東京大学大学院工学系研究科の十倉好紀教授と石坂香子准教授らの研究グループは、大きなスピン偏極を有する電子材料を開発したことを発表した。同成果は東京大学大学院工学研究科、理化学研究所基幹研究所、科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業、東京大学物性研究所、広島大学大学院理学研究科、広島大学放射光科学研究センター、高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所、産業技術総合研究所フレキシブルエレクトロニクスセンターとの共同研究によるもので、英国科学雑誌「Nature Materials」のオンライン速報版に公開された。

スピントロニクスデバイス開発分野では電気によって伝導電子のスピンの向き(偏極)を制御することが重要な開発課題の1つである。こうしたスピントロニクスデバイスを実現するうえで重要となる「電気と磁気の情報を相互に変換する」機能は主に物質中のスピン軌道相互作用を用いて生み出され、例えば、通常物質中の自由な電子が持つエネルギーは電子の運動量の2乗に比例し、スピンには依存しないが、強いスピン軌道相互作用に加えて非対称な構造(例:結晶の表面や界面構造、結晶構造の非対称性に起因する極性など)を持つ物質中では、電子のエネルギーは運動量とスピンに依存した「ラシュバ分裂」を示す。

図1:自由電子系(左)とラシュバ系(右)の模式図。自由電子系では電子のエネルギーEは運動量kx, kyの2乗に比例した放物面になり、スピンは縮退して区別がつかない。一方ラシュバ系では放物面が2枚に分裂し、それぞれ運動量に依存したスピン偏極(→、←で示す)を持つ。このような系で運動する電子はこの偏極に応じて特徴的なスピンの応答を示すため(下)、電流・電場によるスピンの制御が可能になる

このような物質では電気信号によってスピンを制御することが可能となるため各所で研究が進められてきたが、これまで報告されている大きなラシュバ分裂を示すケースは結晶表面における非対称性を利用したものが主であり、結晶内部に同時に存在する大量の通常の電子が応用への妨げとなっていた。

図2:ラシュバ分裂を引き起こすような非対称構造の例。結晶表面の場合(左)は表面近傍でのみその効果が現れるが、内部に極性を持つ物質(例えば「…赤・青・緑・赤・青・緑…」と無限に積み重なった構造を持つ)の場合(右)、物質内の電子すべてにその効果が現れることが期待される。黄色の矢印は極性ベクトルのイメージ

今回、研究グループでは、極性半導体「BiTeI」の単結晶を作成し、スピン・角度分解光電子分光により物質中の電子のエネルギー、運動量、およびスピン成分の直接観測を行った。

BiTeIはビスマス、テルル、ヨウ素の層が順に積み上がった結晶構造を有し物質内部で極性を持つとともに、スピン軌道相互作用の大きなビスマスを構成元素に含むため、スピン偏極とそれに伴うエネルギー分裂が期待され、実際に観測された電子のエネルギーは図1右のラシュバ系と同様の大きな分裂を示すことが明らかになった。

図3:極性半導体BiTeIの結晶構造(a)および角度分解光電子分光により観測された電子のエネルギーと運動量の分散関係(b)。(b)の結果から、図1右に示した「ラシュバ系」とよく類似した分裂構造を持つ様子が分かる

またスピン成分についてもラシュバ型の運動量依存性を示すスピン偏極が観測された(図4a-dにおいて、赤色がアップ、青色がダウンの偏極成分)。これらの結果はスピン軌道相互作用を考慮した電子構造計算によって良く再現され(図4e、f)、理論的にも支持される。

図4:角度分解光電子分光で観測された電子のエネルギー/運動量の関係(a)と、あるエネルギーにおける2次元運動量kx,ky面(b)、スピン分解光電子分光により得られたスピン成分(c,d)、および電子構造計算により得られた再現結果(e,f)。図(a-e)中の赤色・青色表示や(b,f)の矢印はスピンの方向(アップ、ダウン)を表わしている。(a)と(e)、および(b)と(f)を比較すると、実験結果が計算により良く再現されていることが分かる

さらに、この物質で得られたラシュバ型分裂の大きさは、これまで様々な表面電子系などで得られた結果と比べても最大級の値となることが判明した。

なお、今回の研究で明らかとなった極性半導体BiTeIにおける大きなラシュバ型分裂は、同物質内部に存在する伝導電子がすべてスピン軌道相互作用によりスピン偏極していることを示しており、このような電子系の実現は、新しいスピントロニクス材料の開発を促進するとともに、内因性スピンホール効果や非自明な超伝導といった新奇な物理現象の発現への道を拓くことが期待されると研究グループでは説明している。