測定する実験に参加した。ここでは、景品が当たるくじを10枚渡し、一部を手元にとり、残りをペアに渡すように指示するなどのことを行った。その結果、まごついたり当惑しやすかったりする人はペアに渡すくじの枚数が多く、概して気前がよいことがわかったという。
このほか、一般公募で選出した38人を対象とした調査も行っている。ここでは、まごついたり当惑したりする頻度を聞き、独裁者ゲームを通じてわかったその人の協力性と気前のよさを関連付けた。また、俳優を起用し、テストの点が満点だったと聞かされた俳優の2種類の反応(照れる・当惑する、得意顔)を見て、どちらをより信頼するかも尋ねた。
これらの結果、「当惑する、照れる、まごつく」といった反応を示す人に対し、人はより信頼を置くことがわかった。このような反応は、その人が「向社会的(他人に協力することや助けることに積極的なこと。反社会的、非社会的の反対)」であることを示すもので、もっと人や社会と関わりたいという意思の表れと言えるという。
つまり、「当惑する、まごつく、気恥ずかしい」といった反応は、人々がその人を信じるかどうかを判断する貴重な判断材料になると言えそうだ。「当惑することは、社会的な"接着剤"であり、日常生活における信頼や協力を強めるものだ」とWiller教授は述べている。
調査に参加した研究生のMatthew Feinberg氏も、「適切なレベルであれば、当惑は美徳や高潔さの兆候だ」、Dacher Keltner氏も「調査により、当惑はよいことであり、無理して変える必要はない性質だ」と記している。
日本人は、自身の評価に気恥ずかしがったり、謙遜したり、あるいは間違ってしまった時にまごつくといった反応を示すことが多いと言われる。この調査に基づけば、われわれは国際社会において、信頼という点で高い評価が得られるということだろうか(それでも実績を伴わなければ、その信頼も失ってしまうだろうが……)。
なお、当惑や気恥ずかしさも適度なレベルを超えると状況は違ってくるという指摘もある。社交的な場面で自身の評価を強く気にしたり、過度な不安を抱いたりするとなれば、社会恐怖症と見なされるという(これがひどくなると、社交不安障害という精神疾患になる)。境界線として、ちょっとうつむく、顔の一部を覆う、当惑して笑うといった動作なら、当惑や恥ずかしがっていると言えるが、顔を完全に覆ってしまうと社会恐怖症と言えるなどとしている。だが、これは米国でのジェスチャーなので、日本人には当てはまらないかもしれない。