先端研究開発支援プログラム(FIRST)「量子情報処理プロジェクト」を進める国立情報学研究所(NII)(プロジェクト代表研究者はNII/スタンフォード大学の山本喜久教授)は、共同提案者である東京大学大学院工学系研究科の樽茶清悟教授とそのグループが、単一光子が生成した単一電子を電気的に制御された量子ドット中に捕捉し、かつ自在に外部へ取り出す技術を開発したことを発表した。また、併せて捕捉された単一電子のスピンを、その状態が失われる前に検出できることを確認することに初めて成功したことも発表した。同成果は、2011年4月8日(米国時間)、物理学全領域を扱う速報誌「Physical Review Letters」(電子版)に掲載された。

量子情報処理技術は、次世代の高度情報化社会を支える基盤技術として期待されている量子力学に立脚した技術で、重ね合わせ原理により超並列処理が可能な量子コンピュータや安全な暗号通信などへの応用が期待されている。こうした量子情報処理で扱う情報単位である量子ビットは、たとえば光子は長距離の量子情報伝達を担い、操作性の良い電子スピンなど固体中の量子ビットは演算処理やメモリとして研究が進められているほか、これらを組み合わせた量子情報通信の形態として、量子コンピュータなどで構成される小規模量子システムを光回路で結んだ量子ネットワークを構築しようとする研究も進んでいる。

こうした研究の実現のためには、光子と量子コンピュータを構成する固体量子ビットの間で量子情報を転送する量子インタフェースの開発が必要で、同技術の実現により、固体量子素子に量子情報を保持する量子メモリや、100kmを超える量子情報の正確な伝達を可能にする量子中継器の技術へと展開が可能となる。

これまで、光子の偏光状態から半導体中の電子スピン状態への量子状態転写の理論的提案及び量子井戸中の「スピン集合系」を用いた実験が報告されていたが、「単一ビット」間での量子状態転写は、量子ネットワークの構築に必要不可欠な技術であるにもかかわらず、実現されていなかった。

今回、東京大学の研究グループは、独自に開発を進めているスピン量子素子を構成するGaAs系半導体量子ドットに、平均的に1個以下の単一光子を含む微弱近赤外パルス光を照射し、その単一光子が励起した単一電子を量子ドットで捕捉し、そのスピン緩和時間(=スピン判定の制限時間:典型値は1ms~1s)の範囲内(<300μs)で、電気的に制御してドットから取り出す操作を行うことに成功した。

図1 今回の実験の概念図。今回の研究では、GaAs/AlGaAs 2次元電子系上に形成される量子ドットを用いている。量子ドット直上に開口を持つ遮光マスクが取り付けられており、開口を通して、平均1個以下の光子が量子ドットへ飛来するように強度を下げたパルス光(波長780nm)を照射。光子は主に下地のGaAs半導体層に吸収され、電子・正孔対を生成し、電子のみが量子ドットに捕捉される。量子ドットの近傍に作成した量子ポイントコンタクトを単一電子の挙動が検出できる高感度電荷計として使い、光生成単一電子のダイナミクスを、この電荷計を使い検出した。挿入図は、光照射後に生成された単一電子スピンの回転操作を行い、転写された量子情報をスピン量子素子で演算処理を施すという量子インタフェースの基本機能を示している

さらに、外部磁場をかけると電子が量子ドットを出入りする頻度が電子スピン方向に依存することを利用して、光生成単一電子のスピンの判別が可能であることも世界で初めて実証した。これらの結果は、単一光子検出の実時間測定と位置づけられる同時に、量子ドット中で単一光子から単一電子の電荷へ情報を変換し、その単一電子のスピン状態を検出・操作できることを示すもので、量子インタフェースの開発につながる成果だと研究チームでは説明している。

図2 典型的な光生成単一電子の実時間検出の結果。縦軸は電荷計電流を表している。量子ドット中の電子が1つ入ると、電流は急峻に低下し、電子が1つ量子ドットから出てゆくと、電流は急峻に増加する。図2の結果は、パルス光を照射した時刻ゼロで、単一光子が吸収されて生成された単一電子が、量子ドットに捕捉され、ある時間、滞在した後、近接する電極へトンネルにより出て行く過程を示している。実験では、このように、単一光子が生成した単一電子が、量子ドットで捕捉される過程を実時間測定で検出することに成功した。今回の実験で最も速い検出は300μs程度で完了でき、典型的なスピン緩和時間とされる1msから1sよりも十分速いので、電子スピンが緩和して情報を失う前に、検出・操作が可能であることを示している。さらに試料面に垂直に磁場を印加すると、試料の端に沿って運動する電子状態、すなわち端状態が、量子ドットに近接する電極中に形成され、量子ドットから端状態までの空間的な距離が電子スピンに依存し、図の右上に示した量子ドットから電極への電子のトンネル頻度は電子スピンに依存するようになる。同方法を用い、単一光子の偏光に対応した光生成単一電子スピンを1つずつ検出することが可能であることを示す結果も得られたという

研究チームでは、今回の成果を踏まえ、次の段階として、同成果をスピン量子素子へ実装し、単一光子から単一電子スピン状態への量子状態転写を段階的に実証し、転写された電子スピン状態の量子演算処理という機能性の実現を目指すとしている。これらの技術により光子-スピン量子インタフェース技術基盤が確立されることとなれば、量子ネットワークの構築に必要な、光子の量子情報を電子スピンで保持する量子メモリや、長距離の量子情報伝達を可能にする量子中継器といった、将来、量子ネットワークの構築に必要な量子素子の開発も期待できるようになるという。

図3 単一光子と単一電子スピン間の角運動量転写と量子状態転写の概念図。次段階では今回の成果を使い、単一光子から単一電子スピンへの角運動量の転写を目指すとしている。角運動量転写では、角運動量を持つ右回り・左回り単一円偏光が、対応する方向のスピンを持つ単一電子1対1で変換される。さらに量子状態転写では、単一光子と任意の状態を表す係数αとβを、正確に位相情報も含めて量子ドット中の単一電子スピン状態へ転写する