日本科学未来館が、2011年8月21日からオープンした新規常設展示の2つ目が、「アナグラのうた~消えた博士と残された装置~」だ(画像1)。先に紹介した「2050年くらしのかたち」と同じ3階にあるが、こちらは「情報科学技術と社会」エリアにある。
1990年代のインターネット技術(インターネット社会)、2000年代のユビキタス・コンピューティング技術(ユビキタス社会)に継ぐ、2010年代の情報技術革新と目される「空間情報科学」をテーマにした体験型の展示だ。
空間情報科学技術とは、これまでは人の方から情報を求める社会に対し、情報が人間にさりげなく寄り添う社会を実現するものである。ユビキタス社会のさらに一歩進んだものというイメージで、ありとあらゆる実空間で多種多様なセンサ群が人やものの振る舞いを計測し、コンピュータがそれらを理解し、アクティブに人に対して働きかけるという考え方である。
例えば、歩行者がいるとして、目の前の交差点の死角から自転車が接近しているとしよう。そのままいけばぶつかって事故になってしまいかねないわけだが、空間情報科学技術が行き渡った社会であれば、歩行者にも自転車をこいでいる人にも警告を発することで、危険を回避できるというわけだ。
今回の展示の「アナグラ」は、こうした空間情報科学の考え方を具現化しており、まず多数のレーザセンサが設置され、展示スペース内に入った人は常にどこにいるかを把握される仕組みだ(人が多くなった場合、死角が発生してロストしてしまうこともあるが、復旧できる仕組みも用意されている)。
結果、人が行動することで情報が発生し、計測された情報が目に見える姿になっており、それは「ビットちゃん」と呼ばれている(画像2)。
さらに、必ず来場者の足下に寄り添って支えてくれる存在「ミー」も特徴の1つ(画像2)。情報世界に形成された人の情報が形となったもので、もうひとりの自分ともいうべき存在だ。次にどこへ進めばいいかというナビゲートをしてくれる。
画像2。画像上部の黄色い菱形が、人が行動することで発生した情報を見える形にした「ビットちゃん」。靴を囲っている赤系の縞模様で彩られた半円(本当は真円)に矢印や目がついたものが、「ミー」。来場者を情報化した存在である |
これは「アンビエント・コンピューティング」技術と呼ばれ、人が身の回りの機器に働きかけるのではなく、環境が人の置かれている状況や気持ちまでもくみ取って、いつでも最適な情報を提供してくれるというものだ。空間情報科学が浸透した社会では、世界が人のことを知り、見守り、寄り添い、支えてくれるように感じるようになるという。
そして最も目立つ同展示の特徴が歌だ。来場者が生み出した情報が価値に変わって歌詞となり、それをヤマハのボーカロイド技術でもって歌い上げてくれるのである(画像3)。入場時に登録した自分の名前が登場するほか、何を見たか、どう移動したか、などが歌詞となるのだ。
画像3。歌が流れている最中は壁面に歌詞が映し出され、またカラフルで動きの激しいダンスシーンをシルエットで描写したアニメーションが壁一面に映し出される。写真はフラッシュを焚いているため色味が薄いが、アナグラは照明が抑え気味なので、とても鮮やかでにぎやか |
情報が価値に変わるということは、「データマイニング」技術が利用されており、多様なデータがたくさん集まるほど有用な価値が生まれる。そうしたデータを大勢で共有すれば、大勢のために役立てることができるのは、インターネットの情報サイトなどを見れば説明するまでもないだろう。なお、歌詞には「情報」「共有」「パワー」というキーフレーズが多く出てくるようになっている。
またアナグラには、空間情報科学について実在の研究者たちが解説してくれる端末(画像4)があると同時に、ストーリーも用意されている。情報的に世界がゆるやかに崩壊し始めた時、それをいち早く察知した5名の研究者がシェルターに逃げ込んで研究に研究を重ねていく。そして、「空間情報を構築する技術」、「人の行動から情報を得る技術」、「人の状態から情報を得る技術」、「情報を共有して活用する技術」、「個人の情報を守る技術」を中心とした5つの装置が作られ(画像5)、それらは「ナガメ」、「イド」、「イキトイキ」、「シアワセ」、「ワカラヌ」と名付けられたといった内容である。
画像4。総合監修を担当した東京大学空間情報科学研究センターの柴崎亮介教授。空間情報科学の5つの分野について、このほか4名の研究者が解説する映像が各所に用意されている |
画像5。設定上の5つの装置には人工知能が搭載されており、装置のそばに行くと反応して話しかけてくるという具合だ |
そのシェルターがアナグラと呼ばれるようになるのだが、その博士たちも時間の経過とともに徐々にいなくなっていき、そして1000年。誰もいなくなったアナグラに久しぶりに訪れたのが、来場者という設定である。博士たちの思い、そして残された5つの装置の思い。なかなか切ないストーリーが用意されているので、ぜひ体験してみてほしい。