東京大学は、体の小さな雄は体の大きな雄よりも大きな精子を作るという、繁殖行動戦術に応じて同一種内で形状の異なる2種類の精子をヤリイカで発見したと発表した。「雌よりも体の大きな」雄の精子よりも、「雌よりも体の小さな」雄の精子の方が1.5倍も大きいというものである。発表は、東京大学大気海洋研究所 海洋生物資源部門/日本学術振興会特別研究員の岩田容子氏と、お茶の水女子大学 人間文化創成科学研究科講師の広橋教貴氏。生物学誌「BMC Evolutionary Biology」に掲載された。なお、今回の発見は世界初となる。
動物の精子の形態やサイズは一般論として、種ごとに高度に多様化してはいるが、同一種の中では変異が小さく、種固有であるとされてきた。蛾のようにまれに同一個体が2つの形態の精子を持つ種もいるが、その場合は片方が受精能力を持たない「異型精子」と呼ばれるもの。ほかの雄の精子が受精するのを妨害したり、受精能力を持つ兄弟精子を助けたりすると考えられている。しかし、今回の発見はそれとも異なり、雄の体のサイズは異なるがもちろん同一種であり、どちらの精子も完全に受精能力を持ちつつ、それでいて形状(サイズ)が異なるというこれまでの常識を覆すもの。そんな世界でも希少種が、日本の沿岸に生息するヤリイカで発見されたというわけだ。
ヤリイカの雄には前述したように体が雌より大きいものと小さいものの2タイプがおり、精子進化に関して同一種内で精子競争・受精環境の両方の違いを検証するための理想的なモデルであることから、今回の研究の対象として選ばれた。
受精方法もそれぞれ異なり、体が大きな雄は雌とペアになって繁殖行動をする。雌を獲得するための雄同士の闘いでは体の大きな雄ほど有利で、雄は雌を獲得するとペアとなって行動し、ほかの雄の繁殖行動を阻む。そして雄は、産卵直前に雌の外套膜という胴体内に腕を差し込んで、小さな精子の入ったカプセルをくっつける「交接」という方式で繁殖行為をする。そのカプセルはすぐにはじけて中から精子が泳ぎだし、すぐに雌が産卵を開始することで輸卵管を通り抜ける内に体内で受精するという仕組みだ。
一方、体の小さな雄は、逆にその体の小ささを利用する。スキを突いてペアの間に割り込んで、雌の腕の付け根に精子貯蔵器官に精子の入ったカプセルを取り付ける「スニーキング行動」を行う。スニーキング行動自体は鳥、魚、昆虫などでも見られるのだが、雄の行動によってまったく異なる場所に精子を受け渡すというスタイルは極めて特殊だ。
なお、産卵を行う雌の大多数が小さな雄からも精子を受け取っており、1回の産卵時に複数の雄の精子を利用している点が、受精卵の遺伝子解析から判明している。雌は複数の雄から精子を受け取って受精させることで、遺伝的に多様な子孫を残す戦略を採っているというわけだ。
体の小さな雄の精子の受精タイミングは、体外に産み出された後に雌が腕に卵塊を抱えている時に行われると考えられている。体内でいち早く受精できる可能性のある大きな雄の精子に対し、体外で受精できるタイミングを待っていなければならない小さな雄の精子は、環境的にも厳しく、早い者勝ちの生存競争においては圧倒的に不利なのはいうまでもない。こうして、大きな雄と小さな雄の精子とでは、まったく異なる精子競争・受精環境の状況に適応するため、形態が変化してきたと予想される。
2型雄の精子の形態的および機能的な違いも検証され、その結果、小さな雄の精子は大きな雄の精子よりも1.5倍大きいことが判明。人工授精実験により、どちらの精子も受精能力を持っていることも確認された。どちらも同一種の雄の精子には違いないのだが、体の大きさによって繁殖行動が異なり、しかも精子の大きさも異なるというケースは、今のところ世界で例がない。
2型雄の精子の機能的な違いだが、まず泳ぐ速度については差異はないという。大きいから速く泳げる、というわけではないようだ。となると小型雄同士の、雌の貯蔵器官を巡っての奪い合いかというと、それもまた違うようである。受精器官内に入った精子も、そこに入る前の精子も大きさに違いはなく、後から来るほかの精子を入れさせない、というわけではない模様。そこで推察されているのが、体内と体外ではまったく異なる環境であることが影響しているというもの。どんな動物の精子も、卵まで泳ぐ環境に最も適した形状やサイズになるように進化を遂げてきたと考えられている。よって、体内と体外では水の流れによる精子の拡散の起きやすさ、アルカリ性か酸性かといった水素イオン指数(pH)、、酸素や二酸化炭素濃度といった物理的・生理的状況が大きく異なるのは当たり前。それぞれの環境に適応すべく進化したのではないかと考えられるという。
今回の成果により、精子の形態は主に卵との受精を巡る精子間の競争により進化してきたとする従来の説だけでなく、受精環境も重要視されるようになると岩田氏らは考えているとした。