東京大学(東大)大学院総合文化研究科の工藤和俊准教授および三浦哲都 博士課程大学院生らの研究グループは、ストリートダンスの基本動作である感覚-運動協調課題を用いて、全身動作における新たな相転移現象を発見したほか、一般人(ストリートダンス未経験者)において観察されたこの相転移が、ストリートダンスの熟練者では生じないことを明らかにした。同成果はオランダの科学誌「Human Movement Science」のオンライン版に掲載された。
ストリートダンスでは、音楽のリズムに合わせて膝の屈伸を行う「アップ」および「ダウン」という基本動作があり、初心者はこれらの基本動作から練習を始める。リズミカルな音に身体運動を同期させる行為は従来、「感覚-運動協調(sensori-motor coordination)」と呼ばれ、リズム音に合わせた指タッピングなどの課題を用いた研究により、動作速度の増大に伴って協調パターンが180度変化する「相転移(phase transition)」現象が報告されていた。
実験は、ストリートダンサー(国際大会の優勝者を含む熟練者)とダンス未経験者に、リズム音(ビート)に合わせて「アップ」と「ダウン」の課題を様々な速さで行ってもらうというもの。
「アップ」課題と「ダウン」課題。いずれの課題も、リズム音に合わせて膝の曲げ伸ばしを行うという点では同一。異なる点は動作とリズム音の位相であり、ビート時に「アップ」では膝伸展、「ダウン」では膝屈曲を行う |
アップとダウンはストリートダンスの基本動作であり、アップ課題では、ビートと膝の伸展を同期させ、ダウン課題ではビートと膝の屈曲を同期させるが、ダンス未経験者は動作がゆっくりであればアップの動作を行うことができたが、動作が速くなるとアップの動作を安定して行うことができず、アップの動作を行おうとしているにも関わらずダウンの動作になってしまう相転移現象が生じた。一方、ストリートダンサーではこの相転移現象が観察されず、非常に速い速度でもアップの動作を行えた。
また、未熟練者のアップ動作では、相転移の直前に動作変動が増大する「臨界ゆらぎ」現象が見出されており、これらの結果は、複雑系科学で用いられる非線形力学系モデルによって説明できるため、今回の結果は人間の全身運動が「複雑系」としての特徴を持つことを示したものといえると研究グループでは説明している。
動作の速度を上げていくと動作があるパターンへと無意図的(自動的)に引き込まれてしまう身体運動の相転移現象は、1981年に指の運動で初めて報告されており、今回の研究では、アップとダウンにおいて相転移が生じることを示すとともに、これが運動スキルの熟練度と深く関連していることを明らかにしたもので、このことは人間の様々な動作の運動学習が、相転移という運動における制約を克服する過程であることを示唆する重要な知見であるという。
また、ストリートダンスの基本動作において、熟練者と未経験者に違いがみられたことは、古来から舞踊の世界で伝えられている「型より入りて型より出る」という言葉の科学的意義付けが明確になるという。これは、姿勢を自在に崩し一見すると型とは無縁のように思えるストリートダンスであっても、「アップ/ダウン」という型から入り、そこから出る(相転移から開放される)ことによって表現の多様性が生み出されることを示しているという。
なお、研究グループでは、こうした運動学習の制約が明らかになることで、様々なスポーツにおける初心者特有の運動パターンや、初心者がつまずくポイントが明らかになり、それを克服するためのより効率的な練習方法の開発に繋がると説明している。また、こうした効率的な練習方法の開発はオーバートレーニングの予防にもつながるほか、高齢者の安全な運動学習や、スポーツ選手のトップパフォーマンスの実現にもつながるものとの期待を示している。