物質・材料研究機構(NIMS)などで構成される研究グループは、大型放射光施設「SPring-8」の固体内部の電子状態を計測可能な硬X線光電子分光装置と第一原理計算と呼ぶ理論的手法を用いて、金属材料であるタングステン(W)と、半導体材料であるガリウムヒ素(GaAs)を対象に、硬X線領域では初となる角度分解光電子分光法を用いて、固体の真のバンド分散の測定に成功したことを発表した。

同成果はNIMS 中核機能部門・共用ビームステーションの上田茂典研究員と、カリフォルニア大学デービス校、ローレンスバークレー研究所、エルラーゲン-ニュルンベルク大学、マインツ大学、ユーリッヒ研究センター、ルドウィグ マクシミリアン大学との共同研究によるもので、英科学誌「Nature Materials」(電子版)に掲載された。

光電効果を利用した光電子分光は、一般に真空紫外光や軟X線を光源に用いて行われてきた。これらの光源を用いて、光電子の脱出角度依存性も測定する角度分解光電子分光では、バンド分散の詳細を調べることができる一方で、固体内部とは異なる表面の電子構造も観測してしまうこともあるため、しばしば得られたバンド分散が、本当に知りたい物質内部の電子状態と異なってしまうことがあった。

通常の硬X線光電子分光では、電子状態(光電子のエネルギーと数を調べる)の観測を行うことはできるが、バンド分散(光電子のエネルギー、運動量と数を調べる)の情報を得ることはできなかったが、2003年になり、ようやくSPring-8の高輝度硬X線を利用した硬X線光電子分光を使うことで、固体内部の電子状態を調べることができるようになった。しかし、バンド分散を実験的に直接観測できる手法は、角度分解光電子分光以外になく、これまでも固体内部のバンド分散の測定を目的に、硬X線励起の角度分解光電子分光に挑戦が行われてきたが、バンド分散の観測に成功したとの報告は世界的にもなく、不可能であるものと考えられていた。

今回、研究グループでは、従来の光電子分光に比べて光電子の脱出深さが数倍以上長く固体表面の影響が極めて少ない硬X線光電子分光法を用いて、物質から出てくる光電子の放出角度依存性を測定する手法をSPring-8にて確立し、硬X線領域では不可能と考えられていた固体内部の真のバンド分散を観測することに成功した。

物質の性質は主にバンド分散により決めているものと考えられていることから、固体の真のバンド分散の情報を得ることは、物質の性質を解き明かす上で重要となるが、今回の研究では硬X線角度分解光電子分光でバンド電子構造を観測するためには、原子の振動と光のエネルギーで決まるデバイワラー因子の影響を出来る限り排除することが重要であることを突きとめ、そのためには、可能な限り低温で測定することと同時に適切なX線エネルギーを選択することが重要であることを解明した。

また、実験で得られたバンド電子構造を、第一原理計算による理論的手法を用いることで、詳細に比較できることも明らかになった。

これらの成果により、清浄な結晶表面を必要とする従来の光電子分光と異なり、表面状態の影響が少ない固体内部のバンド分散が、比較的容易に得ることができるようになるほか、これまで第一原理計算に頼っていた固体のバンド分散構造を、実験的に直接決定することができる様になるため、より正確なバンド分散の構造決定がなされるものとの期待を研究グループでは示している。

また、この成果は、第一原理計算手法の精度向上と実験結果の再現精度向上への指針につながるため、実験と理論の両面からの精密なバンド分散構造の解析が可能になり、新規機能性物質創成への方針が示されることが期待できるとしている。

図1 タングステン(W)の硬X線角度分解光電子分光の実験結果と理論計算。(a)は室温(300K)での測定結果。デバイワラー因子(W)が0.09と小さい場合には、バンド分散が観測されない。(b)は低温(30K)での測定結果。W=0.45の場合には、バンド分散が観測される。(c)は(b)の実験結果からバックグラウンドを除去した結果と理論計算(緑色)との比較。(d)は光電子の励起確率を考慮した理論計算。室温では見えなかったバンド分散が低温にすることで、明瞭に観測されていることが分かる。また、実験結果と理論計算の傾向が良く一致していることが分かる

図2 GaAsの硬X線角度分解光電子分光の実験結果と理論計算。(a)は室温(300K)での測定結果。デバイワラー因子(W)が0.01と小さい場合には、バンド分散が観測されない。(b)は低温(30K)での測定結果。W=0.31の場合には、バンド分散が観測される。(c)は(b)の実験結果からバックグラウンドを除去した結果と理論計算(緑色)との比較。(d)は光電子の励起確率を考慮した理論計算。タングステンの場合と同様に、室温では見えなかったバンド分散が低温にすることで、明瞭に観測されるようになった。また、実験結果と理論計算の傾向が良く一致していることが分かる