北海道大学(北大)低温科学研究所の杉山慎講師を中心とする研究グループは、南米パタゴニアを代表するカービング氷河「ペリート・モレノ氷河」に深さ515mの縦孔を掘削し、底面水圧のわずかな上昇が氷河を大きく加速させることを確認したことを発表した。底面水圧は気温、すなわち氷河の融解量にコントロールされており、気温上昇に伴って海や湖への氷流出が増加し、氷河縮小の引き金となる可能性が示されたという。同成果は、英国の科学誌「Nature Geoscience」に掲載された。
末端が水に浸かった氷河はカービング氷河と呼ばれ、通常の氷河よりも大きな速度で流動し、海や湖に大量の氷を流出する。パタゴニアのほか、アラスカ、南極、グリーンランドなどの地域では、巨大なカービング氷河が近年急激に縮小し、海水準の上昇に影響を与えている。
カービング氷河縮小の原因として、氷河流動の加速にともなう氷流出量の増加が考えられているが、氷河が加速するメカニズムは明らかになっていなかった。水に浸かったカービング氷河の末端部は底面の水圧が高く、氷が滑りやすくなっていると考えられ、この底面水圧の変化により氷が加速する可能性があるが、厚い氷に閉ざされた氷河底、特にカービング氷河の底面はほとんど調査されていないのが実情であった。
そこで研究グループは、カービング氷河の流動メカニズム解明を目的に、2008年から2010年にパタゴニアの南東部に位置するペリート・モレノ氷河で観測を行った。
同氷河は、末端が湖に流入するカービング氷河で、氷河末端部の氷は約60%が湖水面より低い位置にあり、年間400mを超える大きな速度で流れている。
図1 (a)は観測を行ったペリート・モレノ氷河の人工衛星写真。地点BH(+)で熱水掘削と底面水圧測定を行い、GPS1~3における流動速度、AWSにおける気温と比較した。(b)は氷河中央に沿った縦断面図。氷厚の半分以上が湖の水位よりも低い高さにあり、掘削した縦孔の水位は湖水面よりも100m以上高いことが判明した |
今回の研究では、熱水掘削技術を用いて氷河を掘削し、氷河底水圧の直接測定を試みた。その結果、熱水ジェットで氷を融かしながら深さ515mの縦孔を2本掘削、この縦孔を使って氷河底面の水圧を測定し、氷の流動速度、および気温との関係を調べた。
今回の観測では、以下の3点の発見があったという。
- 氷河の底面に高い水圧(氷の圧力の90%以上)が発生していること
- わずか数%の水圧上昇により氷河の流動速度が最大40%増加すること
- 気温の上昇に伴って流動速度が増加(1℃の気温上昇で約4%の速度増加)すること
図4 2008年12月27日から2009年1月8日(a)および、2010年2月25日から4月2日(b)に観測された氷河の流動速度(黒線)と気温(赤線)。日周期の気温変動に伴って氷河の流動速度が大きく変化している。(c)は気温と流動速度の関係(青:2008/2009年、赤:2010年)。気温が10℃上昇すると1日の流動距離が0.53m増加する |
1つ目は、カービング氷河末端部は氷が水圧で浮いてしまうギリギリの状態にあり、底面が非常に滑りやいことを示しており、これは通常の氷河よりも大きな速度で流れるカービング氷河の流動メカニズムに新たな知見を与えるものだという。また2つ目の発見は、水圧のわずかな変化でも流動速度が大きく変化することを示しており、カービング氷河の流動が環境によって変化しやすいことが明らかになった。そして3つ目の発見は、氷河の融解水が底面に流れ込んで水圧と流動に影響を与えていることを示唆しており、この結果、「気温上昇→融解量増加→底面水圧上昇→氷河の加速」というメカニズムでカービング氷河が加速することが、観測によって初めて示されたこととなった。
もしこのメカニズムが働くと、気候の温暖化により海や湖への氷流出量が増加し、カービング氷河の急激な縮小をもたらす可能性があるという。
図5 今回の研究により明らかになった、カービング氷河の流動変化を示す模式図。気温の上昇によって氷河底に流入する融け水が増加し、通常でも高い水圧がさらに上昇することで、氷河の流れが速くなり、氷流出量の増加と氷河の縮小が起こることとなる |
なお、研究グループでは、同成果を活用することで、カービング氷河のより正確な変動予測が可能になるとしている。特に南極やグリーンランド氷床には巨大なカービング氷河が多く、数値シミュレーションによる氷床変動予測、および海水準変動予測の精度向上が期待されるという。また、2011年11月に日本を出発する第53次南極地域観測隊では、南極のカービング氷河で熱水掘削と氷河観測が予定されており、さらなる成果が期待できるという。