東北大学(東北大)などの研究グループは、次世代のスピントロニクスデバイスを担う新材料として注目されている「トポロジカル絶縁体」における質量ゼロのディラック電子に、新たなメカニズムにより質量を持たせる事に成功したことを発表した。同成果により、新機能を持つ次世代省エネデバイスの開発や量子コンピュータの研究が進展するものと期待される。
同成果は、東北大大学院理学研究科の佐藤宇史准教授、大阪大学(阪大)産業科学研究所の瀬川耕司准教授と安藤陽一教授、および東北大 原子分子材料科学高等研究機構の高橋隆教授らによるもので、英国科学雑誌「Nature Physics」オンライン版で公開された。
固体は物質内の電子状態により「金属」「絶縁体/半導体」「超伝導体」と状態に分けることができるが、位相幾何(トポロジー)の概念を物質の電子状態の解析に取り入れることで、これまでの絶縁体とは一線を画す新たな絶縁体材料として2005年に「トポロジカル絶縁体」が提唱された。
トポロジカル絶縁体物質は、内部は電流を流さない絶縁体だが、3次元物質では表面に、2次元物質では端(エッジ)に、不純物の散乱に対して強い電子の伝導路が形成され、この伝導路は電子の自転(スピン)が上向きか下向きかで分かれている。
この表面状態においては、電子は質量ゼロの相対論的粒子のように振舞う「ディラック電子」となってディラック錐と呼ばれる状態を形成する。このディラック電子は、物質中の普通の電子よりも動きやすい上に、不純物に邪魔されにくいという性質を持ち、かつ電流の向きによってスピンの向きも制御できるため、次世代デバイスへの応用が期待され、現在世界中で研究が進められるようになっている。
これまでに提案されてきたトポロジカル絶縁体を利用したデバイスの多くは、このディラック電子に意図的に"質量"を持たせてその運動をコントロールする事を必要としていた。またこれが実現されると、2次元に閉じ込められた電子に強い磁場を印加した場合に、電流と磁場に垂直方向の電気抵抗(ホール抵抗)が、物質に依存せずに一定の値になり、量子力学の基本定数を用いた値の分数倍となる現象である「半整数量子ホール効果」や磁極(N/S極)をそれぞれ単独の「磁荷」とみなした仮想的な素粒子である「磁気単極子」などの様々な特異量子現象が実現される可能性も理論的に指摘されている。しかし、ディラック電子に質量を持たせる事は困難で、これまでは、結晶に磁性不純物を添加したり強磁場を印加するなど、時間の反転(時間をtと-tに変換)に対して対称(不変)かどうかを示す「時間反転対称性」を破る事が唯一の方法と考えられていた。
図1:ディラック錐状態における電子のエネルギー関係の模式図(左)。エネルギー分散が直線的であるために電子の有効質量がゼロとなり、電子がディラック粒子的な振る舞いを示す。ディラック電子が質量を持つと(左→右)、ディラック錐の上下が分裂してエネルギーギャップが生じる |
今回、研究グループは、2010年に同グループが発見した新型のトポロジカル絶縁体である「TlBiSe2」と、通常の絶縁体である「TlBiS2」を均一に混ぜ合わせた「TlBi(S1-xSex)2」の高品質大型単結晶の育成に成功した。
同単結晶を東北大で開発した光電子分光装置を用いて、外部光電効果を利用した角度分解光電子分光により、TlBi(S1-xSex)2から電子を直接引き出し、そのエネルギー状態を調査した。
この実験の結果、TlBiSe2(x=1.0)において質量がゼロだった結晶表面のディラック電子が、セレン原子の一部を非磁性元素である硫黄原子で置換するだけで質量を獲得する事が明らかとなった。また、硫黄の組成比を調整することで質量を自在にコントロールできる事も判明した。
図5:角度分解光電子分光で測定したTlBi(S1-xSex)2のエネルギー状態。明るい部分が電子が存在する部分に対応する。x=1.0ではX字型の形状を示すディラック錐が観測される一方で、それ以外の組成では、X字型の状態が上下に分裂してエネルギーギャップが生じ、ディラック電子が質量を持つ |
この結果は、時間反転対称性を破らなくてもディラック電子が質量を持つ事を示したものであり、これまでの常識を大きく覆すものであるほか、宇宙創成期において、ある対称性をもった系がエネルギー的に安定な状態に落ち着く事で、より低い対称性の系へと移る現象である「自発的対称性の破れ」によって素粒子が質量を獲得した「ヒッグス機構」が、素粒子の世界だけでなく物質内部にも存在している可能性を示す実験結果でもあるという。
今回の成果により、トポロジカル絶縁体のディラック電子の状態を自由自在に制御できる新しい方向性が示された事になる。この質量獲得機構としては、トポロジカル相転移に伴う量子揺らぎや、相対論的粒子特有の多体効果などが考えられ、基礎物理学にも影響を及ぼす可能性があるほか、同成果を新物質の設計や電子スピン状態の制御のための指針とする事で、新しいトポロジカル絶縁体物質の開発が進み、スピントロニクスデバイスや量子コンピュータの実現が近づくことが期待できると研究グループでは説明している。